2008年6月16日

イタリア放浪時代 9<ペルージアへ>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 12:56 PM

あんなにも憧れたイタリアでの1日目は、場末のラブホテルで一人目覚めることになってしまった。もう憧れもくそも無い、何がローマだ! ただ一刻も早くここを離れたく、逃げるように外に出た。重いバッグを引きずって、朝の喧騒のあるほうに向かうと駅舎が見えた。近づくと映画でお馴染みの古い建物の前に流れるようなガラス張りの屋根が現れ、あれがテルミナ(終着駅)だ。中に入るといろんな映像が浮かび、落ち込んで混乱した頭の回路がすこしづつ廻り始め、やっと落ち着いてコーヒーとサンドを頼んだ。

さて、どうやってペルージアまでたどり着けばよいのか。たしか地図ではふくらはぎのあたりだったが、皆目見当がつかない。こんな時日本だったらどうするだろう。そうだ時刻表だ! 思いついたら、もう辞書を取り出して調べ、隣のキオスクでオラリオ(時刻表)ください、と叫んでいた。1000リラほどで、読み方は同じだった。ペルージアまでの直通はなく乗り継ぎが必要らしい。急行には何か難しい印がついていて、料金が解らない。急ぐ旅でないし、鈍行で行こう。切符を買う時、フィレンツェ行きに乗って何とかで乗り換えろと言われたようだが聞き取れない、切符を見せれば何とかなるだろう。

ローマは終着駅なので駅舎のホールから何十本ものホームが始まる壮観な駅だ。何とかフィレンツェ行きを探し、飛び乗った。列車はシベリア鉄道のように6人掛けのコンパートメントですいている。出発時間が15分も過ぎているのに何のアナウサーも何も無い。間違えたかなと思って、隣のボックスに聞きに行こうとしたら突然ベルが鳴って、動き出した。これがイタリア時間と言う奴だ、と妙に納得をした。しかし、停まる駅のアナウスがまったく無いのは困った。時刻表が無かったら現在地が分からなくて大変だったと胸をなでおろした。

乗り換えの駅が心配で、そろっそろと思う頃は必死だ。どの駅も駅名板が小さくて見難いのだ。しかし、さすがに乗り換え駅に近づくとアナウスはあった。ちょっとサービスが悪いだけで、これも含めてイタリアなのだ。こんなことには早く馴れなくてはと思った。何とか乗り換えて、あとはペルージアまでかなり有る。ほっとした気分で景色なんか見る余裕が出た。季節は麦秋で、平地は黄緑から黄金色の縞模様だ。なだらかな山間は葡萄とオリーブ畑で、ところどころの丘の頂には石垣と教会の塔等が見える。これだ!この何千年もの時を越えた豊饒こそが僕の見たいイタリアだ !

あんなに落ち込んでいた気分もすっかり晴れて、ペルージアに着いた。あれ!もっと大きな街かと思ったが、広場に面して普通の家がパラパラとあるだけだ。パンフレットのような家はどこにも無い。そうか旧市街は山の上にあるのだ。30kgの荷物を担いでどう行けばいいのだ。ひとまず駅舎に戻った。と見ると、二人の娘さんが途方にくれた面持ちで、なにやら調べている。大きなASEのバックにアリタリア航空のベルトを巻いて、どう見ても日本人だ! こちらに気づくとかなり安堵した顔で寄って来た。ちょと意地悪がしたくなって、 ニィハオ Are yuo Chineses?  と聞くと  No ! と言ってかなり気落ちしたようだ。 彼女達もここまでたどり着くのにいろいろあったのだろう。 日本人だよ! と笑って言ったら、半べそで抱きついてきた。

3人で旧市街に向かうわけだが、これから先は旅行記と言うより生活記になる。続けて書くためにはプライバシーや感情の問題などを整理しなければならない。僕も青春を振り返るのが楽しくなってきた。いずれ書きたいと思うが、しばらくは中止する。

2008年6月10日

イタリア放浪時代 8<ローマで>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 11:34 AM

 予定どうり9時にローマに着いた。緯度のせいか、夏時間のせいか、まだ少し西の空が赤い。この空港をレオナルド・ダ・ヴィンチ空港と言うらしい。不安だったバックは受け取り、とりあえずほっとした。さてあとは換金が必要だ。ロビーで探したが、もう窓口は閉まっている。キオスクに飛び込んで50ドルだけ換えてもらった。それにしても30kgのバックは重い。これを引きずるだけで汗びっしょりだ。気がつくともう空港の業務はほとんど終わりらしく、閑散としている。

