2007年8月31日

私の減量作戦<小山内理論> 2

Filed under: ,社長ブログ — boss @ 6:00 PM

<中間報告>

小山内理論について少し説明が必要なので、どこが気になったか、について説明と中間報告します。先生は現代人の病気のもとは生活習慣にあると断言しています。動物の本来あるべき姿から生活習慣によってゆがめられていることが多いらしい。

昭和30年代奈良県の男性は日本一胃がんが多かった。いろいろの犯人探しが行われたが、どれも憶測でしかなく、40年代になると激減した。当時、労働科学研究所におられた先生は吉野地方のチエーンソーで木を切る時に起こる白蝋病の調査で山に入られたとき、ひらめいたそうだ。このチエーンソーが普及してガンが急激に減った。のこぎりで木を切るのは一級の重労働です。それがチエーンソーにかわって労働が飛躍的に楽になったことと、もう一つは茶粥です。吉野地方では、茶粥を主食として、のこぎりを引きながら食べた。茶粥にして流し込めば大量の米が食べられます。1日40杯から120杯も食べていたそうです。物を食べると血液は胃に集まり、胃液を分泌し、消化が始まります。しかし、食べながら、あるいは食べてすぐに筋肉労働をすると、血液は筋肉に横取りされます。すると、胃液が充分分泌されずに消化不良になり、胃壁の血液循環が不十分になり、消化液によって胃壁が侵され、胃がんに移行することになります。

食後すぐの労働が消化活動を妨げ、胃を傷つける。吉野地方の林業労働者の胃がん死亡者の30%がチエーンソーの導入で減ったことで証明された。ここで連想されるのが、まだ日本人が、欧米に比べ胃がん多いのは食後すぐに働き始めることだ。特に「朝食をしっかり食べて一日がんばろう」が良くないのかもしれない。

活動の前に食事は取るな。特に、朝起きたときは、前夜摂った食事が寝ている間に消化吸収されて、エネルギーは充分蓄えられている。それなのに食事をとれば活動のエネルギーとなるブドウ糖は、筋肉や肝臓にグリコーゲンとして蓄えられているから、摂った分の食事はインスリンの力を借りてみな脂肪に変えて蓄えられる。なんと言うことだ、この理論だと私は太るためにがんばって朝食をしていたことになるのか!

これまで私の食事の信念は、どんな時も3食きっちり食べる。またちょっと食欲の無いときは塩昆布にいろいろ入れてお茶づけで食べる。これが元気の基と思っていた。お茶づけは茶粥と同じく噛まずに流し込む。胃に負担をかけて脂肪を貯めているだけだ。今回、人生初めて連続で朝食を抜いている。体調はよい。しかし、3日ほど前、友人と上野で飲んでしまった。和食だし、そんなに食べても飲んでもいないと思うが0.5kg増えてしまって、まだ戻らない。やはり体質か?

2007年8月27日

私の減量作戦<小山内理論> 1

Filed under: ,社長ブログ — boss @ 6:15 PM

恥かしながら、この春に、わが人生最大の99kgになってしまった。本人としては、過食とは思っていない。3食きちんと食べているが、てんぷらやとんかつ等の油ものは、もう何年も食べていない。どうしても食べたいときは、妻のとんかつをふた切れくらいもらうことにしている。ご飯も小さい茶碗に一杯だ。ただ、夜の会合に出歩くと0.2kgぐらい体重が増える。それを戻すのに1週間ぐらいかかる。糖尿の弱い薬は飲んでいるが、血液やコレステロールに特に異常は無い。

しかし洋服が皆着れなくなった事と、特Lコーナーしか売っていない事には困った。なんと言っても100kgの大台はショックで、アメリカ行きの飛行機も心配で、真剣に減量を考えた。時間の許すがぎりの散歩と減食で2ヶ月ほどで95kgまでは減った。しかしこの夏の暑さもあって、散歩ができず、これ以上の減量は難しく、どうしても95kgのボーダーラインを突破できない。一月も停滞するとさすがに気力も萎え始め、また逆戻りしそうな時、心配した友人のM氏が妙な事を言った。

「朝食は体に悪い。」そんな馬鹿な、どんな時もご飯だけはきっちり食べなくてはと思い、郵送された本を、懐疑的な気持ちで読み始めた。長年の調査により、体の生理学から生活習慣病を解く本で、これは体質かと考えていた私の肥満に思い当たる節があり、とりあえず朝食を抜いてみることにした。なんと、あの突破できなかったボーダーラインを2週間で2kg減量した。そして体が妙に軽くなった。この後どうなるか分からないが内容と経過は次回(1ヵ月後)に報告しよう。

