2008年2月27日

おじさん達のベトナム旅行 6

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 10:44 AM

<フエからハノイ>

 ハノイへは昼過ぎの飛行機で午前中はホテルでゆったりとした。ホテルはなだらかな谷間に蓮池とプールを囲んでコテッジ、レストラン、エステサロンが森の中にちりばめられている。晴れたらゆっくりくつろいで泳だりすることもできたはずだ。エントランスの周りには実演している店舗棟がいくつかあって、お土産品など見てまわった。

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 小さな飛行場から飛びたった飛行機は1時間程でハノイに着いた。朝食なしの私には、機内食のスナックサンドだけではさすがに腹が減った。しかし、バスを待たせてあるので立ち寄るチャンスが無い。高速道路を降りると街は建設ラッシュとオートバイと自転車の波で目眩がしそうだ。遠くにエッフェル塔と同じ設計のロンビエン橋が見え、まもなく旧市街に入った。蟻の行列のようなヘルメットの群れの中で車はほとんど動かない。

 ぼく達はホテルを旧市街の中にお願いした。”クウォック ホア”はまさにど真ん中だ。O夫妻は3時間ほど私用があるそうで、6時に家庭料理がうまい”クァンコムフォ”で待合わせた。荷物を降ろし、一息入れてぶらぶら歩くとちょうど良い時間に着きそうだ。

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 街に出て驚いた。店と歩道と車道の境がわからない。信号が変わると軍隊のようなヘルメットの一団が押し寄せてくる。思わずたじろいてしまうが、それではだめらしい。ホテルで注意されたことは、手荷物の注意と、道を横断するときは足を速めても止まってもだめで、相手の顔を見て、同じスピードで歩き続けなければならないらしい。10分も歩くと頭が痛くなって、喉がいがらっぽくなる。しかし、幸いなことにこの街には大きな蓮池がいくつもある。

 蓮池ほとりを歩くと、頬かむりのおばさんが七輪に小さなフライパンで何か作っている。これだ!思わず注文すると、ごつい手で玉子二つに調味料とちょっと不気味な色のソーセージを一緒に炒め、あのふんわりしたフランスパンを片隅で一緒に焼いて、縦に割って入れてくれた。うまい~!腹もすいていたし、皆で少しずつ食べたせいかも知れないが、これは絶品だった。

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 雨はなかったが、夕方になると涼しくなる。日が落ちると散歩より一刻も早くレストランに着きたくなった。”クァンコムフォ”は写真付きのの豊富なメニューが整っていて、美味しそうなものばかりだ。重いものは0夫妻が来てからと思いながら、おつまみ風のものとワインだけで、かなり盛り上がってしまた。田んぼのエスカルゴと書いてあったものが気になって頼んだら、真っ黒な大きな田螺の茹でたものだった。O夫妻が合流する頃には飲みすぎで気が大きくなり、食べ切れないくらい頼んでしまい、あとで女性群からお目玉をもらった。

 ほろ酔いで店を出て、街をぐるっと巡りながら帰った。昼ほどの二輪車の大群は無く歩きやすい。しかし、ホテルの周りの旧市街だけはは遅くまで賑わっている。中心のハンダオ通りには夜店も並び、昔の縁日のようでとても懐かしい。

 

2008年2月21日

おじさん達のベトナム旅行 5

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 1:05 PM

<フエ>

 朝食にフルーツだけをテーブルに並べると、給仕のお姉さんが何をお持ちしましょうかかと聞いてくる。ノーサンキュウと言うのがとても辛い。仲間達は玉子はスクランブルでとか五穀粥とかヌードルとか、そんなに食べるのかと思うほど頼んでいる。思わず意地を張りすぎてコーヒーまで断ったことに気がついた。

 1802年から第2次世界大戦の終了まで続いた元王朝の王宮はベトナム戦争でほとんど破壊されたが、フーン川の南の郊外にある廟や別荘は比較的に戦火を逃れているようで、ホテルの車を午前中だけチャーターし、のんびり廟を廻ることにした。

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 一番南の第2皇帝、ミンマン帝廟は軸線上に中国風の門や寺院を配列し、周りに大きな蓮池を巡らせた壮大な廟だ。小雨で早いこともあって他の観光客も少ない廟をじっくり廻った。続いて向かったトゥドォック帝廟は生前には別荘として使われたようで、蓮池にせり出した楼閣で詩を読んだり、釣りを楽しむような、日本庭園を思わせる造りで、弥生人が稲作と共にこの辺りから渡来した説もうなずける。

