2008年3月11日

おじさん達のベトナム旅行 8

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 4:40 PM

<ハノイからタムコック>

 今日だけは晴れてほしかったのに・・・ 雨は考えずにタムコックの観光を予約してしいた。最終日でこのまま着替えるのは難しく、濡れ鼠で飛行機に乗らねばならないかも知れない。だが、とりあえず朝早く荷物だけホテルに預け、チェックアウトしてマイクロバスでタムコックに向かった。相変わらずの雑踏を何とか抜け、しばらく小雨の煙る市街地を突っ走った。重たい気持ちは皆を寡黙にする。

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 タムコックはハノイの130km位南にある。この時期は3毛作の1回目の田植え前の水田で、道路と住まいだけを残し、あたりが水没しているように見える。道路は中央の4mほどしか舗装してない。残りの1mほどを自転車が走り、車がすれ違うときに片方をその道に脱輪させながら進む。道路の隣には必ず運河が平行し、達磨船が走っている。この辺りでは重量物の運搬はトラックより船が主役なのだ。反対側は道路より低くい前庭で、畑の苗作りなどの作業と子供や鶏の遊び場だ。住まいはその先から始まり、中庭があって倉庫らしき建物がある。その先は見渡す限りの田んぼだ。住まいは基準があるらしく、みなホイアンと同じく、間口は5mくらいで、3~4階建てのレンガとコンクリート造で3階にはバルコニーのある家もある。

 タムコックに近づいたが、車はさらに1時間ほど南のゴシック建築があるというファットジェイムに向かった。たしかにこのあたりの集落の中心には立派な教会がある。この時期、道路脇の墓地は水没しているようだが、十字架が掲げられている墓も多い。ベトナムの2割はクリスチャンと聞く、このあたりが特に多いのだろう。突然、ヨーロッパ風の寺院の前で降ろされた。観光客は皆無だったが、立派な伽藍だ。鐘楼は完全な石造だった。寺院の妻側だけが本格的なゴシックの石造りで、本体は立派な柱が林立する木造大架構の建築である。このベトナムゴシック建築はかなり荘厳で、もっと評価されても良いと思う。残念ながらこの写真は無い。

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 タムコックに戻り、昼食をとった。いよいよ船による見学だ。幸い雨は落ちていない、しかし風は冷たい。船はささ舟のようで、魯と舵と客は二人で乗って1時間半ほどの行程だ。たしかに陸のハロン湾といわれるだけの幻想的な景色の中を、手漕ぎの小舟で三つの岩窟をぬけて廻るのは素晴らしい舟旅だ。舳先に座った私は寒さに震えながら、この幽玄の中に溶け込んでしまいそうな気持ちになった。

 濡れ鼠は免れたが、すっかり冷えた体で帰途についた。ハノイ着いた時はもうすっかり暗く、お腹もすいた。最後の晩餐はあの蓮池の辺のホーの美味しいモダンな店に決めた。心置きなく満喫し、ワインの美味さをかみしめた。飛行機は深夜に出発と聞く、心地よい疲労でよく眠れるだろう。ホイアンから始まった旅は長いようだが、あっという間に過ぎてしまった。ベトナムはいろいろ考えさせられることも多いが、私は好きだ。汗の滴る頃、再びこの地に立ちたいと強く願う。                    完

2008年3月6日

おじさん達のベトナム旅行 7

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 4:41 PM

<ハノイ市内の散策>

 旅もいよいよ終盤に近づいたが一向に晴れる気配は無い、しかし雨の心配もなさそうだ。また市場を中心に買い物などしたいグループと、街を歩きたいグループに分かれた。

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 街を歩きたい3人は、まず旧市街の朝の雑踏の中をオートバイと自転車を避けながらロンビエン橋を目指した。橋はとても古く、細い鋼材とリベットで組み立てられている。鉄道と二輪車しか通さず、歩道とは言い難い渡り廊下のようなものが付いている。意を決して渡り始めたが、ホン河は思いのほか大きく対岸はかすんで見える。どぶ板のような床板はあちこちのコンクリートが欠けて下が覗く。しばらくしてこの橋にはあまりにも不似合いで重そうな列車が来た。大丈夫かと不安になり、気持ちも萎えて引き返した。