 さてどうしたものかと途方にくれる僕を、じっと見つめている視線に気がついた。まずいなと思った時はもう遅い。黒のTシャツに黒のジーンズのかなり体格の良い兄さんが寄って来る。「チャオ ボナセーラ ジャポーネ?」と聞いてきた。よく見るといい男だ。「シイ シニョール アデッソ アリバート(今到着した)」とイタリア語で答えてしまった。一瞬なんでと言う顔になったが嬉しそうにローマへ行くのかホテルは?と続けて聞いてくる。やられたかなと思ったが、疲れているのと30kgの重いバックでは仕方ないと思ってうなずいた。「アンディアーモ!(行こう)」と叫んでその重いバックを軽々と担いで歩き始めた。チンピラではなさそうだが、やくざにしては品が良すぎる。まあちょっとぼられても仕方が無いと諦めた。

 駐車場に停めてあったのがなんと黒のベンツだ。さすがにヨーロッパだからベンツは高級車でないのかなとも思ったが、走り始めるとあたりは小型車ばかりで、やはり高級車だ。こいつは何者かとますます不安になったが、そぶりは見せず居直って話す事にした。日本人はみんな空手をやるのか、お前もやるか?と聞いてきた。迂闊にも、ああいうのは頭が筋肉の奴だけだ。俺はやらない。と言ってしまった。当時イタリアではブルース・リーの空手信仰が強かったようで、やると言えばよかった。それ以来、外国では空手は得意だということにした。初めて知らないイタリア人と会話する嬉しさもあって、話は弾んだ。しかし、少ししかしゃべれないと言うことは、言いやすさが優先され、つい意志と違うことを言ってしまうことも分かった。そんな話をしながら、ところでローマまでいくら?と聞いた。お前はシンパティコ(感じがいい)だから5000リラでいいよ。それにいいホテルも紹介してやろう。とローマ駅の裏あたりのホテルに案内された。2階がロビーで感じは悪くなかった。しかし、すっかりぼられていると思い、一刻も早くこの関連を断ち切りたかった。僕はありがとうと言って、6000リラを渡し、黒いTシャツの男とそこで別れた。そして、大胆にもそのままホテルを飛び出し、街に出た。

 深夜の見知らぬ街の裏通りを重いのバッグを引きずって歩くのは情け無い。少々ぼられてもあのホテルに泊まれば良かったと後悔した。よく考えると彼はいい奴だったかもしれない、当時1リラは1/2円で、空港から2500円と言ったのだ。そんな後悔に胸を痛めながら人影の無い石壁と石畳の街でホテルを探した。街角に小さい黄色い電飾看板のペンションを見つけ、どこでも良いと飛び込み、いくらと聞いたら2000リラだった。小さなカウンターでうなずくと薄暗い階段を登った所で鍵を渡された。なんと壁も天井もレンガ色に赤く、電灯スタンドと大きなベッドだけの部屋だ。これは日本でいうラブホテルではないか! しかも、なんとなく湿ってカビ臭い。全身の力が抜けてベッドにへたり込んだ。しばらくして思い直してシャワーを浴びたが、蛇口に電熱器が組み込まれてる方式で熱くならない。さらに打ちのめされて広いベッドの片隅に潜り込み、赤い天井を見上げた。ただもう帰りたくなって涙が止まらなかった。

 

2008年6月7日

イタリア放浪時代 7<ローマへ>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 2:18 PM

 なれない入監手続きを終え再び空港に入った。ストックホルム空港は長いガラス張りの廊下に飛行機が取り付く形式だ。移動が大変だけどわかり易い。今では珍しくも無いが当時としては動く歩道が珍しく効果的だ。搭乗券の番号を見ながら必死に待合コーナーを探すまでは良かった。何とかたどり着くと疲れてベンチにうずくまり、なんでこんな地の果てのような北欧の空港にいきなり放り出されたのだろうと、らしくない弱気な心に落ち込んだ。昨日までの浮かれた気持ちは何だったのだろう。

 落ち込んでいたせいかスカンジナビア航空での事は良く覚えていない。しかし、飛行機は予定どうりコペンハーゲンに降り立った。時間とお金の余裕があればぜひ降りてみたい街だが、乗り継ぎの案内に沿って歩くと、突然地下の大ホールに降り立った。そこから四方に長いトンネルが延びる。まるでシャツのボタンのようにステーションだけが広い飛行場から飛び出し、それをトンネルで結ぶ、サテライト式だ。指定されたステーションは遠く、行けどもたどり着かない。薄暗いトンネルを動く歩道で乗り継ぐのは未来的で有るが、落ち込んだ心は癒さない。やっとたどり着いたガラス張りのステーションは人が少なく、曇りのせいか薄暗い、待合ベンチに1時間以上も寂しく一人座るのはとても不安で辛い。普段なら気になる周囲のサイン等の北欧特有の洗練されたデザインを見ても気持ちを昂ぶらせることは無い。もちろん今は大好きな飛行場の景色も飛行機も心を躍らせることはない。しかし、時間になると人が集まり、ちょっとほっとした。

 こんどはKLMオランダ航空でジュネーブに向かった。しばらくすると又食事が出た。今日3度目の機内食で、さすがにうんざりした。ビールに肉とサラダをとちょっとだけ手をつけ、疲れて寝てしまった。

