宮本常一生誕100年<武蔵美の公開講座>
母校(武蔵野美術大学)の公開講座で宮本常一生誕100年が開かれることを知った。そして、講師は「東北学」で有名な赤坂憲雄先生と宮本先生の晩年の秘蔵っ子とも言って過言でないあの相澤韶男(本校の民俗学教授)先輩である。相澤さんは建築科の1年先輩であって、当時、学業というより旅好きということで、話が合い、私も誘われるまま民俗学研究室に入り浸ることになった。彼の卒業制作には1ヶ月も泊り込んで手伝い最優秀賞をもらったことや、その後、彼のライフワークになる大内村の調査の参加など、いろいろ手伝いをさせてもらった。見るもの聞くものみな楽しかった40年前の青春時代を思い出し講座を申し込んだ。
公開講座の表題「教育者としての宮本常一」を表現するために、話の内容は現代の話だが、参加者全員を当時の研究会の仲間に見立て、相澤さんが報告者及び宮本先生という二役を演じ、赤坂先生が研究員を代表して質問をする形でで研究会を復元しながら進んだ。スライドに映し出された宮本先生の柔和な顔と、先生ならそんな風に話したであろう相澤さんの声色に今となっては宝物のような時間と話であったことに気付かされた。ほんの些細なことと思えるようなことの中に自分の目と足でで比較し検討しながら捉える観察力を持つことの大切さをしっかり教わったはずなのにどこに忘れてしまったことであろうか?
話は相澤さんが中国の雲南省で見つけた粗雑な漆の椀の話から始まった。中国では基本的には椀は無かったはずだ。不審に思った相澤さんはその製造元までたどり着いたが、木地などの残骸は有ったが、すでにその工場は価格でやってゆけないのでお茶の工場に変わっていた。日本の伝統技術がどうやってここに伝わったのか、なぜ椀つくりは定着しないのか。この国では椀でなくて碗つまり磁器の文化なのだそうだ。近くの景徳鎮の話から日本の漆、特に会津塗りの話になり、塗り職人は木地職人であり同時に道具を自分で作る鍛造職人であったこと。さらに里山と村のすみわけの話になり、大内村の話になった。
当時の研究会は終わると鷹の台の駅近くの「天平」で反省会が開かれた。これがみなの楽しみで、いつも先生のご馳走であった。20人ぐらいだから店の主人も料理を作ってしまうと暖簾を降ろしてカウンター越しにいっしょに聞いていたことを思い出す。美大の生徒は良い目をもっていると眼を細くしておだてられ皆でがんばったのを昨日のように思い出す。
なんと公開講座はここも真似てあって会場の地下のお店でしっかり反省会も開かれた。久しぶりの相澤さんとの話は40年の月日を忘れる一時であった。