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	<title>池の建築設計</title>
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	<description>千葉県船橋市にある建築設計事務所「池の建築設計」</description>
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		<title>インドへの憧れ　　4</title>
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		<pubDate>Wed, 03 Mar 2010 04:50:20 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[社長ブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[　事件が起こった。昨今の経済状況では、私たちのような弱小事務所は仕事を確保する事することが存亡に関わる問題である。しかし、仕事を成立させるには重要な時間帯があり､特にそれを確定する間際は所長としてはまったく他の予定が立たない。 　去年からある物件を追いかけていた。一見不利な条件と思われる敷地の条件を事務所で検討すると逆にそれらがいろいろと良い方向に解釈でき、好条件に変わる事を発見した。それ等が徐々に認められてこの時期に､計画が実現する可能性がでてきた。つまり、その計画決定の最終段階が今度のインド旅行と重なってしまったのである。僕としてはキャンセル料が発生する最終段階まで抑えていた。だが、ここに来ていよいよ決断せざるを得なく、ついに今度のインド旅行をキャンセルしてしまった。 　仲間には多大な迷惑をかけることになってしまった。僕はすっかりインドモードに変わってしまった気持ちを整理できず、悔しい気持ちで､黒川博信著の「バックパッカーはインドをめざす｣読んで憂さを晴らすつもりだったのが､どうも逆効果でさらに行きたくなった。もう机の上から全部消し去ろう。 　それでも仕事さえ決まれば気持ちの整理はつく。しかし、仕事も決まらず旅行にも行かない可能性が高いのである。僕の気持ちは何処に向ければよいのだろう。 　]]></description>
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		<title>インドへの憧れ　　3</title>
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		<pubDate>Thu, 18 Feb 2010 04:19:47 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[社長ブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[いよいよ3月にインド旅行計画が実現しそうである。だが今度ばかりは趣が少し違う。インドを紹介する面白い本は沢山ある、しかし、僕が興味を持って入り込める糸口がなかなか見つからない。一番気になるコルビジュエやカーンの現代建築を見るコースは「最初はインドらしい場所から見るべきだ。」と言う皆の意見に、早々に諦めた。だからと言って遺跡見学が中心で良いとも思えないし、もちろん風景中心でもない。歴史は興味を持つには複雑過ぎるし、宗教に至ってはさらに混沌としてさっぱり分らない。ただ、漠然と熱いだろうなーと思う気分と共に様々な風俗の熱風が乾いた喉に冷たいビールのように招くのである。 中学生の頃、美術の本でアジャンタやエローラの洞窟彫刻の写真を見たときの衝撃が甦る。たぶんこれがインドに興味を持った最初であり、それはガンジーでもネールでもなかった。エローラがエロスの語源かと勘違いし、堂々と性を観賞しても良い世界があるんだと感嘆したものである。インドに関するいろいろな情報が入り混じり、それ等が様々に変形しても、心の中では変わることなくインドは気だるくて猥雑だが崇高な桃源郷であり続けた。それだから､これまで積み上げてきた僕の中の天竺の崩壊を恐れて何となくインドに行く事を遠ざけていたのかも知れない。そんな気分の中で突然の友人の誘いに「ハッ！」としたのであろう。 そんな僕だから程度はわからないがこの旅できっと打ちのめされるであろう。インドに行くのに僕のように先入観を持ってはいけないようだ。しかし､子供の頃からの少しづつ組み上がった先入観は理屈ではない。西遊記の物語のようにようにインドにさえ行けば僕の周りの不条理は氷解するような幻想がある。特に晩年を迎える僕にとって天竺の意味が理解できるかもしれない・・・！]]></description>
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		<title>インドへの憧れ　　2</title>