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 昼に市内に向かい、有名な”ブンポーフエ”の専門店の前で降ろしてもらった。海の家の休息所のような店で何の飾りもない。一品だけの専門店なのでメニューも無く、テーブルに付くとバナナの皮で包んだちまき風な餅菓子が出た。しばらく待つと、店先でことこと煮ている牛筋スープに太い米麺と香草野菜を入れたどんぶりが出る。これがシンプルでまことに美味しい。200円程だったような気がする。

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 フエでは旧市街のような場所は見当たらず、区画整理された広い道を王宮に向かった。フーン川の対岸に、巨大な堀と城壁に囲まれた王宮がある。城壁の中に内堀があり、橋の向こうに宮殿の門がある。ここに登り、小雨の行過ぎるのを待った。王宮を眺め、地図を見て唖然とした。なんということだ!復元されているのは広大な敷地の一部で、ほとんどは廃墟のままである。ユネスコの支援で復元しているらしい、何年かかることだろう!

 復元工事を眺めながら東門に出て、右折したら宮廷博物館があった。四方をガラスの格子戸で囲った寺のような木造建築で、床だけ張り替えて博物館にしている。広縁の片隅で、昼にもらった餅菓子を開いた。外堀の城門を出て、東に進むと、そこが大きな市場だ。もの凄い雑踏で、休む場所もない。仕方がなく、長いチャンティエン橋を再び渡った。橋の下にガラス張りのレストランを見つけ、皆で暖かいジンジャーティーなどを啜って、暖をとった。

 夕食は、市内の”トロピカルガーデン”にホテルで担当の女性と相談し、食べたいメニューを指定して予約してある。系列の店で、9時には循環バスが迎えに来るそうだ。少し早いが5時半に店に入った。名前のとうり、今日のような寒い日は似合わない夏向きの造りの店であったが、民族楽器のバンドも入り、さすがに、良い店だ。フエでの心残りのメニューを食べ尽くし、最後は特製火鍋で満足した。何本のワインを空けたかの記憶は無い。

2008年2月18日

おじさん達のベトナム旅行 4

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 10:30 AM

<ホイアンからミーソン遺跡そしてフエ>

 8時半にホテルを出発し、マイクロバスで50kmほど西のトォウボン川上流、ミーソン遺跡に向かった。市内を抜けるともう広い道はない。道路沿いに造られた新しい民家はレンガとコンクリート造の3~4階建で、間口がホイアンと同じで3間(5m)くらいの細長い町屋造りばかりだ。山道になるともうちゃんとした建物は学校だけで、道と庭と住宅との境のはっきりしない建物も多い。ただ、どんな家にもテレビの青白い光だけは垣間見える。

 山道をさらに登って、ミーソン遺跡のゲートに着いた。4世紀から13世紀頃にかけて、チャム族がチャンバ王国を築き、ここを聖地としてシヴァ神(ヒンドゥー教)を祭って70もの伽藍を造った。20世紀になってフランス人によって発見されたが、そのほとんどをベトナム戦争によって破壊された。現在、遺跡はいくつかのゾーンに分けられ、いまだ不発弾の撤去が進まずその1つのゾーンしか見ることができないらしい。そんな説明を受けて山にを登った。晴れていれば爽やかな避暑地のような気分になるに違いないが、入り口にあった胸の高さほどの不発弾を心の片隅に追いやることができずに歩いた。

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 重い足取りで、しばらく行くと雨上がりの森の中から軽やかな民族音楽が聞こえ、細い柱とと草屋根の教室のような建物が現れた。惹きつけられて覗くと、真っ赤な短い民族衣装と金の冠の若い三人の女性が東南アジア特有の体の動かし方で、踊っていた。正直、このような踊りの映像や彫刻はたくさん見たが、動きが不自然に思え、今まで、こんなにも爽やかなエロスを感じたことがなかった。アーサーラのメロディと眩しい肢体が重かった僕の気持ちを少し軽くしてくれたようだ。

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 そこの丘にアンコールワットやボロブドール等を連想させる破壊された塔と散乱する石柱があった。なんと無残なことだろう。わずか40年前には荘厳な伽藍であったはずである。不思議なことに、残されたレンガの塔の初期に積れた部分はカビや苔が生えず、後から補修された部分は黒く腐食している。初期のものは積む時の接着剤がレンガと同質で水を溜めないようで、まだその技術は解明されてないらしい。高温多湿を知り抜いた民族であったようだ。見渡すと、辺りには爆弾で飛ばされたままの穴がいくつも空いている。

