2008年7月30日

イタリア放浪時代<ペルージア4>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 11:37 AM

 ペルージアの夏はなんと言っても夜の散歩である。パセジアータといって、街中の人が、涼を求め、とちょっと着飾って現れる。教会からまっすぐ丘の展望台まで2~300mほどの広い道をただ行ったり来たりするだけだが、友に逢うと立ち話を交わし、時には道に並ぶバルのテーブルで、話し込んだりしている。僕も始めのうちは食事が終わるとすぐに二人を誘ってパセジャータに出た。

 横浜を発つ時、竹中工務店のT嬢が餞別に雪駄をくれた。その時は何でと思ったが、これが大いに役に立った。パッセジャータは一種のパホーマンスである。今では考えられないが、僕はまだスマートであった頃で、服装はジーンズにTシャツだが、日本人特有のガリ股で雪駄をシャンシャンと鳴らし、足を左右に飛ばしながら肩で風を切って歩くのだ。夏の夜のひんやりとした石畳に雪駄は良く似合う。ご丁寧に本来あまり好きでもないのに口の中をイガイガにしながら、手彫りで限りなく細く削ったパイプを咥え、二人の女の子を従えて歩くものだから、これ以上目立つ姿は無い。

 9時を過ぎる頃からは、教会の広い石段が世界中から来た若者たちで埋まり、毎晩ここで世界会議が始まるのだ。いろいろな言葉が飛び交うが、どうしても英語が中心になる。だがアメリカ人やイギリス人を除くとどの国の若者もそんなに流暢でない。議論が微妙にかみ合わないのが面白い。会議はその晩だけで終わらないこともあり、翌日の延長戦もしばしばだ。僕もパホーマンスが効いてか、こんな議論が嫌いでないからか日本代表として駆り出される事も多い。

 お国自慢が終わると、最後はどうしても宗教の話になってしまう。僕は初め日本古来の神道で多神教のスタンスで話たが、イエス、ノーをはっきり言い難く、もっと説明しやすい仏教徒で禅宗の立場で参加する事にした。スタンスと論旨がはっきりしないと、このディベートはすぐに負けてしまう。ちょうど、鈴木大拙の「禅とはなにか」を読んでいた時なので受け売りも多かったが、キリスト教に代表される一神教に対しては「禅」はかなりインパクトが有ったようだ。ここでも日本人村の村長の立場を充分に守る形になった。ただ、語学力が低いと、可否をはっきり言わなくてはならない議論では、話しが微妙に違うなと思った瞬間からどんどん修正が効かなくなり、思いもかけない結論で言い切らねばならないことがある。行きがかり上かなり過激なことを言うことになってしまった事も多い。それでも楽しい夜だった。

 しかし、8月に入ると皆は少し議論に疲れてしまったのか、この石段にアルコールを持ち込む若者が増え、遅い時間はほとんど居酒屋状態になる日もある。僕は自然に遠退くことになってしまったが、たくさんの友人が出来た。

 

2008年7月25日

イタリア放浪時代<ペルージア3>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 1:02 PM

 朝晩の6時ちょうどに鐘が鳴る。良い音だが、目の前だから地鳴りのように大きく響く。始めは本当にびっくりしたが、日を重ねると慣れるものだ。しかし、結婚式で乱打される時だけは拷問のようでたまらない。このあたりの城壁はマリアテレージア家が使用しているようだが、どこまでかは良く分からない。4階に家族と一緒に住んでいるのは僕らの他にドイツ人の女性がいる。彼女は上級クラスのようで学校ではあまり逢わないが、やはり食事をお願いしている。

 夕方の鐘が鳴ると食事である。台所と続きの部屋のテーブルで一家と一緒に座る。パパは小柄でなんとなくお婿さんのようだ。一人娘のフランチェスカはパパ似で内気な感じである。ドイツ人の彼女の名前は思い出せないが、上品でイタリア語は流暢で、あまり進んでしゃべる方でない。最初の食事は僕がしゃべれないので、ちょっと気まずく、ぎこちなかった。そこで次からは食事前に、その日に学校で習った構文を使って話題を一つだけ作って行くことにした。これは大成功で、始めだけしゃべれば、あとは皆で勝手に話題が盛り上がり、僕は食べることにも専念できた。また時には構文の間違いを指摘されたりして勉強にもなる。夏の終わりには何とか日常生活に困らなくなったのはこのおかげだと思っている。食事はシンプルでパスタとメインの肉などと果物とワインだけだが、これが本来のイタリアの家庭料理だと思う。鳩の料理の時等は朝から仕込む音が聞こえ、たたいた内臓をパン粉と杉の葉等を混ぜて戻してオーブンに入れたりしている。おばさんの料理は慣れると本当に美味い。りんごやオレンジは形は大きくないが葉っぱ付きでもぎたてのようだ。