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		<pubDate>Fri, 18 Dec 2009 05:52:09 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[社長ブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[　調べるとインドはさすがに大きい。地図を見ながら街を辿ると、ちょっとした移動にも何時間もかかるらしい。少し離れた街間は新幹線で移動しても半端ではない。どうも縮尺がなかなか頭に入らないのだ。改めて旅行会社のツアー計画をを眺めると車内泊鉄道や国内線飛行機を沢山使い､その長い移動には苦労しているのが分る。短期間では地域を絞らなくてはリュックを担いで気軽にと言うわけには行かないようだ。 　調べていくうちに、やはりコルビジュエやカーンの現代建築が気になり始めた。僕の学生の頃に発表され、必ずしも成功した報告を聞かないコルビジュエが計画した都市、シャンディガールのその後はぜひとも見たいのである。また東インド会社の綿の集積地であり、なぜかコルビジュエやカーンの設計した建物が建ち並ぶアフマダーバードが気になって仕方が無い。 　しかし、今度の旅は最初なので、残念ながら現代建築は外して、これがインドだと思うような、ムンバイからデリーまでのインドの中心を通り抜けるコースに決めた。だが、そこは僕たちの旅である。ツアーに乗ってぬくぬくと従う旅になるわけが無い。例によって、ＳＩＮさん得意の旅行調査が始まリ､レポートが出来上がった。それを元に僕たちが勝手に行きたい所だけピックアップしてコースを探し、ＳＴＷ（旅行会社）の藤井嬢に連絡をとった。 　藤井嬢に紹介されたＳＴＷのアジア担当のＳ氏はさすがにインドは詳しく、また毎度の事であるが､ＳＩＮさんの調査能力には頭が下がる。そんなわけで話は簡単でＳＩＮさんのコース設定はほぼ完璧であった。デリーで案内人を頼む事にして、あとは安い飛行機とホテルの選定だけである。楽しい旅になりそうだ。]]></description>
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		<title>インドへの憧れ　　1</title>
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		<pubDate>Tue, 24 Nov 2009 05:51:20 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[　体を壊していた親友のＯ氏がインドに行きたいと言って来た。僕も心のどこかにインドへの憧れは持っている。ただ､ここだけは一度興味を持ってしまったら長く引きずりそうで、ちょっと避けていたところである。しかし､今回はO氏の快気祝いで、最初のインド旅行でもある。あまり深入りせずに､ツアーで軽く上辺を覗く気分で出かけることにしようと思う。 　早速、気になっていた「インド建築案内」を取り寄せてみた。著者の神谷武夫氏の調査能力に驚嘆した。氏は建築家であるが、淡々と綴られた写真とコメントは2０年にわたり一人でインド各地を調べあげたた濃密な報告書である。ページをめくる度に、もっと若くしてこんなしてインドに出会ってしまったら、形は変わっても同じ様にのめり込んでいたかもしれない共感とともに恐怖を感じてしまった。 　やはり､インドは軽く見過ごせるような場所でないのかもしれない。写真で見る建築群だけでもこの熱気である。たとえツアーで行ったとしても上辺だけにはならない気がする。インドにはもっと底知れない深さがありそうだ。どこまで垣間見ようとしても尽きることは無く、そのレベルの濃厚なインドがありそうだ。今度ばかりは建築中心に見るなんていう事にことにこだわらないインドそのもののカオスが見たくなってきた。]]></description>
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		<title>南イタリア・車で周遊＜ポッズオーリ～ラティーナ＞</title>
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		<pubDate>Wed, 07 Oct 2009 00:54:32 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[いよいよ最終日である。午前中はこのあたりのカンピ・フグレイ（カルデラ火山帯）を廻って、なるべく早くローマ時代のアッピア街道の宿を改造したホテルでゆっくり最後の晩餐を楽しもうと決めていた。地図で見るとこのホテルの近くにかなり大きな円形競技場の跡があり、興味を引かれた。 公園のはずれに、路上の他には駐車場も無い場所に料金所があり、あまり期待せずに入った。入り口から競技場でなく、すぐ地下に誘導された。巨大なレンガのアーチのトンネルを抜けると、何とそこには素晴らしい競技場の剣闘士や猛獣の檻などの控え室が残っていた。ほとんど廃墟で崩れているローマのコロッセオもこのようであったかと思わせるほどで、建築家としては今回の旅行でも屈指の美しい空間を見つけてしまった。奥は埋っている部分もあるが、転がされたギリシャ様式の柱は何処に使われていたのか、競技者がどのようにグランドにせり出すのか方式も分らない。入り口に戻って、上に登るとレンガで造られた立派なステージとグランドは現代のサッカー場ぐらいの大きさはあるだろう。 そこから近い港に出た。広場に面する路上駐車場があったが、なかなか空きが無い。しかし、出るからそこには入れと言ってくれた車があった。ここは漁師街で人々は船から直接魚を買たりしていた。もしも近くで泊まったならば夜にはここらあたりのBARで美味しい酒が飲めたのかもしれない。一回りして対岸の温泉等があるという半島に向かった。しかし、日曜日の為に物凄い行楽ラッシュで、あわてて引き返し、北にある古代には日本の恐山のように巫女が住んでいたクーマに向かった。 クーマはさすがに霊廟の雰囲気にあふれた小高い丘であった。頂上からは四方が見渡せ、砦の機能もあったように思う。巫女達が住んだ深い洞窟は微妙に外気も取り入れてあり、演出が可能な空間になっていた。