 小雨の中をダナンに向かった。ここでは、どうしても二十歳の多感だった頃を思い出す。キューバ危機を脱出したケネディー大統領はベトナムから撤退すると宣言したのだが、その年の秋に暗殺された。変わったジョンソン大統領はまもなくダナンに海兵隊を上陸させ空爆を開始した。学生運動も激しかった頃で、このニュースはぼく達の暗い気持ちをさらに重くした。40年経ってもあの戦争は何だったのだろうという疑問は消えない。すっかり新しい街に復興しているダナンに戻り、破壊された彫刻群を集めたチャム彫刻博物館を見学した。管理のためのシャターはあるが、入り口以外、建具のない黄色い神殿造りの爽やかな博物館で、少し救われる思いがした。遅れたが昼食は、岬の長いトンネルを越えたフエ側の海鮮料理が美味しいラグーナ(潟湖)で摂ることにした。

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 フエの街から少し離れたピグリミッジ ビレッジは、四つ星の立派なリゾートホテルだ。到着すると素敵な女性が担当に付いて、24時間なんでも言って下さいと案内された。どうして格安旅行でこんなホテルに泊まれるのだろう? 交渉してくれたW氏に感謝! 最低一週間は泊まりたいホテルだ。ビレッジの中には店舗やレストランやバーがいくつもあり、何種類ものエステやマッサージサロンがあるらしい。食事も上品で美味しかった。

 

2008年2月12日

おじさん達のベトナム旅行 3

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 3:03 PM

<ホイアン 午後>

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 旧市街で、手ごろな食堂を見つけた。昨晩のレストランのような感じで、メニューも似ている。注文にもなれて、野菜を中心に一品料理を二人前づつ頼み、それぞれ好みのヌードルを頼んだ。うん~ 昨晩より上品な味付けだ。皆でチリワインをまわしてご機嫌になった。午後は足首を痛めたMさんと、病み上がりを押して参加しているO氏夫妻の三人と、嬉しくて、少しぐらいの雨なんか屁でもない、好奇心いっぱいの四人に分かれ、3時に日本人橋で落ち合うことにした。

 ぼく達は、もう少しこの街の裏方が知りたくて、とりあえず北に向かった。車が走るチャンフンダオ通りが旧市街との境界であるらしい。通りを越えた新しいホテル街のハイバーチェン通りには新鋭の芸術家たちの画廊があると聞いていたので廻ってみたが、よく分からない。パン工場で釜だしのあのふんわりしたフランスパンを譲ってもらい、はしゃぎながら食べ歩くおじさん達の姿は異様に写たに違いない。しかし、この街の元気のよさは眼を見張るもので、この地区のビル建設と交通のラッシュは、世界遺産との融合に苦しむ街造りの難しさを垣間見せている。

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 日本人橋に戻り、西側の中国人街に向かった。東とは少し雰囲気が違って落ち着いた街並だ。少し先で道の真中にレールを引いてアメリカの往年の美人スターが撮影をしていた。そこを抜けると両側はもう画廊とお土産屋ばかりだ。雨が激しくなってシルク屋の軒先で雨宿り。しばしの休息の後、前の小路に入って行くと趣が違う高級住宅群があった。その一角にクラフトセンターの看板を見つけ、小さなゲートをくぐると学校のような大きな広場に出た。陶芸の釜や草屋根のシルクの工房等が稼動しながら点在し、販売棟もある。ホイアンの新しい形を模索しているようだ。広場の先は正門のあるチャンフンダオ通りで、右に曲がり、最初の狭い路地を再び旧市街に分け入った。

 3時に集合し、近くのアルコールもあるスィーツの店で、今日のこれからを相談した。皆の意見としては、「充分歩いたのでホテルに帰って食事をする。」であるが、黄昏からの、できれば満月のホイアンを見たかった僕は、わがままにも、「ここに残って食事をしたい!」と言ってしまった。結局、荷物を置いて戻るW氏と二人だけは街で食事と云うことになた。ごめんなさい~

 一人になると放された犬のように小雨の中を、行き止りや折れ曲がった路地を歩き回った。何気ない古井戸や塗りこめられた窓の跡、晴れていたらお年寄りが居眠りしていそうなベンチ、そんなものが置かれている場所を見るのが嬉しくて仕方ないのだ。こんな時だけは我ながら元気だ。街のあちこちのランタンに火が灯り始めて、W氏と合流した。