<贈られた本>
新潮新書 小山内博著「生活習慣病に克つ新常識」

CGによるプレゼンテーション

Filed under: 設計 — admin @ 2:48 PM

毎回打合せ時にはプレゼンテーションにCGを使用しています。
平面図で敷地との取り合い、部屋の間取りなどをプレゼンし、
CGにより、全体のイメージと内部空間のイメージを伝えます。
当社ではSketchup Proというソフトを使用しています。
平面図をJW-CADで作り、そのままSketchupに持って行くことで簡単に3Dにすることが出来ます。

名前の通りスケッチ風のこんな画像や

素材を貼り付けることも出来ます。

もうすこし、リアルに表現するためにSuPodiumと言うソフトを使うと↓のようなことも出来ます。

最近このサイトでも御世話になっているGoogleがSketchUpを買収しGoogleSketchUpというソフトを無償で公開しています。ただし、商用利用出来ないことや、多少機能制限があります。
GoogleSketchUp英語版
初心者でも四角を書いて立ち上げることなど非常に簡単です。

2007年8月21日

アメリカンドライブ<デンバーからロス>12

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 4:56 PM

<サンディエゴからロス>

 いよいよこの旅も最終日、今晩はロスに泊まる予定だったが、このサンディエゴの気候と街がすっかり気に入った事とロス市内の高速道路の運転を考えて、ここに連泊し、明朝発つことにした。ホテルのチェックは昨日してあるので、朝からのんびりと喫煙テーブルでゆっくりと定番のコーンフレークの朝食だ。まずはウェード氏のお勧めのカブリロ岬に行ってみよう。

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 もうサンディエゴ街はナビを高速回避にさえセットすれば、スイスイである。あっという間にゲートらしき所に着いた。ここに軍港があるらしく兵隊さんが、ノーと言って通してくれず、何を言っているか分からない。地図を見ると西にもゲートがあり、そちらに回ったが、やはり停められた。今度はもう少しゆっくり聞くと、ナインオクロクなんじゃらかんじゃら・・・。そうか9時まではだめと言ってるのだ。よく見るとそこに待機所があった。15分ほど待つと彼らは、ゲートを開いて消えてしまった。

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 カブリロ岬は東にサンディエゴ湾と街、西に太平洋と言う絶景の場所にある。スペイン人のカブリロはコロンブスのアメリカ発見より50年ほど遅れたようだが、大陸に足を踏み入れた最初のヨーロッパ人であるらしい。それからたった500年でこんなにも変わるとは、誰が想像できたことだろう。ビジターセンターから少し離れた丘に今は使われていない古い灯台があった。のんびりと、やっと観光客になった気分でゆっくり廻った。昼過ぎにホテルに戻りバックの整理と緊急食にとってあったカップヌードルで昼をすませた。

 水族館と動物園があるらしいので、まずは、シーワールドに向った、広大な駐車場が車で一杯だった。たぶんデズニィーランドのようなとこだろう。入場料の高いのと、叔父さんには、かなりの違和感があったので、チケット売り場でUターンして動物園に向かった。動物園には入ったが、今日は土曜日だ。入り口から少し入ったところで、氷イチゴのようなものを売っていた、もちろん小を頼んだはずなのに、大きなカップにいっぱいだ。お腹をゴロゴロいわせながら、すっかり人ごみに酔ってしまい。喫煙所探し休憩しホテルに戻った。こんな日はじたばたせず、シャワーを浴びて中庭でぼーとするのが一番。皆でこの旅の反省会をした。

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 最後の晩餐はやはり鮨だ!サンディエゴの街をいろいろ散策しながら、再び、鮨バー「日本」に入った。面白かった渋谷系のお姉さん、今日は居なかったが、熱燗でたらふく食べ、街に出た。ふらふら歩いていると、M氏が昨日の黒い瞳のお姉さんの所でワインを飲もうと言った。もちろん反対はない。店に着くと、どこか様子が違う。黒のワンピースに黒い瞳のお姉さんが入り口の前に立って居たが、背が少し低く、なによりあの優しい笑顔が無い。しかし、あのマスターがめざとく私達を見つけ、座れと言うのでワインとコーヒーで言いかと聞くと、OKと言た。チーズなんか頼みながら、最後の夜を楽しんだ。。元気なM氏はもう一軒行きたそうだが明日は早いのであきらめた。