山を下り近くのレストランを探したが、見当たらず、そのまま海沿いに北上すればラティーナと考え海辺を走った。何軒目かのリゾートホテルのレストランの看板に誘われ入った。庭でガーデンパーティをしているようで、油で何かを揚げていた。ボーイに誘導された席で、「あれは何を揚げているのか？」　と訪ねると、「野菜と何とか・・・」といってるが、方言も強くよく分らない。もらってみたが、あまり美味しい物ではなかった。ボーイが食事は俺に任せろといった、量は少なめにと念を押したのにパスタだけでうんざりして、後はもう良いと断わったのに、案の定、料金はメインの分まで取られたようだ。調子の良いボーイには任せてはいけないパレルモの教訓をつい忘れ、又同じ失敗をしてしまった。 一刻も早くラティーナに行こうとナビに最短時間を入れるとこのまま一般道を北上するコースでなく、高速を使ってナポリに戻るコースを選択していた。見学はもう良いとナビに従った。ナポリまでは無料だったが、イタリアの背骨に当たる太陽道路は有料で、きっちり整備されて快適である。左側の小高い丘を越え、もう半分ぐらいは走ったであろう頃に、運転を変わろうと路肩の安全地帯に車を寄せた。ＳＩＮさんから運転を変わって、スタートした直後にクラッチ盤が、引っかからず、滑っているのに気がついた。次の安全地帯で停まるともう再び動く事は無かった。 かなり困ってしまって、全身の神経が落ち着けと叫んでいる。現在地を地図で確認するとカッシーノの近くである。まずはツトムさんに電話してハーツに連絡してもらった。車を降りて、あたりを見渡すと、ＳＯＳの赤い看板のポールが目に入った。いろいろ書いてあったが、こんな時はゆっくり読めない。赤十字と工具のマークの下にそれぞれボタンがあり、工具のボタンを押した。スピーカーから甲高い女性の声でいろいろ言われたが、どうも１０分ぐらい待てと言っているらしい。待っているとツトムさんから電話で、ハーツに連絡が取れた。まず全員を道路から車に乗せなさい。ダッシュボードに１枚だけ黄色いベストが有るのでそれを着て一人だけで車外で待つように注意された。ＪＡＦのような車が近くの修理工場に連れて行ってくれるらしい。次の電話で今日は日曜日なので、近くのハーツの事務所はどこも休みで、空港しか営業してないらしい。希望するなら、ナポリの空港事務所で同じ車に交換してくれるから取りに行くように、との指示だった。 ボロ車を渡したハーツへの怒りとちょっと寂しい気持ちで道路に立った。とんでもない事だったが良い所で故障したと思った。もし一般道路の山道で動かなくなったらどうしただろう。などと考えてしばらく待つと、大きなキャリーアカーが現れ、運転手は「俺はメカニックでないから車の事は分らない。運ぶから乗りなさい。」と言われ、牽引で車ごと載せられた。 運ばれた場所はカッシーノのインターの傍の修理工場だった。日曜日で、留守番しかいないようで、たまに彼の友達がやって来る。書類がなかなか出来ない。ツトムさんから再び電話で、タクシーでナポリまで行ったら公式の領収書をもらってください。あとでハーツから返還されます。と連絡があった。領収書の事を話してタクシーを呼んだが、なかなか埒があかない。ＳＩＮさんはこのまま乗り捨ててタクシーでラティーナに向かい。明日そのままタクシーでローマへ行って日本に帰る方法もある、などと言う。結局事務所の金庫を開けられる経理の人と、ナポリまで送る人が到着するまで待たせられたようで、７時半頃になってしまった。まだわずかに明るいが、こんな畑の中の修理工場に女性３人を置き去りにしてナポリまで行くのが心配で、「暗くなるから近所のホテルに送ろうか？」と聞くと「大丈夫だ。心配ない！」と頼もしい。 修理工場の若者の運転はもの凄いのを越えて見事だった。高速を１６０ｋｍ位のスピードで車の間をスワロームして走るのである。だがけして無謀ではない、彼の目の配り方は常人のそれとは違う。たぶんレーサーはこのように運転するのだろうと思った。ナポリ空港でも彼は大活躍だった。もう一般のハーツの事務所は閉まっていて、交換の車までは３箇所ぐらい訪ねてやっとたどり着いた。車は、ほとんど新車で、今までのとはまるで違い運転がすごく楽である。しかし、送ってくれた若者に僕はあのように上手な運転は出来ないから先に帰ってくれと言ったが、しっかり修理工場まで誘導してくれた。ナイスガイだ！　真っ暗の中で心配だった女性達に駆け寄って、「大丈夫だった？」と訪ねたら。涼しげな顔で「案外早かったのね。」との返事だった。なんとも頼もしい根性の座った女性達だ！ ９時を過ぎてカッシーノから再び高速にのってラティーナに向かった。新車は至って快適である。やはり、あの車は始めからクラッチ盤が滑っていたのだ。１時間程走って、一般道に下りた。地図で確認するとまだだいぶある。街を抜けると対向車線だけがずーとつながっている。２０分ぐらい走ってもそのライトが消えることは無かった。多分ラティーナでサッカーの試合があった帰り客なのだろう。真っ暗な山間に一列につながった光の線が幻想的で、狐の嫁入りはこんな物かと嬉しくなった。それに何より、道に迷う心配は無い。 ラティーナに近づくと、さすがに光の線と別れた。深夜ではナビに従うしかない。細い道を何とかアッピア街道に出た。このあたりだとナビが言っているが、まず右折した。一軒ごと目を凝らして訪ねるが､それらしい建物が無い。反対に戻っても見当たらない。セルフのガソリンスタンドがあったので誰か来るのを待つと、１台の車が入ってきた。宿を尋ねると１ｋｍぐらい先にあるそうだ。 やっとの思いで到着すると古い建物を巧みに改造した素晴らしいホテルだった。ツトムさんは遅くに到着する僕たちの為に軽食を頼んでおいてくれた。ハムやチーズやオイル煮の冷菜がテーブルに並びきれないほど用意され、コックさんは注文があればパスタぐらいは作ると言っている。