イタリア放浪時代 9<ペルージアへ>
あんなにも憧れたイタリアでの1日目は、場末のラブホテルで一人目覚めることになってしまった。もう憧れもくそも無い、何がローマだ! ただ一刻も早くここを離れたく、逃げるように外に出た。重いバッグを引きずって、朝の喧騒のあるほうに向かうと駅舎が見えた。近づくと映画でお馴染みの古い建物の前に流れるようなガラス張りの屋根が現れ、あれがテルミナ(終着駅)だ。中に入るといろんな映像が浮かび、落ち込んで混乱した頭の回路がすこしづつ廻り始め、やっと落ち着いてコーヒーとサンドを頼んだ。
さて、どうやってペルージアまでたどり着けばよいのか。たしか地図ではふくらはぎのあたりだったが、皆目見当がつかない。こんな時日本だったらどうするだろう。そうだ時刻表だ! 思いついたら、もう辞書を取り出して調べ、隣のキオスクでオラリオ(時刻表)ください、と叫んでいた。1000リラほどで、読み方は同じだった。ペルージアまでの直通はなく乗り継ぎが必要らしい。急行には何か難しい印がついていて、料金が解らない。急ぐ旅でないし、鈍行で行こう。切符を買う時、フィレンツェ行きに乗って何とかで乗り換えろと言われたようだが聞き取れない、切符を見せれば何とかなるだろう。
ローマは終着駅なので駅舎のホールから何十本ものホームが始まる壮観な駅だ。何とかフィレンツェ行きを探し、飛び乗った。列車はシベリア鉄道のように6人掛けのコンパートメントですいている。出発時間が15分も過ぎているのに何のアナウサーも何も無い。間違えたかなと思って、隣のボックスに聞きに行こうとしたら突然ベルが鳴って、動き出した。これがイタリア時間と言う奴だ、と妙に納得をした。しかし、停まる駅のアナウスがまったく無いのは困った。時刻表が無かったら現在地が分からなくて大変だったと胸をなでおろした。
乗り換えの駅が心配で、そろっそろと思う頃は必死だ。どの駅も駅名板が小さくて見難いのだ。しかし、さすがに乗り換え駅に近づくとアナウスはあった。ちょっとサービスが悪いだけで、これも含めてイタリアなのだ。こんなことには早く馴れなくてはと思った。何とか乗り換えて、あとはペルージアまでかなり有る。ほっとした気分で景色なんか見る余裕が出た。季節は麦秋で、平地は黄緑から黄金色の縞模様だ。なだらかな山間は葡萄とオリーブ畑で、ところどころの丘の頂には石垣と教会の塔等が見える。これだ!この何千年もの時を越えた豊饒こそが僕の見たいイタリアだ !
あんなに落ち込んでいた気分もすっかり晴れて、ペルージアに着いた。あれ!もっと大きな街かと思ったが、広場に面して普通の家がパラパラとあるだけだ。パンフレットのような家はどこにも無い。そうか旧市街は山の上にあるのだ。30kgの荷物を担いでどう行けばいいのだ。ひとまず駅舎に戻った。と見ると、二人の娘さんが途方にくれた面持ちで、なにやら調べている。大きなASEのバックにアリタリア航空のベルトを巻いて、どう見ても日本人だ! こちらに気づくとかなり安堵した顔で寄って来た。ちょと意地悪がしたくなって、 ニィハオ Are yuo Chineses? と聞くと No ! と言ってかなり気落ちしたようだ。 彼女達もここまでたどり着くのにいろいろあったのだろう。 日本人だよ! と笑って言ったら、半べそで抱きついてきた。
3人で旧市街に向かうわけだが、これから先は旅行記と言うより生活記になる。続けて書くためにはプライバシーや感情の問題などを整理しなければならない。僕も青春を振り返るのが楽しくなってきた。いずれ書きたいと思うが、しばらくは中止する。