 翌朝は、5時に起きて、チェックアウトし、薄曇のサンディエゴを後にした。今日は日曜である。6車線もあるロスの街のラッシュは無いはずだ。運転は若いT君に任せた。日の出は見えなかったが、辺りが明るくなると気持ちも落ち着いて、あーこれで旅も終わりだと言う満足感と物足りなさが複雑に絡み合い、皆無口になった。やがて、ロスに近づくとナビは、左の海側を選択してロスの中心街を通らない。これで恐怖の6車線は通らずにすむ。ナビの言うままに進むと、あっさりハーツの事務所に到着した。誘導されるままオフィスの近くに止まり、契約書を見せ、航空会社を聞かれると荷物を持ってあのバスに乗れといわれた。これで手続きは終了らしい、あっさりしたものだ。

 M氏ははユナイッテド、私達はノースウエスト。飛行場でゆっくりと思ったが、M氏とは、「じゃあ日本で」とバスの中で別れてしまった。私達もノースウエストのカウンターを通過し、ビールで朝食をした後は放心状態でロビーで寝込んでしまった。飛行機も混んでいたこともあり、T君とは席も別で、後は眠気と気だるさだけが残る10時間のフライトだった。               完                     

2007年8月16日

アメリカンドライブ<デンバーからロス>11

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 2:22 PM

<サンディエゴ>

 日差しは、朝から眩しいが、、やはり風が爽やかだ。ホテルの中庭に喫煙テーブルがあり、コーンフレークと甘いパンをミルクに浸しながら食べる。どうしてこちらの人は、朝に塩分を取らないのか不思議だ。さて、相棒の二人には申し訳ないが、今日は、私がこの旅でもっとも期待する、ルイスカーンの設計したソーク生物学研究所の見学だ。しかし、昨日のような高速を乗り継ぐのはいやだ。よくナビを調べると選択に、最短距離でと、なるべく高速を使ってと、なるべく高速を使わないでがある。これだ!なるべく高速を使わないでセットすると、高速に乗っても、なるべく右側のすぐ出られる車線にいればよい。

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 ソーク生物学研究所はサンディエゴの北の高級リゾート地のラホーヤ岬にある。カリフォルニアの特徴的な断崖に面するコンクリート打ち放しの建物は、一見何の変哲も無い。しかし、その一本の樹木すら植えられていない中庭に足を踏み入れたとたん、哲学的な音楽が鳴り響く。繰返される45度の壁、遠くの海、真っ白いトラバーチンの床に走る一本の水。私は、かって、こんなにもシンプルで、荘厳な空間を体験したことがあるだろうか。この研究所を去るとき、ロキィー山脈から始め、グランドキャニオン、アリゾナの砂漠と壮絶な空間を体験したしながら走った今度の旅は、私の中で、この空間を以って終わる映画のように感じ、この旅行記を書く気になった。

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 近くに、カリフォルニア大学、サンディエゴ校があり、グンナーバーカーツ設計の図書館を見ようと向かった。校門に駐車して歩いたが、とても回れる広さではなかった。あきらめて帰る車の中からチラッと見かけた。ナビは、ベンチューリーの設計の現代美術館ラホーヤ分館をめざした。ここらは、ラホーヤの旧市街と言える場所で、高級なお店と住宅が並び、そんな中で、民家を改造した美術館だが、残念なことに休館だった。片隅に美術館のレストランがあったが、コースメニューが並んで、ちょっと敷居が高く、街をぶらついた。町のどこにも安そうなところは無く、2階ののテラス付きのレストランに入り、サンドイッチと豆のスープを頼んだ。背の高いウエートレスさんは、さすがプロのお姉さんの感じで夜は高いのだろうと思った。繰返すが、日差しは強いのに風は涼しい。カルフォルニアの気だるい午後のひと時だ。歩く人から、町の隅々まで、高級な感じがして、これが、アメリカのステイタスと言うものであろうか。

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 ホテルに戻り、シャワーを浴び、一休み。起きだして中庭に出るとT君コーラ飲みながら一服していた。そのうちM氏も現れ、夕涼みの反省会が始まった。6時になり貸し駐車場から車を移動し、歩いて町に出た。飛行場がすぐそこの海辺にあるらしく、すぐ上を車輪を出しながら降りてゆく。サンディエゴは大きすぎず、小さすぎず実に住み良さそうな街だ。ダウンタウンをぶらついて中華料理を探したがやはり見つからない。一昔前なら世界中どこでも中華はあったのに、どうしたのだろう。