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 とりあえず二人で、黄昏の旧市街を市場に向かった。しかし、その喧騒とテントからもれる雨水で、とても買い物ができる状況ではない。はじき出されるように再び旧市街に戻り、レストランを探した。結局、本にある橋の袂のソンフォアという名の高級店を探した。どうも、SAKURAと名前に変わっているようだ。日本名がちょっと気になったが、ここに入った。。小窓からトォボン川の見えるテーブルに案内され、とりあえず、海老と魚の一品料理を注文した。いやはやこの料理の美味しいこと、わずかに日本の香りもして、世界レベルの味といえるだろう。こんな料理にこそフランスワインだ! 聞くと、日本の資本が入って名前が変わったようだ。たしかに、バーカウンターには日本酒や焼酎が並んでいる。 

 満足して外に出ると増水して川辺の道を浸し始めている。上流ではそんなに降ったのかな?なんて浮かれながら、もう一軒、いい感じの川辺の店に入った。強い地元の酒はないかと聞くと、ライスワインがいいと勧められた。米のウォッカのようだ。隣の客はスイス人で、、ビールを飲んでいた。恋人同士でこんな旅を続けられる事が羨ましい。気が付くと道はすっかり冠水して、歩石を渡りながら帰るしかない。しかし、不思議なことに誰も慌てる様子はない。雨も上がり、ランタンがぶら下がる街を傘を杖に歩いて帰った。

 そうだった!今日は満月のはずだ。そして、今は大潮で満潮なんだ。こんな時、大雨が降ったら・・・ ホイアンの重大な問題をまた一つ見つけた。トォボン川の土砂の堆積は港の機能を奪っただけでなく、たびたび起こる洪水もこれが原因かもしれない。

 

2008年2月6日

おじさん達のベトナム旅行 2

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 3:28 PM

<ホイアン 午前>

懐かしい焼玉エンジンの船音で目がさめた。ガラリを開けテラスに出るると、川にはもう何十艘もの艀が人や自転車やいろいろな品物を積んで行き交っている。朝早くから元気な街だ!しかし、残念なことに空はどんより重たい雲が垂れている。

シャワーを浴びてレストランに向かうとバイキング式で美味しそうな食材に溢れている。これが問題である。小山内式減量法を実践し、朝食を抜いている僕にとって、これはまさに地獄だ。ヨーグルト一つ持って果物のテーブルに向かい、マンゴとドラゴンフルーツを2切れとパッションフルーツを取ってテーブルに向かうと、悪友達がおかゆやヌードル、点心風のナンじゃらはどうだとか誘惑してくる。もう半年もがんばっているのだ!これきし!

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皆で傘を持って街に出た。橋の向こうに旧市街を見渡した時、陽炎の立ち昇る中のホイアンしか頭の中になかった僕には、まだ日本の街のような気がしてならない。橋を渡ったすぐ左に屋根付きの日本人橋がある。15世紀滅亡したチャンパ王国にかわり広南元氏がホイアンに拠点を作り、広く国際貿易を行った。日本人も17世紀の始め朱印船の交易で栄え、1635年鎖国令が発せられるまで、約35年の間に数百人も住むようになたらしい。短い期間でもその歴史の創世の頃には強い影響を与えることもあるらしい。

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ホイアンの商家は木造で間口が3間というか、3スパンで奥行きが長く、両側の壁はレンガで共有したり、独立したりしている。日本の町屋建築にも似た集落は東アジアの最大の木造建築群であるそうだ。柱や梁の材料はチーク材に似た油性の多い硬くて重い材だ。高温多湿にはとても強そうで、よく見ると、母屋などの下地材や建具など仕上げ材も同じ材のようだ。しかし、日本の木と一緒に考えてはいけない部分もある。とても簡単に鋸で挽けそうにない材料は、むしろ石を加工するより簡単と考えた方が良い材料かもしれない。そうはいっても日本式架構は随所に見られる。

驚いたことに、住宅の中に建物の壁に何本も線が引いてあって、最近の年号もいくつも書いてある。洪水の喫水線で、特に去年はひどく、背の丈以上もあったようだ。店の中心の天井には半畳ほどの開口部があり、明り取りをかね、洪水の時はここから商品を持ち上げ非難してるそうだ。