僕たちはテーブルに用意された物だけで充分です。あとはビールとワインだけがあればと恐縮して言った。しかし、テーブルの冷菜やチーズをパンに載せるとこれが実に上質で美味しい。返す返すもここで最後の晩餐が出来なかった事を残念に思った。 翌朝目覚めて外に出ると､ここは川辺で､ローマ時代は海からの産物とアッピア街道の交差点であり､市場の遺跡もある。奥には牧場も畑もあって､実にのどかで環境がよい。この建物の奥に４つのローカルを味わえるレストランがあるそうだが、人気なのは一目瞭然である。ここを旅の終わりに決めた事は間違いでなかった。しかし、それを満喫できなかったのは誠に残念であったが、このトラブルも含め、実に有意義で楽しく、エキサイテングな旅であった。　僕たちはゆっくりと思い出を噛締めながらローマに向かい、心地よい疲れのと共にレオナルド・ダ・ヴィンチ空港を後にした。　　　　　　（完）]]></description>
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		<title>南イタリア・車で周遊＜プライアーノ～ポッズオーリ＞</title>
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		<pubDate>Thu, 01 Oct 2009 01:03:55 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[懐かしい気分でハンドルを握り、絶壁の道のアマルフィー海岸はなるべく早く脱出する事にした。それでも船で折り返したポジティアーノを越えてしばらくは恐怖の連続である。何とか山を越え、ソレントに入ると今度は行楽のラッシュに見舞われた。今日は土曜日だ！　旧市街だけでも見たいと思ったが、あまりのラッシュに慌て市内を脱出した。ソレント半島の北側は南とまるで違うなだらかな景色である。対岸のナポリ湾の向こうに雄大なヴェスヴィオ火山が現れた。 ナビをﾎﾟﾝﾍﾟｲにセットし、ヴェスヴィオ火山に向かって高速をひたすら進むと、太陽道路と合流し､突然有料になり、次のインターで下ろされた。インターの出口の前がﾎﾟﾝﾍﾟｲの遺跡のようで、案内に従い駐車場を探した。奥の駐車場の入り口付近でレストランのボーイに後で立ち寄れば駐車代が無料だと声かけられた。「ジュースト？（本当）」と念を押したら「シー　シニョール」と調子の良い答えが帰ってきた。 僕たちは南にあるマリーナ門を抜けて遺跡に入った。ポンペイはローマ帝国の同盟都市として栄えたが、噴火により一夜にして火山灰に埋まったと聞く。轍の道を抜けるとアポロ神殿がある中央広場に出た。樹木の無い広大な遺跡に照りかえる陽射しの強さが噴火の惨状と重なり、思わず目眩を覚え、夏の日中に来る所では無かったと少し後悔した。陽炎が立ち昇る遺跡を西に向かった。フォルム浴場を見学して、さらに幾つかの遺跡を見学し、西のエルコラーノ門を抜けて一旦城壁の外の秘儀壮に向かった。あまりに強い日差しを避けたい気持ちで、農家のようであり、現代の住居としても立派に使えるような住居跡を見学した。そして再び熱射の中を遺跡に戻り、さすがに最東部の円形競技場までは行けなかったが、大劇場や小劇場等を廻って時間をタイムスリップしたような遺跡を後にした。 あまりの暑さにかなり疲れて、駐車場の入り口の葡萄棚の下にある調子の良いボーイのレストランで昼食をした。生ビールを一気に飲み干したい気分だったが、大瓶の水のボトルとオレンジジュースを頼んで昼食が始まった。さすがに何を食べたかの記憶がほとんど無いが、ただマルガリータだったろうかシンプルなトマト味のピッザアが美味しかった記憶だけが残った。 ヴェスヴィオ火山の西側には、一夜にしてあのポンペイの大悲劇を生んだ噴火の折に溶岩流で一瞬にして埋められてしまったエルコラーノがあると聞き、一般道を走って向かった。エルコラーノはローマ貴族の別荘地であったようだが､あたりにはその気配がまったく無いが、ナビでは近くを示している。しかし、海側に大きく回った場所に何気ない地下駐車場が有り、この西側に工事現場のように大きく掘られた場所が遺跡だった。遺跡はなだらかな傾斜地に埋まった形で掘り出されていた。ポンペイとは比べるも無く小規模だが、焼け爛れた木造の梁等が存在したり、一瞬にして熱砂に埋まった状況はよりリアルである。人型を石膏で写し取った博物館があるようだが、そこまでは行かなかった。ギリシャ神殿の遺跡と異なる生々しい衝撃を受けてここを後にした。 明日がこの旅の最終日なので、ナポリで買い物の計画をしていたが、大都市の運転が、いかに大変であるかを実感したので、高速で通過するだけにした。ポッズオーリはナポリの西の街で、あの大女優ソフィア・ローレンが生誕した漁師街でもある。また、このあたりから西にカルデラ（火山口）群に面する一帯はカンピ・フグレイと呼ばれ古代から別荘や保養地あるいは海軍基地として栄えた一帯でもある。高速を降り、一般道を走るとまもなくトンネルがあり、ポッズオーリの街の入り口に広い駐車場のあるビジネスホテル風の建物が今日の宿だった。 チェックインして夕食を頼むと、大きな食堂があるのに、外でお願いしますと言われた。そして、ちょっと待ての仕草で近くのレストランを電話で予約し、地図を書いてくれて、ここは最高だと親指を立てた。僕たちは一息入れてシャワーを浴び、着替えて散歩気分で外に出た。見当をつけて歩くと若い男達が道にたむろっていて、地図を渡したら、わいわい騒いで喜んだ。なんと彼らは目指すレストランのボーイさん達で、そこが裏口だったようだ。中は葡萄棚のある大きな店で、まだ少し早かったようだが、一番奥の席に案内された。2００席以上ありそうなテーブルがどんどん埋まり、先程のボーイさん達が大忙しで働き始め、地元の人気店のようだ。コッゼや海老など魚介類を中心に心残りの無いように頼んだ。もちろんワインもデザートも最高で、良い店を紹介してくれたようだ。ほぼ２週間もの長い旅だったが、いよいよ明日が最終日で、漁師街での食事はことさら感無量であった。]]></description>