 探しても見つからない時は、イタリア料理が定番で、黒い瞳の呼び込みのお姉さんに釣られ、彼女が立っているすぐ前のテーブルに座った。お姉さんと話しながらの食事は楽しく、鼻の下を伸ばしてワインも進んでいるのをマスターに目ざとく見つけられてしまったようだ。スパゲティーボンゴレを頼んだら、海鮮ボンゴレがうまいよときた。何が入っているか聞いたのが悪かった。イタリア語で魚介類の名前を知るはずも無い私に速射砲のように言ってきた。酔いも手伝って適当に美味しいものをと言ってしまった。特大の皿にえびや貝が山のようだ。勘定の事は気にしないで貪た。

2007年8月10日

アメリカンドライブ<デンバーからロス>10

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 6:07 PM

<アーコサンティーからサンディエゴ>

 今日は距離を走らなければならない。6時半には出発だ。鍵は部屋に置けばよい、皆の小銭を全部と別に$5札を、ドネーションしてスカイスイートにお別れした。プレスッコト経由で斜めにI10に合流するつもりだ。また一昨日のような山越えがあるとサンディエゴは夜になる。ちょっと心配だが、ナビも賛成しているようだ。コングレスまではなだらかな山道で、快適なドライブだ。しかし、最後に峠があり、下るとアリゾナの台地はここで終わりだと思わせる展望台があり、アメリカの道路の父と呼ばれる人の銅板があった。さらに下るとスキーのジャンプ台を下るような道になり、そのまま地平線まで真直ぐ続いていた。

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 それからの道は牧草地なのか砂漠なのか分からない中を、多少のアップダウンはあるものの陽炎を追ってただひたすら真直ぐに進む。これが本来のアメリカなのかもしれない。一人ではとても運転したくない。それでもいくつかの村を過ぎI10にはいった。そしてまもなく、グランドキャニオンから南下したコロラド川が州境でそれに平行して南下する道95号線に出た。行き先は国境の町ユマである。コロラド川はこの辺りでたびたび氾濫したのであろう。赤い砂の小山をかまわずに真直ぐに道は造ってあるのでまるで砂丘のコースターだ。かなり南下ると平らになったが灼熱の砂漠は変わらない。

 ユマに入るトさすがに砂漠から畑に変わった。高い椰子の木で区画しているようだ。トイレ休憩ということで、大きなスーパーに入った。しまった!大きすぎた、ここは会員制の大量仕入れのスーパーだ。ガードマンに事情を話して入れてもらったが、そのまとめ買いの凄いこと、アメリカの家の倉庫を見たくなった。出口に喫煙所があり、よほどタバコがうまかったのか、T君パスポートなどを入れたバックをテーブルに置いてスタスタ車に向かってしまった。ちょと意地悪をしたくなって、M氏と目配せしながら車に乗り込んでも彼は気付かない。昼の楽しみができたとメキシコとの国境沿いを走る高速I8に乗るとまもなく、なぜか検問のサインが現れた。そこで慌てられると困るので知らせると、T君怒ること。怒ること。申し訳ない!

 エルチェントロの町でガソリンをいれて、タコスの店に入った。さすがに国境の町は、みなスペイン語のようで、イタリア語で勝手に頼み、いろいろトッピングをしてもらいアセロラのようなジュースと豆スープをもらった。さらにしばらく陽炎を追いながら進むと、最後の峠に差しかかった。ここを越えると西海岸の涼風が吹くはずだ。しかり、山々が急に緑に変わり、素敵な別荘がちらちら現れ、研修所のような建物や、ゴルフ場も見えた。キラキラ輝く太陽は変わらなくても風が涼やかだ。これがカリフォルニアなのだ。ついにサンディエゴに入った。

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 急に4車線になり、車が増えた。ナビが納得のいかない命令を出し始めた。I8から別の道に移れという。一つ手前で降りてしまったようだ。サインがよく読み取れないのだ。住宅街に入ってしまた。この街はアップダウンの多い町で、行きたい方向へ行かせてくれない。ここは若いT君に代わって、ナビの言うとうり進もう。しばらくしてまた高速に入った。だんだんナビの命令するタイミングが分かてきた。4車線をビビッてはいけない。何とかして、エルム街にやってきた。おや、なんとここがホテルだ。中に入って駐車場の場所を聞くと、無いけれど、前の道は6時から朝の8時まで無料だと言う。仕方が無いのでそこに停めた。ホテルはシャワーとトイレが共同で学生寮のようだけど綺麗で気に入った。シャワーを浴びて外に出た。

