イタリア放浪時代<ペルージア8>
その年、ペルージアに現れた日本人は二十歳前後の若者が多く、26歳の僕には皆が少し子供に見えた。そんな中で、やっと大人の香りのする奴が現れた。一流企業のセールスマンを経てアメリカで暮らし、ペルージアにやってきた男だ。名を畑山五郎と言い、互いに大人の話ができると言うことで、親しくなった。彼はその大人っぽさで皆にゴローさんと呼ばれた。
ペルージアに来る2ヶ月ほど前から気になったことで、アドレア海に面する街アンコーナの地震の被害を新聞で読んでいた。地図で見るとペルージアのまっすぐ東の港町である。石造りの街に起こった地震は建築家としてとても興味があり、またアメリカの話も聞きたくてゴローさんとツヨシを1泊旅行に誘った。いつも芳しい匂いを立ち上らせている下のパン屋で、クッションほどの大きな固いパンを買い込み、こんなことがあろうかと日本から持ち込んだ水中眼鏡とモリに柄をつけて、今晩は浜辺で海の幸のパーティーだと言って朝早くから電車で向かった。
アンコーナの旧市街を見て驚いた。その被害は相当なもので、さすがに道路の残骸は片付けられていたが、石造りの脆さをまざまざと見せ付けている。道路に面する石積みの壁はかなり残っている。しかし木の梁で渡してあるはずの床が落ちて無いのである。道路に立つと、壁の向こうにそのまま青い夏の空が透けて見える。舞台セットのようで現実感がなく、恐ろしい光景である。たぶん日本の街であれば焼け野原で何も無いのと同じ状態である。しかし、石造りの街には驚かされる。人々にエネルギーさえあれば、そこに残された石を再び積み直したり、新しい様式を加えたりして造り直す事ができる。これこそが東西文化の大きな違いかもしれない。よく見ると、めちゃくちゃと思われたアンコーナの街も片隅から着実に再興し始めているのに気づく。何年か後に立ち寄りたいものである。
海には地震の爪あとはない。素晴らしい砂浜で思わず走り回った。程よい岩場を見つけて潜ってみた。しかし水はとても綺麗だが、日本の海とは何かが違う。海藻が少なく、魚影がほとんど見えない。地震のせいかとも思ったが、海はつながっているはずだ。そうか!地中海だからか!海は大きいが、ジブラルタル海峡でくびれている湖みたいなものだ。干満の差も少ないと聞く。おかげで今日の漁はさんざんで、イカもタコも無い。有るのは波打ち際の黒々としたコッツエ(烏貝)だけである。海辺のユースホステスに宿を取り、浜でのパーティーは残念ながら持ってきた巨大なパンをアーミーナイフで削りながらジャーキィーとチーズとワインだけで終った。しかし、焚き火を囲んでの三人の話は尽きることが無かった。特に、正反対の二人のアメリカ生活はおもしろく、ツヨシの皿洗いをしながら会計士の資格を取ったことや、ゴローさんの二世である婚約者の家族は古き良き日本人の心を持ち、より日本的である話しに感動した。