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		<title>南イタリア・車で周遊＜アマルフィー海岸＞</title>
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		<pubDate>Thu, 24 Sep 2009 04:31:18 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[朝もやの海を見下ろすテラスでフルーツいっぱいの食事はなんとも幸せのひと時だ。しかも今日はまったく車の運転をしなくて良いのだ！　叫びたくなるほど嬉しい。フロントで聞くとアマルフィーからポジティアーノまでの船も有るそうだ。そんな情報を聞いて、僕たちはバスでアマルフィーに向かった。運転手の魔法のような技術を見て、つくづくこんな場所でハンドルを握らなくても良い喜びを感じた。アマルフィーに着き、さらに小型バスに乗り換え隣村のラヴェッロに向かった。険しい道を登ると中世そのままのような村がある。 ラヴェッロの入り口から城門を抜けるすぐ左にヴィラ・ルーフォロと呼ばれる庭園住宅がある。邸宅と言うよりお城のようであるが、建物と庭の立体的な融合は日本庭園のそれとは別な美くしさを見せている。案内によるとこの村には他にヴィラ・チンブローネと呼ばれる貴族の屋敷があるようだ。小さな広場を抜けて道は山の尾根に沿って造られた建築の中を進むと、突然の絶景やブドウ畑、レストランやホテルなどが現れた。飽きる事は無い細い坂道の突き当りが、ヴィラ・チンブローネであった。入り口にはアラブ風の建築がつくられていたが、邸園の南はサレルノ湾に面する崖で、北側には山頂としては立派な畑や果樹園が作られている。狭い山の頂上に何と贅沢な邸宅であろうであろう。 ここに来る時にすでに、昼食は途中にあった葡萄棚のレストランに決めていた。垣間見た素晴らしい棚越しのパノラマと黒のベストの接待係りの小父さんのフットワークの良さに、美味しそうだと思った。テーブルに付くとまずビール！と叫んだ。　スパゲティーやピザなどにワインまで頼んで車のない１日を楽しんだ。 食事を終えて再びバスにもどり、恐怖の急斜面をアマルフィーに向かった。広場に立って幅広の階段の上に白黒の縞模様のアラブ風のビザンチン様式の教会を見あげると、青春の記憶が甦る。荘厳なドーモ教会の横には天国の回廊と呼ばれる尖塔アーチに囲まれた中庭がある。アマルフィーはベネチアとジェノバと並んでイタリアで最も古い海洋共和国であった。防衛の為に活躍した背後の山が、近世では陸の交通の遮断になり、その歴史的地位を後退させたが、現代では再びその風光の美しさで脚光浴びている。階段やトンネルだらけの谷間に貼り付く住居の中を歩くと迷宮都市に誘われたようで、まさにカフカの世界に紛れ込んでしまう。 夕方になって、桟橋に出た。３０分程でポジティアーノ行きの船が出る。ソレントやナポリやサレルノ等何処でも行ける。やはりここでの主要交通は船のようだ。船のデッキからのアマルフィー海岸は最高である。涼やかな海風に身をゆだねて眺めると、切り立つ岩にしがみ付くように作られた建物群はまるで昆虫の営みのように見える。しばらく眺めると僕たちのホテルのあるプライアーノの街を確認し、その半島を廻ると遠くにポジティアーノらしき街が見えた。桟橋の横が、砂浜で水着姿で溢れていた。 ポジティアーノはアマルフィーより小さいが、よりカラフルである。近年、高級リゾートとして発展したようで、街には花が飾られ、アクセサリーショップやブティックで溢れている。何組もの結婚式が、教会やレストランで催され、祝福の似合う街でもある。花のトンネルの坂道を登り、店を覗いて中心に向かった。しかし、中心のような場所は無く、小さな広場の片隅の屋台でグラニータ・リモーネ（氷レモン）を頼み、一息入れた。「バス停は何処ですか？」と聞くと山の上の交差点だと教えられた。本当にイタリア人は山の上が好きである。少々うんざりしながら坂道を登ると、バス停に何人かの人が待っていた。 プライアーノとホテルの名前を運転手に告げたが、解らんと肩をすくめた。たしか街の東のはずれで、半島の手前だったようだった。曲がりくねった道を必死で景色を凝視し、何とか乗り過ごすことなく降りる事が出来た。ホテルの下には道路も看板も無いが、何かがありそうで脇の小路を下った。子供達が岩の上から海に飛び込んだりしている。案の定ホテルとレストランが何軒かあった。しかし、食事を終えて又この坂を登って帰らねばならないのかと思ったら、ここでの食事は諦めた。やっとの思いで道路に出ると上から僕たちのホテルのボーイが手を振っていた。　そんなわけで、今日もホテルでの食事になってしまった。 もちろんこのホテルの食事に不満はない。ここのテラスも最高である。ただいろいろ冒険をしたかっただけである。このあたりはレモンの産地のようで、イガイガの大きなレモンが出る。果物はどれも美味しく、デザートには女性群が大喜びだ。しかし、パスタの量が多いのと語学力が貧しいので他にあるかもしれない、珍しい食べ物にたどり着けないのがちょっと残念である。ただそんな事で僕たちのワインの量は減る事は無い。]]></description>
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		<title>南イタリア・車で周遊＜アリベロベッロ～プライアーノ＞</title>