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 ホテルは中心街の北にあって歩ける位置にあった。涼しくて気持ちが良い。黄昏時をぶらぶら中心街を抜けてダウンタウンに入った。中華を探したがなかなか無い。2件目の鮨バー「日本」の呼び込みは東洋風なお姉さんで私は日本人じゃないが中は皆日本人だと言ったので決めた。ネタは鮨虎ほどではなかったが、日本酒はやっぱりうまい。カリフォルニアロールを覚え、たらふく飲んで三人で$160そんなもんだろう。

2007年8月9日

アメリカンドライブ<デンバーからロス>9

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 2:29 PM

<アーコンサンティー>

 さすがにスカイスイートは朝が早い。朝日とともにお目覚めかと思ったら、喫煙組の二人はもういなかった。シャワーを浴びて、洗濯をしてコーヒーを飲んでいると、氷を持って戻ってきた。タバコを買いにインターチェンジまで行ってきたらしい。8時になってホールの方へ行くと職員らしい人たちがあたりの植物にたっぷり水をやっていた。食堂ではもう作業服の生徒や先生が食事を始めていた。定番のコーンフレークとパンと卵とヨーグルトに果物が少し実に質素だ。

 部屋に戻るともう洗濯物が乾き始めていた。今日は一日フェニックスで建築見学予定なので、M氏はここに残ってのんびりすることになった。T君には申し訳ないが、私に付き合うことをお願いした。まずはタリアセンウエストとナビにセットしようと思ったが、できない。グーグルで地図は分かっている。まあいいか!出発だ。フェニックスに近づくまではるんるんだった。

 近づくとこの街は思いのほか大きく、高速道路が縦横に走っていて、一番外側の高速を東に行きたいのだけれどもうまく乗れない。少々パニクリながら、なんとか環状101号線に乗った。この道が南に曲がり切ったところに、FRライトブルバードがあるはずだ。地図はアメリカのせいか、マイル表示のせいか思いのほか一区画が大きい。案内板があった!しかし曲がってから、なかなか次の案内板が見つからない。

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 あ!ライト先生の図面の四角いマークがあった。そこからは砂漠の道だ。胸をわくわくさせて、ゲートを越えた。遠くに写真で何度も見た、あのなつかしい低い屋根が見える。到着すると様子が変だ。駐車場に車がない。エントランスに立ち入り禁止のロープが張ってある。左側の工房のほうから電動ノコの音が聞こえたので覗いて、作業中の人に声をかけてみた。私は日本から訪ねてきた建築家だが、今日はどうしたのか?と聞いた。それは残念だ。今日は月に2度しかない休みの日だ。それなら近くのアーコンサンティーに行ってみなさい。いや私達はそこに泊まっている。しかも、スカイスイートだ。それはグッドだ。では私の生徒の昨年の優秀作品を見るか?はい、ぜひ。

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 それは歩いてすぐ近くの砂漠の中にあった。とてもユニークな逆四角錘のベッドだけの実験住宅だ。入り口のコンクリートに剣が刺してあった。彼の息子は映画監督で、今、日本の相馬映画祭に出品中で日本にいるそうだ。彼はとても背の高い紳士だったが、親しくなって、タリアセンウエストを少しだけなら見せてあげよう。といってくれ、事務所でなにやら相談をし、カモンといって図書館の横から中に入れてくれた。そこは、赤い絨毯のホールだった。明かり天井だったが、しっかり冷房が行き届き落ち着いた部屋だ。隣が40席ぐらいの映画スタジオでここでいろいろの映画を見るそうだ。その先は中庭で生徒の制作中の作品があり、ここまでだといって制止された。残念だが、どこも写真で繰り返し見ていたのと同じだ。悔しい気持ちはなかった。

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 駐車場で、ファーストクリスチヤン教会をセットしたらすぐに見つかった。そうか、ここは、フェニックス市ではないのだ。隣町のスコッツダーレ市で、フェニックスではナビにセットできなかったのだ。セットさえできればどんな街でもルンルンだ。地図では近く感じたがかなり走ったところにこの教会はあった。これもライトの設計だが、没後、弟子達によって建てられたと聞く、ダイナミックであるが、ディテールが甘く感じるのはタリアセンウエストを見てきたせいであろうか、晩年のせいであろうか。ただ芝生の中で熱い日ざしに深い庇は気持ちが良い。