 ジュネーブ空港は山に囲まれた空港だ。ストックホルムやコペンハーゲンほど大きくは無く、ほっとした。外は雨だったが、機内で寝たせいか少し元気が出た。待合室に5~6才ぐらいの赤毛の子がお母さんにじゃれて居た。スケッチブックを取り出して描き始めると、隠れたりしていたが、気になったようで遊びに来た。可愛らしく仕上げて渡してあげた。喜んだ彼女が、お母さんに見せに行き、一緒に振り返ってサンキュウと微笑んだ母の顔はドッキとするほど美しかった。ドイツ人のようで言葉はわからないが、かわいいガールフレンドができ、あっという間の1時間だった。

 スイス航空で再び機上の人になった。ついにローマだ!ローマに向かっている!その言葉の響きで喜びが体を駆け廻る気がする。思えば長い行程であった。始めて決心をしたのは何時の事だろう。たしかに、小さい頃からミケランジェロやダ・ヴィンチは好きだった。イタリアデザインも好きで、もちろん建築の勉強もしたい。しかし、北欧でもアメリカでもなく迷わずイタリアだった、のは何故だろう・・・ 僕は東京の下町育ちだ!そして「鉄道員」に始まるイタリア映画が好きだった。ちょっと姑息で人間臭いイタリア人の暮らしを写す物語が好きだ。「ひまわり」のマストロヤンニやソフィア・ローレン、そんな中で輝くジーナ・ロロブリジータやクラウディアカルディナーレは天女かと思った。そんな物語の金持ちも貧乏人もみんな好きだ。良き時代の東京の下町に通じる暮らしのドラマが有りそうだ。あのイタリアで暮らしたい。そう思ったのは何時の事だっただろう・・・ 飛行機は黄昏の雲海の上ををローマに向かっている。 ほっとした気分で、今日は長い1日だと思った! たしかに時差も有ったが、朝モスクワを出て4回も飛行機を乗り継ぐ大旅行になった。

 

 

 

 

2008年6月3日

イタリア放浪時代 6<ストックホルム>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 5:13 PM

 機内食のランチを終え、ストックホルムに到着した。立派な空港に感心しながら手続きを終えて到着ロビーに出て現地案内人の説明を受けた。

 は~い!人数を確認します。それでは皆さんのツアーはここまでです。これからは皆さんの予定どうり行動してください。今晩市内で宿泊される方で、予約の必要の人はあとで承ります。何か質問は? ガ~ン!そうか、僕はイタリアまでのチケットを持っているだけで他に何の予定も立てていない。なんと言うことだ。ツアーが終わったと言うことは、今ここで放り出されたと言うことだ! 考えれば当然の事だが急に不安になった。まあひとまず1泊してそれからゆっくり考えよう。案内人に聞くと、ここのホテルは20ドル位からだそうだ。え!日本円で7200円ではないか。1ヶ月3万円程で暮らさねばならないのだ、そんな所に優雅に泊まれる筈が無い。この連中とはレベルが違うと思い、不安だが、ここで皆と別れた。

 こんな時はひとまず落ち着くことだ。カフェテーブルで生ビールを頼んだ。しかし困った。相談に行くにもその英語が流暢でない。たしかに北欧は物価が高いと聞いてはいた。そうだ! こんな所でもたもたしている場合でない。一刻も早くイタリアにたどり着けばよいのだ。残りのビールを飲み干し、さっそく出発ロビーに向かった。こんな時に落ち込まないのが僕の特徴らしい。インフォメーションはすぐに見つかった。チケットを持って何とか今日中にイタリアまで行けないかと聞いた。お姉さんがなにやら難しいことをいっぱい言ってくる。だけど最後にOKだとも言っている。何か相当難しいことをすれば今日中にイタリアに行けるらしい。お姉さんは時間割のようなものを調べ、ちょっと待って、あと30分すると日本人の案内人が来るからその人に詳しいことを聞いてください、と言った。ほっとしたがその30分が長かった。

 友人の兄さんのような感じの人が現れ、僕の顔と書類を見ながらニコニコ笑って、君は飛行機に慣れている? なに、ツアーで一昨日乗ったのが初めてだって! 若いから冒険するのも面白いかな? これからコペンハーゲン、ジュネーブを経由し、別の飛行機会社を乗り継ぐと夜の9時にローマに着く方法が有るけど試してみる? はい、もちろんお願いします。では今から予約を入れてチケットを作ってあげよう。その飛行機会社と番号をよく見て乗り継げば大丈夫だ。それと、バックが気になると思うが道中では受け取る必要が無く、心配もいらない。もしローマで出て来なかったらバックの預かり券を見せなさい。何とかしてくれるはずだ。面白い旅ができると思うよ。グッドラック! と言ってくれた。そんなわけで、今日1日でモスクワからローマまで4回も別会社の飛行機を乗り継ぐことになり、一人旅の緊張感を存分に味わうことになってしまった。

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