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		<pubDate>Tue, 15 Sep 2009 04:36:20 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[日本の団体の為に朝食の時間をまた３０分遅らされてしまった｡しかし、これが普段旅行する僕たちの姿でもあるが、物凄くパワフルで何となく近寄りたくない。しかし、駐車場では出発が同じで、こんな車で好きな所を走り回っているのかと驚嘆された。ちょっと誇らしい気分で走り去った。 マテーラはサッシと呼ばれる洞窟住居のある谷あいの街と聞いている。近づいているはずなのに、何時までも続く平坦な景色にそれらしい景色は無い。グランドキャニオンのように突然に谷間が落ち込んでいるのだろうか？　想像するだけでわくわくする。土手のような小さな丘を越えると新市街に入った。マテーラには似つかわしくない景色だが中心に近づいて駐車場のビルを見つけた。管理人に「旧市街は？」と聞くと近くだと指差し、広場の一角にゲートがあると教えられた。それは防御の為か、まるで地下鉄の入り口ような何気ないゲートだった。しかしその狭いトンネルを抜け、細い石段をしばらく下ると驚くべき光景が現れた。両岸の深い谷に貼り付いたまさに、サッシ・カヴェオーソ地区と呼ばれる洞穴住居群である。異様だがこの包まれるような心地よさは何だろう。第２次大戦後南イタリアの悪夢として強制的に移住させられた時もあったようだが、近年では放置された住居に新しく住み始めている人も多いと聞く。人が住むという営みを根本から考えさせられるような空間である。 少しためらったが、遥か遠くに見える最下段まで行くことにした。やっとたどり着くと谷底の川はさらに１００ｍも下にあった。ここから見あげると、住む為になぜこんなにもエネルギーをかけるのか不思議な気持ちになる。その疑問を噛締めながら再び登リ始めた。最下部の横穴洞窟のようなカヴェオーソの住居跡に新しいベットや家具が持ち込まれ、ホテルに改造する計画が進んでいた。やっとの思いで、頂上のドーモ広場に辿り着き、いろいろな意味で歴史を蓄積する石の文化の重さと壮大さを味わったような気がする。 感動のマテーラから南に下り、川沿いをさらに西に進み長靴のくるぶしあたりの街ポテンザに向かった。もう昼も過ぎた。高速から街に下りるのも面倒だから、高速のスタンドで昼食にしようと、ＧＳスタンド脇のBARに入った。定期便の人たちが多いようでアメリカ風のワイルドな感じがとても良い。例によって皆はそれぞれパニーニにお好みのハムや野菜を注文して軽く焼いてもらい、コーラやファンタのボトルを頼んで立ち食いをした。しかし、僕はちょっと休みたいのに外は暑いくて、店には座る場所も無い。トイレから戻ったＳＩＮさんが、「後ろに木陰のベンチが有った！」と言ったが、その時はもう食事は終っていた。 再び高速を走り、サレルノの手前で、パエストムに向かって一般道を南下した。パエストムは若き日に訪れ、あまりにも壮大な遺跡に感激し、なぜこんなにも完璧なギリシャなのかの疑問に、必ずもう一度南イタリアを廻りたいと心に誓った場所である。その頃は、まだ地中海の歴史を知らずに訪れた。そして、今３５年ぶりにパエストムに立とうとしている。青春の思い出と古代への思いが一挙に駆け巡る。僕の中では今度の旅の最終目的地をここに決めていた。つまり、マグナ・グラキリアを廻る旅の集大成がここにあると考えていた。 遺跡のゲートを入ると右側に少し小ぶりのセレル神殿がある。左側の遺跡群の遥か向こうに神殿群が有るようだ。ここはセリヌンテと同じく、平地の遺跡である。古代の繁栄の後、セーレ川の堆積で沼地に埋まってしまい、歴史に忘れられ、このような完全な形に近い遺跡が残ったようだ。それぞれの遺構を確認しながら古代に夢を馳せたいがその時間は無い。神殿はどれも素晴らしいが特に中央のネプチューン神殿の堂々としたプロポーションは神殿として一級品であろう。ここの博物館はぜひにも見たかったが、暗くなって危険なアマルフィー海岸を走りたくないので、後ろ髪を引かれる思いでここを後にした。 ラッシュ時のサレルノ市内を通過したくなく、高速で迂回しながらソレント半島に入いた。すぐに大変な急斜面に変わり、これから続くアマルフィー海岸を暗示していた。このあたりに２泊して、ゆっくり廻るために駐車場付きのホテルをネットで探したが、アマルフィ付近では手頃のホテルが見つからず、少し先の街プライアーノに決めた。しかし、この海岸線は伊豆あたりの道とはぜんぜん違い、バスとのすれ違いにしばらく待たされたり、譲り合ったり大変である。なんとかアマルフィまででたどり着いた。ホテルらしい建物は崖の上下にたくさんある。しかし、そこに続く道が見当たらない。どのように行くのだろう。ナビの案内のまま半島を越えてプライアーノらしき街に入るとすぐ右に、急な石積みの坂道の上に目指すホテルの看板があった。車では登らずにフロントに問い合わせると下のグリーンの門が開いた。「バンザーイ！　これで明後日までは車の運転から開放されることになる！」　ホテルは岩に貼り付くように造られていた。 フロントのフロアーにあるレストランはテーブルに付くと海に張り出したようなオーシャンビューである。ここは海面からは１００ｍ位は有りそうだが、急斜面だから何処からでも絶景である。少しもやり始めた黄昏の海を望んで、夕食が盛り上がらないわけは無い。白ワインを飲み干し、赤に変えて、テーブルの上は海の幸である。そんな食事の中で、明日はアマルフィーから海に出てポジターノまで行ってバスで戻る案はどうかとの提案があった。楽しい１日になりそうだ！]]></description>