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 M氏が待っているのでナビをアーコンサンティーにセットした。あ!アーコンサンティーは分類では市と同じなんだ。やっと、ナビの使い方を理解した気分だ。途中スーパーに寄ろうと思ったが、ナビはそっちは違うとうるさい。初めて大きなスーパーに入った。品揃えは豊富だが、なんでも1ブロックが大きい。今晩は何か作ろうと思っているが、スカイスイートの調味料は、塩と胡椒しかない。脂身の少ない丸い牛のもも肉が三切れ入ったパックがあったので、油とパンとワインをいしょに買った。野菜と果物のコーナーは広く、パックも大きい。少量の独り者コーナーがあったので刻んだサラダを1パック買った。

 戻ると、M氏はプールに入ったと言う。始めは一人らしかったが、あとから昨晩パフォーマンスをしたお嬢さん二人が来て、一緒に泳いだらしい。彼女達はプロでなくここの生徒さんたちだそうだ。私が料理を始めると屋上の植木に水をまいていた隣に住む品の良いお年寄りが、テラスでタバコを吸っていた二人に声をかけ、どこから来たのか?君達は建築家か?と聞かれ、建築家は料理を作っていると答えたら、話したい、夜にまた来ると戻られた。調味料がなかったので、、肉をたたき、日本から持ってきた塩こぶを肉の切れ目にすり込んで油で焼いた。ビールとスカイスイートからの夕日という贅沢な晩餐会である。その後、テラスにワインとおせんべい等を用意して、彼女を待ったけど、ついにお見えにならなかった。ひょとして、パウロソレリの奥さんではなかったかと悔やまれてならない。

 暗くなって昨日のように屋根やテラスに人は現れない。今日はパフォーマンスは無いんだ。飲みながら話していると、満天に星が降ってきた。あれはオリオン座、あれはシリウス、カシオペアはあれだ。という話になり、天の川はどれだ。この雲のようにちょと明るくなっているのがそうだ。T君は始めて認識したそうだ。明日はまた熱くなるだろう。

2007年8月8日

アメリカンドライブ<デンバーからロス>8

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 2:32 PM

<トゥーシャンからアーコンサンティ>

 ホテルに納得がいかないまま、再びグランドキャニオンの西ゲートに入った。いくつものポイントがあったが、ちょっと疲れた気分で、グランドビューポイントだけ見て東ゲートを抜けた。しばらくは、昨日の64号線を戻り、89号線を南下した。途中、ネイティブの遺跡であるウパッキナショナルモニュメントがあり見学することにした。ちょっと見落としそうなゲートであったが、行けども砂漠であり、なんと30キロも先にビジターセンターがあった。とろけそうな灼熱の中を見学した。100km先に遺跡に関係のある火山があるらしいが、とても行く元気はなかった。

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 このあたりで、I40に並行する州道はあのルート66だ。フラッグスタッフの町は、思いのほか大きな町で、昔は西部の中継地として栄えた町という感じがする。このまま南にI17でアーコンサンティーに向かうと到着が早すぎるので地図に森のマークがある西南の町プレスコットに向かった。素晴らしい林道で対向車もない、と思っているうち突然かなりの絶壁を下ることになった。かなり下ると水音が聞こえ、トイレ休憩にした。川原に下りると対岸の森の中から人の声が聞こえ、キャンプ場なんだ、水は冷たく美味しかった。アリゾナ州にもこんなところがあるのかと思うほど涼しくさわやかだ。さらに南下すると、素敵な別荘群が現れ始め、また両側には赤い絶壁の岩肌が見え、もの凄い景色の中を下ったことがわかった。しばらく進むと急に、道幅も広くなり町が現れた。コンビニに入り、現在地を聞くと、予定の半分も進んでなかった。いそいで、I17にコースを変更しアーコンサンティーに向かった。

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 アーコンサンティーはI17と州道69号線のジャンクションにあるが、辺りは何もない砂漠だ。日本の旧帝国ホテルなどを設計したフランロイドライトがフェニックスでタリアセンウエスト(建築学校)を作り。そこで学んだ、イタリア人で陶芸家でもあるパウロソレリが卒業後、アーコロジーの理念の基に、教育法人コンサンティ財団を設立した。賛同する仲間を集め、砂漠の中に、みずから建設し続けている複合建築体をアーコンサンティと名づけた。学生だった頃から、途切れ途切れに入る情報に心驚かせながら、いつも訪ねたいと思っていたアーコンサンティーが、今、砂漠の中に、小さな蟻塚のように見える。

