イタリア放浪時代<ミラノ 9>
一時帰国の準備を始めた頃、竹中工務店の上司であったM氏から連絡があった。「某日ミラノに着く。Tホテルに来てください。」懐かしくてTホテルに飛んで行くと、連れの紳士はSデパートの副社長と大手レストランTの社長だと紹介された。あのSデパートかと少し気おされた。「申し訳ないが、市内の隠れた美味しいレストランに案内してください。」と、突然言われた。1ヶ月3万円で暮らしている僕に高級レストランは無理だろうと思ったが、世話になった上司の命令は絶対である。困ったが、サンタニエーゼに寝るだけに帰ってくる青田君の所はなかなかのレストランと聞いている。こんな事でもなければ青田君と話すことも無かったが、彼はレストラン”ジロー”の派遣社員で、何年か修行して帰ると幹部社員になるようだ。未だに行った事は無いが彼のレストランに予約を取ってもらい、案内した。
レストランは程よく高級でその日は大盛況だった。味もなかなかで僕も大役を果たした気分で少し浮かれていた。特にレストランTの社長が大喜びでコック長を呼び西陣織の札入れをプレゼントした。しかし、その内側にいわいる四十八手の春画がプリントしてあり、それを皆に披露して大騒ぎして喜んでいたが、それが店の空気を少し別のものにしたのを彼らだけが気が付かない。食事を終えてT社長はオーナーを呼んでくれとマネジャーに頼み、この店の雰囲気と味を大変気に入った。私は日本では何十軒もイタリアレストランを持っているオーナーだ。ぜひこの店と提携したい。と強引な事を言い出し通訳してくれと頼まれた。僕は乏しい言葉で必死に通訳したが、札入れの品の無い行為のせいか通訳が未熟なせいか話が成就することは無かった。
M氏は「ミラノはポスターがとても素敵だ!集められるだけ集めてください。」と頼んで風のように去ってしまった。金はどうするんだと叫びたかったがぐっと我慢し、なけなしのお金で何枚か集めた。許婚にだけにはプレゼントしなければと思いバックを探した。しかし、なれない高級店巡りはとても疲れる。探しているうちにふらっと靴屋に入ってしまった。イタリアの靴屋は日本のようにたくさんは置いてない、サンプルだけである。明るく一段高い中央の椅子に座らされ足のサイズを測り始めた時はポケットの財布をまさぐりながら緊張した。僕の足は甲高段広である。スマートで素敵な靴がいっぱいあったのにそれらには目もくれず、棚の隅の方の4種類ほどピックアップしてこの中から選んでくださいと言われた。先がアンパンのようでちょっとユーモアのある靴を選ぶと店員がにこっと笑って奥へ消え、一足のこげ茶の靴を持って現れた。それを履いた時のフィット感は今まで経験したことが無いもので、気になることがあったらなんでも言ってくださいといってすぐにでも直してくれそうな気配だった。値段の交渉も出来、何よりも靴屋としてのプロの眼力が素晴らしい。これがイタリア式靴の選び方だと感心した。
こんな風に一時帰国の準備は着々と進んだが、はたしてこんなにもお金と時間をかけて一級建築士の試験は上手くクリアー出来るかという、らしくないプレシャーが気になり始めた・・・・・。