 よく観察すると、城壁の下の階もマリアテレージア家のアパートになっているようで、ギリシャ人やアラブ人の学生がたくさん住んでいる。彼らはマリコとクロちゃんに興味があるらしく、しきりに接触を求める。僕を本当の兄貴か親戚と思っているらしい。後で気が付いたが、向かいの城壁の中で掃除をするおばさんを見たことがある。下の階に道に架かる渡り廊下があり、自由に行き来できるようだ。実に質素に暮らしているが、きっとこのあたりの城壁は反対側も含めて全部一家の持ち物なのかもしれない。食事の時のワインも自家製のような味がするのは、きっとどこか近くに山を持っているのだ。そういえば、いつも朝早く出かけるパパはこざっぱりしているが、どことなく農業の香りがする。

 ある日の夕食に娘の誕生日だからと奥の別室に案内された。客用のダイニングなのだろう、そんなに大きな部屋でないが、いろいろな古い調度品があり、一家の歴史を感じる部屋だ。フランチェスカの隣に座る男性を婚約者だと紹介された。少し照れたように赤くなった顔は純朴そうで、内気な彼女にはお似合いだ。この夜のおばさんの羊料理は最高だったが、勧められるワインがまた美味しかった。パパに聞いくと、やはり山で作っているといっていた。楽しいディナーになった。

 

2008年7月20日

イタリア放浪時代<ペルージア2>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 4:02 PM

 月曜日には、まるで小学生のようにうきうきした気分で出かけた。学校は平日の9時から昼までの3時間である。読みと文法と会話が中心で、歴史の話などが、織り交ぜてある。ソバージュで赤いハイカラーのシャツがよく似合う30代のマリア先生が担任で主に教壇に立つ。夏期講習のせいか始めは25人ほどのクラスだったが、だんだんに増えて40人ほどになリ、9月が近づくと少なくなった。

 アフリカ系からアジア系まで生徒は国際色が豊だ。面白いことに、アフリカ系の黒人が、一番高そうな夏のスーツをびしっと決めておしゃれだ。国では王様の親族なのかもしれない。かまわないのがアメリカの女の子だ。個人差はあると思うが、かわいい顔なのにいつも破れたジーンズの半ズボン姿で大胆に片足を組む、そのむっちりとした足の先に掛かっているビーチサンダル履きのかかとが土にまみれてカサカサになっていても平気なようだ。夫婦で通うインド人の奥さんはどんなに暑くてもスカーフとサリー以外の姿を見たことが無い。ただ、あまりに蒸し暑いときは、サリーを途中まで外して風を入れて巻きなおしているようだ。ギリシャ人も多く、フランコは背は低いが郷ひろみ張りの甘いマスクが自慢のようで、始まった時からドイツ人の大柄でグラマーなジェーニイが気になったようだ。だんだん近づき、そのうち連れ添うようになり、そしてクラスには来なくなってしまった。

 ぼく達の教室は4階で広いバルコニーが有る。ここだけはタバコが許されているようで、15分間の休憩には皆が集まる。見晴らしが良くて、遥か向こうに、この旅行記を書くきっかけになったアッシジが霞んで見える。しかし、ある日ここで僕はとても失礼なことをしてしまった。40才ぐらいの髭を蓄えたスラブ系のおじさんからヤポン?と聞かれ、うなずいてあなたは?と聞いた。たしかに、「オルスカヤ」と聞こえた。エッ!と聞き返した。「ドイツの東のオルツカヤ」と再び帰ってくる。僕の頭の地図にそんな国は無い。チェコスロバキア?フィンランド?ルーマニア?と何度か聞き返すけど、むっとして首を横に振るだけだ。僕はますます真っ白になって混乱した。最後に「ワルシャワのあるオルツカヤ・・・」と小さく呟き、気まずい空気が流れた。 うん~ワルシャワのオルツカヤか、ポルツカヤ! そうかポーランドか!気が付いた時はもう彼はそばに居なかった。こんなところで自分の国を分かってもらえないほど自尊心が傷つき悲しいことは無い。特に近世までいろいろあった東ヨーロッパの歴史を思うとそうだろう。失礼なことをしてしまった。以後彼はけして僕には近づかない。

 クラスには6人ほどだったが、一夏ではかなりの日本人の若者がペルージアにやって来た。声楽の勉強で来た女の子もいたが、やはり元気な若い男の子がほとんどだ。そんな中で、僕は始めからか二人の兄貴分になっていたので、どうしても中心になってしまう事が多い。その夏はまるで日本人村の村長みたいなものだ。そんな訳でいろいろな情報が集まるし、問題を抱えた人たちもやって来た。そんな話を書きたいが、30年以上も昔の話だ。どのくらい思い出せるか・・・

 

 

2008年7月14日

イタリア放浪時代<ペルージア1>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 5:19 PM

 何とかペルージアの駅までたどり着いた。なんと、そこに同じような思いで途方にくれる二人の日本の娘さんがいた。互いにびっくりしたことは言うまでも無いが、やはり、ペルージアの外国人大学の受講希望者だった。広島から来たそうで、いかにもお嬢さんタイプのマリコと真っ黒に日焼けしたスポーツ選手のようなクロちゃんと紹介された。ここまでたどり着くにはさぞかし心細かったのであろう。すっかり頼りにされ、すぐにペルージアの兄貴にになってしまった。おかげで僕も昨日の夜の事はもう忘れたように元気になった。