 砂漠の中に小さな谷間があり、その地形を削るように建築群は建てられていた。不思議な塔の階段を3階まで上るとオフィスがあった。予約表を見せながら日本からいろいろやり取りをしたパルマさんを尋ねたが、残念ながら不在であった。与えられたゲストルームは建物群の一番下にあり、真中がシャワールームもそれぞれダブルベッドで片面はガラス張りの部屋であった。ダブルベッドに二人はさすがにつらいので、もう一部屋追加を頼みにいった。話しているうち、今日は別の人が予約していたはずのスカイスイート(空に続く部屋)が空いている事を知った。ばんざい!2泊続けてスカイスイートに泊まれる。さー大変だこの建物群の一番下から一番上に引越しだもちろんエレベーター等はない。重い荷物を持ってたどり着くとそこは天国だった。ガラス張りのスキップフロアーのリビングに二つのベッドルーム付きです。4000エーカーの砂漠に抱かれて眠ることになるのです。

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 ここは、全寮制の学校のようであり、工場のようでもある。鍛造や鋳造の鉄の工房と、陶器や木工の工房があり、駐車場にはクレーン車とミキサー車がある。ここにあるものはすべて自給のようでアイデアに溢れた造形に目を奪はれる。6時になると皆それぞれの作業スタイルのままで食堂に集まり、質素な食事を済ませていた。先生も生徒もない。もちろんゲストの私達も同じだ。ホールは3階まで吹きぬけで、いつも快適である。そうか、3階の管理部分だけ最小限のエアコンがかけられていたのだ。

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 スカイスイートには小さなバルコニーがあり、ビールで夕涼みだ。夏の砂漠は夕方から夜が実にすがすがしい。隣のアーチの頂上やそちこちのバルコニーに人が現れ始めた。皆こんな日は、夕涼みをするのかなと思ううち辺りが暗くなった。突然、前にあるはずの崖に蜥蜴や蛙のネイティヴな文様が現れ始めた。何台かの投影機で崖に写しているのだ。ガタガタであるはずの岩肌が一枚の幕のようだ。と、原始的な音楽とともに一人の女性が現れ、パフォーマンスを始めた。何台かの映写機で写し、幻想的で美しくしい影絵が始まった。もう一人の女性も加わって、さらに複雑な動きを見せ万華鏡のようにいくつも写しだされ、やがて終了した。まさに夏の夜の夢のようであった。週末に開かれるパフォーマンスの予行練習だったらしい。

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2007年8月2日

アメリカンドライブ<デンバーからロス>7

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 9:39 PM

<モアブからトゥーシャン>

朝、遅れたので、朝食の果物はもう無く、コーンフレークとパンをミルクにつけて流し込み出発した。キャニオンランスNPに191号を戻る形で向かったが、ナビのセットができなくて入り口が見つからない。仕方が無いので反対側のアーチィズNPに向かった。入るとさすがに広大で午前中にはここだけ見るのが精一杯であった。どのような自然現象でこのような形になるのか、ただ思いのほか広範囲に散らばる風化した赤い奇怪な岩の群の力強さはアメリカだなあーと思わざるを得ない。

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モアブに戻ると昼だった。昨日見つけたスーパーに入るとそこは雑貨ばかりで食料は無かった。ぶらぶら歩くとその横手に酒屋を見つけた。ビールとワインはどのスーパーにもあったがアメリカでは強いお酒はこのような特別の店で売っているらしい。早速、バーボンを手に入れた。道の反対側にピザ屋があった、昨日イタリアンであったことを思い出し、その先のサブウエイに入った。カウンターの上になにやらメニューがいっぱい並んでいるがさっぱり分からない。中ほどにミニと書いてあったので、ミニベーコンだのミニチキンだのと頼んだ。あとは指差しでサラダやマヨネーズを入れてもらった。そしてコークはもちろんSだ。ミニでないとどのくらい大きいのだったのだろう。

モアブをあとに、程よい山道をひたすら南下した。10mlぐらい毎に町があり西部劇の時代なら良い道だなと思いながら走った。モントセッロの町でガソリンを入れた。カードシステムが外に付いて無いスタンドだ、店でカードを見せてから入れるタイプだった。さらに南下するとだんだん西部劇風の景色になり始めた。ブルフの町で、163号線に乗り換えようとしたら、カーナビが真直ぐ進めと命令してくる。私達は、モニュメントバレーが見たいんだと、さらに西へ進むと彼も負けじと戻れと叫ぶ。