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街並はアーチのバルコニーを付けたフランス風と、軒先を深く絞ったアジア風(日本風)に分けられる。中の造りは同じと思うが、ファッサードは明らかに違う。しかし、高貴な色として、共通に塗られた黄色い塗料が、それらを心地よいバリエーションにしている。古い写真を見ると、必ずしも全部黄色に塗られた様子は無い。案外、世界遺産にする前後にすべてを塗るように指導されたかもしれない。しかし、この高温多湿の気候はどんな壁もすぐに歴史の中に黒カビといっしょに塗り込めてしまう効果がある。

旧市街は車両の進入は禁止となっている。それでも道の真中を歩くとすぐにオートバイや自転車に追いたてるられるが、道巾と高さが実に気持ちが良い。町じゅうに本物にはほど遠いが、可能性を感じる民芸品や芸術品が溢れている。僕たちが入った画廊喫茶もおよそ店の程をなしていなかったが、並んでいる大理石の彫刻はスイス人の旦那の作だそうだ。近くに良質な採石場があるらしい。今日は平日でオフシーズンしかも小雨にもかかわらず実に活気がある。危なさも感じないわけではないが、世界遺産を上手に飲み込んで新しい街に変わろうとしている。

2008年2月1日

おじさん達のベトナム旅行 1

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 5:39 PM

<成田からホイアンへ>

 いつものわがままな建築家のおじさん達とその連れ合い7人で、こんどはベトナムに向けて出発した。

 寒い冬の朝の成田から 乗り換えのため30度を越えるホーチミン空港を出た時は、「ベトナムに来た!」と、ちょとはしゃぎたくなる気分だった。そして、ダナンまでは黄昏時の雲海の中での飛行だ。空港に到着したときはすでにあたりは暗かった。予約してあったマイクロバスで真直ぐ50kmほど南のホイアンに向かった。残念なことに、暦を見て、明日と思っていたホイアンの満月のお祭りが 昨日の日曜日に終わってしまったらしい。いくら商業ベースといっても このような事は暦どうりに続けてほしいものだ。

 時間も遅いので、大衆食堂に案内してほしいと頼んだ。1時間ほど走ると暗闇から突然、歴史のありそうな街並が現れたと思ったら、そこが旧市街だ。車は入れないので歩いた。ほんの100mぐらいだが、いきなりこの旅のクライマックスがきた感じだ。入り口が開放された40席ぐらいの店で、メニューには揚げ春巻き、海老のすり身を米紛の皮に包みを蒸して並べたWhite Rose、ホイアン名物の汁無しうどんカオラウなど本などに紹介されているものは皆そろっていて、鳥のから揚げ風のものを加えて 2人前づつ頼んだ。薄味で、ライム付きの塩や唐辛子の入った酢、練り味噌唐辛子と魚醤などを好みで入れてかなり美味い。量も多すぎず、ぼく達には合うようで、大感激だった。ただ、これからじっくり楽しもうと思っていたものが初日に全部出てきてしまったのが ちょっと調子抜けした気持ちした。

 ホイアンでの宿は旧市街の中心で1番古い<ヴィン フン ホテル>の予定だったが、新年には終わる予定だった改修工事が、まだ終わってないらしい。しかたがないので、旧市街から500mくらい南のトォボン川の島にある系列で三ツ星の<ヴィン フン リゾート>に変更になった。旧市街の夜を見たい僕にはちょっと残念だが、女性も多い今回の旅行ではそれも良いと思った。

 ホテルは芝生の中に フロント、食堂、プールやコッテジが点在する典型的なリゾートホテルである。チェックインして与えられた部屋は4室で1棟の平屋建ての南国風スタイルで、天井が高くかなりいい感じだが、どこか完全に決まっていないのがおもしろい。まず、明るくならない照明計画。家族で入れるような大きなバスだが4室同時にお湯を入れたら冷たくなって暖かくならない ets… 折り戸式のガラリ戸を開くとテラスがあって、遊歩路の向こうはトォボン川だ。暖かくならないシャワーを諦めてテラスで涼んでいると隣室のW氏も出てきた。奥さんがシャワーと格闘しているらしい。声をかけて、そのまま二人でテラスから散歩に出た。芝生の中に草屋根のバーカウンターがあるではないか。メンバーで一番酒好きなO氏が体調崩したため、今回の旅で気分が良いと酒が必要なのは我ら二人だけのようだ。疲れた体にウイスキーを流し込むと、これから始まる旅に思いをはせ胸の辺りが熱くなった。

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