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		<title>南イタリア・車で周遊＜レッチェ～アルベロベッロ＞</title>
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		<pubDate>Tue, 08 Sep 2009 01:03:48 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[イタリアが大好きな僕でも、このあたりはもっと過去の遺産で生きているような気分で観光していたが、それは間違いであった。どの街もそれなりに豊で、特にレッチェやターラントには寂れた感じはない。特に強く感じたのが、次に向かったブリンディッシの街だ。僕はただアッピア街道の終着点としか考えていなかったが、その賑わいにはびっくりした｡僕とN嬢はちょうどﾕｰﾛの持ち合わせが無く、換金の場所を探し、車を市場の近くに止めて銀行に走った。だが、銀行の入店さえ大変である｡1件目は入り口で換金はしてないと断わられた。次の店では身体検査用の狭いブースに入れられ、なんとか通過するとナンバーカードをもらって順番を待つのである。やっと順番が来て、ﾊﾟｽﾎﾟｰﾄと日本円をそろえて換金を頼むと何とか証明は無いかと聞かれた。運転免許とかいろいろ出したが、埒があかない。いろいろ努力したが結局換金できずにパチンコの景品交換所のような換金屋に行くしかなかった。１ﾕｰﾛ＝１５０円ぐらいでだいぶ損をした感じがしたが、すっかりカード社会になってしまったのだ。それにしてもブリンディッシの街は活気に溢れている。残念ながらこの街の事前調査はしていなので何処に行けばよいのか分らず、そこを後にした。 次に近くのオストーニの街に向かった。小高い丘に要塞のように建てられた街はアドレア海からの海賊やオスマントルコの侵入に備えて造られている。迷路のような細い道や外部階段やバットレスなど内部と外部空間の使い方はイタリアならではの妙である｡日本の大学生がこの街を選んで調査したのも理解できる。真っ白な街角のBARでグラニータリモーネ(氷レモン)を頼み、喉を潤すと脳天がしびれた。この街の付近にはユニークな都市国家がたくさんあるのだが、その中でチェルストーニを選んだ。 チェルストーニはオストーニを少し小ぶりにした街並だが、その空間はさらに複雑のようだ。まさに”白い迷宮”といっても良いだろう。僕たちは地図を持って歩いているのに、その方向を失うほどだ。広場の近くの細い道にテーブルが並べられ、レストランになっていた。壁も床も白い空間の暑い日ざしの中ではまるでオアシスに思え、ここで昼にする事に決めた。スープが飲みたかったが、なぜかメニューには無かった。風が抜ける小路での昼食は気持ちが良い。このレストランは何軒かで共同経営しているか、あちこちの家から素材が運ばれたりして店の区画が分らない。 ロコロドンドはその名前の響きと街の形状が円形である意味がどのようなものか確認したかったが、時間の都合でパスして、今日の最終予定地のアルベロベッロに向かった。このあたりからトゥルッリと呼ばれるとんがり帽子のような石積みの農家が現れ始め、車内はそれを見つけるたびに騒然となった。最短を選んだナビは不思議な狭い道を案内する｡ちょっと振り回されたようだが、なんとかアリベロベッロの入り口のホテルに案内された。僕たちはちょっと疲れてしまい夕食はホテルで予約した。この時、８時半過ぎにしてくださいと言われ、ちょっと不思議に思った。ちゃんと理由を聞いておけばよかったが、これがいろいろの意味で失敗だった。 まだ日は充分に高く、チェックインしてすぐに街に出た。街は商業地区として計画的に造られた西のリオーネ・モンテ地区と、素朴で不規則な住居地区として造られた東のアイア・ピッコラ地区から成っている。僕たちは駐車場の脇を登ってアイア・ピッコラ地区のはずれから中心に向かった。トゥルッリの屋根と白い壁のうねる稜線は目線より低い部分も多くそのボリューム感はまるで彫刻のようであり、そのまま野山の延長のようでもある。小さなオリーブ博物館中に入るとその生活空間の快適さもうかがえた。 僕たちは中央の広場の大きな木陰のBARで休憩した。若いお嬢さんを懸命に口説いている元店主らしいお爺さんに「ジェラート有りますか？」と聞くと「シー　シニョレ！」と言って、休憩中らしい店の中の娘さんらしきおばさんに「お客だぞー！」と怒鳴って、再びお嬢さん達に夢中になった。実にほほえましい。僕の後輩の友人のＭ氏がここに住んでいる情報があって、BARのシニョーラに住所を見せると、今通てきた道の途中であった事がわかった。帰りに寄ってみよう。 道路を挟んで向かいが、リオーネ・モンテ地区であり、規模は数倍であるが、区画整理されている｡頂上付近にトゥルッリの教会があッたが、大きな空間ではやはり少し無理があるようだ。こちらの地区はやはり商業が盛んなだけあって積極的に中を見せる店もあり、日本の飛騨の白川村と姉妹提携を強調したり、中には日本人でここに嫁いでしまった人がいた。この人に友人M氏の話をすると交流が有る事がわかった。それにしてもトゥルッリ群は建築理論を超えて美しく、１６世紀にここの支配者が強制的にこの地区に開墾を目的にトゥルッリを集約させたようだが、そればかりではなかったように思う。 帰りにＭ氏を訪問すると、久しぶりの日本語が嬉しいようでとても喜んでくれた。食事の後、再び訪ねる約束をして別れた。ホテルに戻り、シャワーを浴びちょっと休憩して、してレストランに向かうと、何と２０人ばかりの日本人の団体が、食堂を占拠していて、３０分遅らされた理由を悟った｡こんな事なら外で食べればよかった。M氏に美味しい店が聞けたのに！　このホテルは日本の旅行社も使っているホテルだったのだ。この日ばかりは先客の旅行者に食い荒らされた跡の気分で、何を注文しても感激することが出来なかった。食事が終ったのが、もう１０時に近かく、女性達を残しＳＩＮさんとＭ氏宅に向かった。事情を知ったＭ氏は僕たちがツアーで旅行していると思ったらしく、知らせてくれれば良いレストランで楽しい話と美味しい酒が飲めたのにと、とても残念がった。グラッパで乾杯の時、交わしたＭ氏の指がアルコールで震え気味だったのが、少し気になったが、何時までも健康で！　サルーテ(乾杯）！]]></description>