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そんなことをしているうち、突然にわかに雲行きがあやしくなり、モニユメントバレーで珍しい通り雨はまさに幻想的であった。しかし、そのあとの熱波ははもの凄く、車の窓を開けることもできない。だが、尿意はいかんともせず、車から降りた、サンダル履きの足が熱で痛い。尿は一瞬で消え、息をすると鼻の奥とのどが熱い。ここでもしエンストでもしたら、1時間と持たないであろう。そんな中で、ネイティブの人たちであろう。旗をなびかせ、テントの中で何かを売っているらしい。死んだ振りをしているネイティブに近付いてはいけないとウエード氏に注意されていたのでそのまま走った。ナビもあきらめたらしくおとなしくなったので地図で確認するとアリゾナに入っていた。

カエンタで160号をさらに西へ向かった。アメリカではすべての偶数の道は東西へ、奇数は南北向かっているらしい。ひたすら真直ぐの道を逃げ水を追いながら、まったく砂漠とはいえない道をひた走った。今日は気象がおかしいのかもしれない、遠くで竜巻の子供がいくつも出来そうになったが、空にはそれを成長させる異常な雲はなかった。

89号から64号に入ると国立公園のためか、家が無く、景色は一変し、グランドキャニオンに近づいた感じがした。なだらかな砂漠に切り裂かれた断崖が見える。あれはグランドキャニオンに入る支流だろう。さらに進むと登りになり、木が育ち始め、潅木の森を抜けた奥に東のゲートがあった。$25で一週間のチッケである。そこを抜けるとすぐに最初のポイント(デザートヴィユーポイント)があった。それは想像を絶する光景である。どうして、地球上でこんな造形ができるのだろう。じっと見ていると谷の底の景色が本物と思えなくなる。銀色に光るコロラド川は貼り付けたように見える。

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西に進むといくつもポイントがあったが、宿に急いだ。西のゲートの近くにホテル群があった。しかし森の中を点在する中で、私達のホテルを見つけるのはかなり難しい。簡単な地図はあったが目標物が見つからない。まず中心まで行って地図をたどろう、たどりながら進むと西のゲートがあった。そうか、ゲートの外か。それなら地図にゲートくらい書いておいてほしいよ。ゲートを出てしばらく走ると突然町が現れた。トゥーシャンの町だ。予約したホテル[レッドフェザーロッヂ」はすぐに見つかった。

困った、ここは国立公園内のためか携帯電話がつながらない。さぞかし三千代さんたちが心配していることだろう。ロッヂは綺麗だったが、ホリデイインに買収されたばかりのようで、何かがちぐはぐだ、チェクインで支払済み予約表を見せるとそれを渡してくれと言うので渡すと一部屋分のキーをくれた。2部屋予約してあるはずだと言ったつもりだが、アップステアーとかダウンステアー何じゃらかんじゃらと言われ、わからないが中が2階建てか2間続きの部屋かと思って鍵を受け取った。何のことはない普通のツインベットの部屋である。そのうちエクストラベッドが運ばれてくるではないか、とんでもない!すでに2部屋分の料金を払っているはずである。何とか美千代さんと連絡をとって交渉してほしいと思ったが、部屋でも公衆電話でも連絡がつかない。

ついに覚悟を決めた。このような場合は私の出番だ。いよいよとなったら日本語とイタリア語でわめき倒すつもりだ。始めはゆっくり!私はこの条件に納得がいかない。もう一度私が渡した予約表を見てください。2部屋分の料金を払っているはずだ。そう告げると、なにやらキーボードを操作して肩をすくめて手を広げるではないか。それが真剣に謝る態度かと思ったが、すぐに隣の部屋の鍵を渡してくれた。それだけでは、ちょっと納得がいかない。この件で私が不都合の事をしたのか、そちらがしたのかはっきり言ってくれ。場合によっては予約会社にすべて報告しなければならない。と脅したら、すべて私達の間違いです。といってくれ、やっと溜飲を下げた。あれ、こんな時は、私も英語ができるのかもしれない。

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アルバム写真CDの作り方

Filed under: お知らせ — admin @ 5:36 PM

CDの中にデジカメで撮った写真を入れていろんな人に配りたいとき、又は現場写真など各方面に配りたいとき、自分のパソコンの環境の中にボタン一発で作れるソフトが入っていれば簡単なのですが、以外と入っていません。そんなとき無料のソフトで作る簡単な方法をココに記述しておきます。

以下参照
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