 三人でタクシーを拾うと、並木道の左側に”PERUGINA”と書かれた大きなチョコレートで有名な工場を横に見て、坂道をかなり登った山の頂に石造りの街並が見えた。これがあの憧れのペルージアだ! 入り口に大きな門があり、ローマの先住民であったエトルスカの門だろう。前に小さな広場があり、車はここで進入禁止だ。目指す大学はこの広場に面する4階建ての建物だった。三人で大きな荷物を引きずって事務局に向かった。しかし、残念なことに窓口は閉まっていた。時計を見るとまだ2時で昼下がりだ、今日は金曜日で、休みであるはずは無いのに・・・ これはひどいと思った。僕たちの下宿は事務局が斡旋してくれるはずだった。月曜日まで3日間も安ホテルを探して歩かねばならないのか? しかし、男は単純である。ガールフレンドがいるだけで、昨日のように落ち込むような悲壮感はまったく無い。むしろ心が躍るように力が沸くのが不思議だ。 

 ひとまず、街に行こう。そのままエトルスカの門をくぐって中心に向かった。城壁の細い道に石壁をくりぬいたパン工場や雑貨屋などがあり、ちょっと下町風でなかなか感じがよい。歩く途中で、「アプリ デ カメラ(空き部屋)」と手書きの看板をマリコが見つけた。二人とも僕と同じくらいはイタリア語を勉強してきたようだ。ここは兄貴としてびしっと交渉しなければと中に声をかけた。中年の女性が対応に出てきた。身振り手振りで必死に交渉すると、一部屋4万リラ/月からだといってるようだ。部屋を見せてくれといったら、なんじゃらを足して先に現金を払えと言っているようだ。よく分からないのと、ちょっとがめつそうなので、もういい、交渉は終わりだと言ったら、急に不機嫌になって、なにやらぐちゅぐちゅ言って引き下がらない。もう僕たちのつたないイタリア語ではいっぱいになってしまい、「うるさい! ごちゃごちゃ、がめついことを言ってるんじゃない! この話はもう終わりなんだ!」と日本語ではっきりと言ったら、びっくりして目を見開いて引っ込んでしまった。交渉はこちらのペースでしなくては、とすっかり昨日の学習をしたようだ。ちょっと兄貴らしい所を見せられて気分も揚々だ。また重いバッグを引きずって街に出た。

 頂上の教会の大きな石段で二人が買ってきてくれたパンと牛乳でひとまず腹ごしらえをしながら途方にくれていると、ギリシャ系の若者が君たち日本人?ペルージア大学に来たのか?とたどたどしい英語で聞いてきた。君もか?と聞き返すと、そうだと答えた。いろいろ話した後で、安い部屋を探していると言った。彼はなかなかいい奴で、友達のところが空いているかもしれない、ここでしばらく待っていろ、と走って消えた。こんな時、女性はいい。特にかわいい日本の女性は人気が有る。さし当たって僕は二人の保護者みたいなものだからその恩恵も大きいと言うものだ。

 しばらく待つと彼が戻ってきて、空いていると言った。付いて行くと不思議な階段を最上階まで登るとマリアテレージアと書かれた花柄のタイルの表札があった。呼び鈴を押すと、太っているが優しげなお母さんが出てきた。学生さん?と聞き、僕たちの顔をまじまじと見て、入りなさいと案内された。日本の下宿と同じようなスタイルでシングルベッドとツウィンベッドの部屋が壁も天井も真っ白な漆喰で塗られて隣り合わせで空いていた。鎧戸の窓を開くとさっき通った城壁の中であることが分かり、目の前が教会の鐘楼になっていた。ベッドやテーブルや机などの楮度品もそろっていてすっかり気に入り、僕の部屋が3万リラで彼女達は二人で4万リラだそうだ。あと1万リラ追加すると平日は夕食も付くそうだ。もちろん僕は食事付きでお願いしたが、彼女達は毎日のイタリア料理は食べられないから自炊で何とかすると言った。

 荷物を解いて、宿が決まった安堵感ですっかりリラックスしていると、おばさんがやってきて、もう学校の手続きは終わったのかと聞いてきた。学校はもう閉まっていました。と答えるとニコニコ笑って、やはり間違えたのね4時までは昼休みだったのよ。始まったばっかりよ、行ってらしゃいと言われた。なんということだ、これがイタリアなのだ! パスポートと書類を持って三人で再び学校に向かった。上級と初級のクラスがあった。もちろん三人は初級コースで来週から始まる。手続きをみな終えた安堵感で満たされ、改めてこれがペルージアかと感動しながらレストランを探した。いろいろあった一日だが今日だけは奮発しよう。新しいガールフレンドとペルージアに乾杯だ!

 

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