 袂のロンビエン駅に到着した列車から溢れ出した人々は、市場に向かっているようだ。南がハノイで一番大きいドンスアン市場だ。乾物から衣料品など、3階建ての建物にどうやって運び入れたのだろうと思うくらいの商品と、それに群がる人々はまさにハノイの心臓部だ。鉄道を北に横断し、ホーチミン廟に向かった。街の様子が変わり広々とした並木道にゆったりした建物が並び始めた。黄色に塗られた外壁に緑のガラリ戸の立派な建物は官庁らしい。

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 突然、格子状にペーブされた広大な広場に出た。中心の廟のような建物に向かったら、遠くから拳銃を持った兵隊が中に入ってはだめ、廻れと合図している。初めて社会主義の国に来た不安を感じた。遠回りして入り口に向かうと並ばされ、穴だらけのジーンズ姿のアメリカ人らしい娘さんが列から外された。2~30人集まると検問所を通され、携帯電話とカメラを取り上げられ、また並ぶ。さっきの娘さん達は腰にスカーフを巻きつけて並んでいる。兵隊に先導されて廟に向い、整列と、私語を注意され敬礼して中に入った。通された薄暗い部屋の中心にスポットで照らし出されたホーチミン氏が今にも起き出しそうな姿で兵隊に守られ安置されている。これが社会主義の大切な儀式なのだと考えた時、あの元王朝とどこが違うのかと思った。

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 廟を出ると荷物の返還があり、裏に蓮池とホーチミンの館があった。池の対岸に電話だけで何の飾りも無い、庶民には嬉しい風通しの良い木造の小屋があった。ベトナム人に愛されたホー伯父さんはマルクスを勉強したかもしれないが、たぶん社会主義の人ではなかったのではないか。あの廟の己の姿をけして喜んではいない気がしてならない。

 ハノイ駅の付近のレストラン街で不思議な火鍋屋さんを見つけた。大きな広いつばに魚介類や肉をいっぱい載せた鍋と、SUSのバットに山のように盛った野菜と麺を、煮立った中に落としながら食べる鍋だ。中のスープはつみれ、豆腐、里芋、パイナップルなどが醤油ベースで味付けてある。料金の割には豪勢な鍋で、隣の学生さん達も楽しそうに鍋を囲み、昼からウォッカなんぞ飲みまわしている。今日は日曜日か!

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 駅を廻って、電気街を抜けると、ホアロー収容所跡があった。フランスや日本、、北ベトナム統治時代などの複雑な背景を書いた英語の解説は今一つ理解できなかったが、やはりこの国の反戦の叫びにはリアリティがある。

 再び蓮池を廻り、水上人形劇場を覗いてみた。12世紀頃からあったものらしく、娯楽の少ない田仕事の中で伝えられた大衆芸能だろう。話はシンプルでアクロバチックで誰にもわかる。昔、神社でやってた神楽のようで、音楽もあまり違和感が無く懐かしさを感じた。

 夕食は旧市街のはずれの地酒バーの”ハイウェイ 4”に決めた。2階に通されると暗めな店内の木部は黒く塗られ、小上がりに低いテーブルが両側に並び、まるで少し前の日本の居酒屋だ。7時ごろには若者で満席になった。隣はどこかのお嬢様の誕生パーティーらしく、主賓の子にどんどん花束が届く、ついに本命らしい男子が直径50cmもの巨大なブーケのように作ったバラの花束の贈呈で、店じゅうから拍手が起こった。それにしてもずいぶん張り込んだものだ。

 

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