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		<title>南イタリア・車で周遊＜トロペア～レッチェ＞</title>
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		<pubDate>Tue, 01 Sep 2009 05:55:31 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[爽快に目覚めた。もし、時間にゆとりが有ったらピタコラスが活躍したクロトーネがある最南部をゆっくり走りたいところであるが、今日は長靴のつま先から踵のレッチェまで走らねばならない。トロペアを海岸沿いに北上し高速に乗り、スッペザーノからイオニア海に出た。ここは本当にイタリアかと思うような平坦な道を真直ぐ海沿いに北上して、ターラントに向かった。 ターラントは３つの海(湖）を橋で結んだ古代では地中海貿易の要として栄えた街である。大海と小海を数珠のように橋でつないだ街で旧市街の島には要塞として使われたお城がある。お城の前の駐車場に車を停めてあたりを少しだけ散歩した。回転式のジレボレ橋を渡ると区画整理された新市街であるが、橋の袂にクレープ屋のような屋台があった。僕たちは、もうお腹がすいて何処でも良かった。ここでは向かいのBARでクレープの生地にお好みの具を注文するらしい、何種類もの野菜のオイル煮やプロシュート、生ハム、アラビアータなど戸惑ったが、何とか写真を見ながらそれぞれ注文した。 当初の計画ではターラントに数泊して南イタリアを廻る予定にしていた。しかし、先にレッチェまで行き、見たい街を縦走して短縮する案に変えた。時間が許せばこのターラントも見たい街だが、レッチェでゆっくりしたいので、すぐに出発した。しかし、このあたりは高低さが無くひたすら平坦で、水の管理さえ上手にすれば豊な地域なのだろう。だが、田畑は乾燥しているようだ。ナビはレッチェに入れてあるはずなのに、なぜかブリンディシを目指している。すこし遠回りだがこれで行こう。 レッチェの街の北側の入り口に共同墓地とサン・ニコル・エ・カタルド教会があり、まずここを見学した。二つのパティオに面して研究所のような施設が有るようだったが、奥の教会は閉まっていた。予約したホテルは南側の新都市に有るらしい。都会なのでは地下駐車場付きのビジネスホテルを予約していた。さすがにそれなりに大きな街であるが、何とかナビの指示でホテルにたどり着いた。ホテルは今までにないような大きなビジネスホテルである。まだ充分に日は高く、チェックインして、地図をもらってすぐに街に飛び出した。 地図によればホテルのあるあたりが新市街で、お城の北が旧市街のようだ。レッチェの石灰岩は加工がしやすく湿気により変色するのが特徴で独特のレッチェ・バロック様式を作り上げているらしい。新市街を抜け、旧市街に入るとお城が修理中で、右に曲がりサンタ・クローチェ聖堂に向かった。何とそこでは結婚式の最中で祝福の人たちと一緒に祝った。石造りの街の結婚式は実に美しい。僕たちは夕陽に照らされ石の色が変容する教会や裏街をすり抜けてドーモ広場に向かった。バロック様式の司教の公邸や新学校に囲まれたドーモ広場で子供達が楽しそうにサッカーをしていた。お祭にはどんな風に変容するのだろうと空想した。中心のVia Vittoria(通り）を覗きながら南に下ると円形劇場跡がある｡そろそろ７時も過ぎてお腹も減ってきた。 案内書によるとカステロ(お城）の西に美味しいレストランがあるそうで、訪ねた。中心から外れるとすぐに商店は無くなりちょっと不安になったが、なんとかレストランらしい看板を見つけた。しかし、開店してる様子が無い、通行人に聞くと確かにここがレストランで、かなり美味しいらしい。中に入ると若いボーイさんがいた。「今日は休み？」と聞くと、驚いた事に開店は９時らしく、まだコックさんも来ていないらしい。付近で２時間半も時間を潰せるわけも無く、ここは諦めた。戻りながら何軒かのレストランをのぞいたが、何処もまだ始まっていないようだった。 ちょっと諦めかけて、カステロ(お城）の北を廻った時、奥に赤いテントのバッッファローのマークを掲げた店を見つけた。「ポッソ　マンジャーレ？(食事できる？）」いかにも南イタリアの男と言う感じの元気な店主が手をぐるぐる回して「ﾋﾞｴﾆ　クイ(入れ）」と合図した。彼がまくし立てるには、毎日ナポリから肉とチーズを直送している店で最高だ！と言っているらしい。勧められるままに前菜にバッハローのモッツレラチーズをた頼んだ｡今までは豆腐のかわりぐらいしか思わなかったが、これが絶品で、思わずバッファローのステーキまで頼んでしまった。イタリアではなぜかステーキは柔らかい子牛ばかりと、魚介類が続いたので、たまには思いっきりハードな肉を食べたくなった。何故ナポリの牧場なのかわからないが、イタリアではブランドなのだろう。ナポリの赤ワインがまた進んでしまった。]]></description>
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