2008年11月25日

イタリア放浪時代<ミラノ 9>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 9:59 AM

 一時帰国の準備を始めた頃、竹中工務店の上司であったM氏から連絡があった。「某日ミラノに着く。Tホテルに来てください。」懐かしくてTホテルに飛んで行くと、連れの紳士はSデパートの副社長と大手レストランTの社長だと紹介された。あのSデパートかと少し気おされた。「申し訳ないが、市内の隠れた美味しいレストランに案内してください。」と、突然言われた。1ヶ月3万円で暮らしている僕に高級レストランは無理だろうと思ったが、世話になった上司の命令は絶対である。困ったが、サンタニエーゼに寝るだけに帰ってくる青田君の所はなかなかのレストランと聞いている。こんな事でもなければ青田君と話すことも無かったが、彼はレストラン”ジロー”の派遣社員で、何年か修行して帰ると幹部社員になるようだ。未だに行った事は無いが彼のレストランに予約を取ってもらい、案内した。

 レストランは程よく高級でその日は大盛況だった。味もなかなかで僕も大役を果たした気分で少し浮かれていた。特にレストランTの社長が大喜びでコック長を呼び西陣織の札入れをプレゼントした。しかし、その内側にいわいる四十八手の春画がプリントしてあり、それを皆に披露して大騒ぎして喜んでいたが、それが店の空気を少し別のものにしたのを彼らだけが気が付かない。食事を終えてT社長はオーナーを呼んでくれとマネジャーに頼み、この店の雰囲気と味を大変気に入った。私は日本では何十軒もイタリアレストランを持っているオーナーだ。ぜひこの店と提携したい。と強引な事を言い出し通訳してくれと頼まれた。僕は乏しい言葉で必死に通訳したが、札入れの品の無い行為のせいか通訳が未熟なせいか話が成就することは無かった。

 M氏は「ミラノはポスターがとても素敵だ!集められるだけ集めてください。」と頼んで風のように去ってしまった。金はどうするんだと叫びたかったがぐっと我慢し、なけなしのお金で何枚か集めた。許婚にだけにはプレゼントしなければと思いバックを探した。しかし、なれない高級店巡りはとても疲れる。探しているうちにふらっと靴屋に入ってしまった。イタリアの靴屋は日本のようにたくさんは置いてない、サンプルだけである。明るく一段高い中央の椅子に座らされ足のサイズを測り始めた時はポケットの財布をまさぐりながら緊張した。僕の足は甲高段広である。スマートで素敵な靴がいっぱいあったのにそれらには目もくれず、棚の隅の方の4種類ほどピックアップしてこの中から選んでくださいと言われた。先がアンパンのようでちょっとユーモアのある靴を選ぶと店員がにこっと笑って奥へ消え、一足のこげ茶の靴を持って現れた。それを履いた時のフィット感は今まで経験したことが無いもので、気になることがあったらなんでも言ってくださいといってすぐにでも直してくれそうな気配だった。値段の交渉も出来、何よりも靴屋としてのプロの眼力が素晴らしい。これがイタリア式靴の選び方だと感心した。

 こんな風に一時帰国の準備は着々と進んだが、はたしてこんなにもお金と時間をかけて一級建築士の試験は上手くクリアー出来るかという、らしくないプレシャーが気になり始めた・・・・・。

2008年11月18日

イタリア放浪時代<ミラノ 8>

Filed under: 社長ブログ — boss @ 10:08 AM

 ピアチェンサには展示会準備のために1週間ほど通った。なんとか成功したようで龍村さんも喜び、最終日の午後、ピアチェンサの近くにあるミラノ公爵の別邸だというグラザーノ・ヴィスコンティーに行こうと案内された。20分程車で走ると田んぼの中に立派な鉄の門が現れ、背の高い並木の遥か先に森と屋敷らしらしい建物が見える。ここが”グラッザーノ・ヴィスコンティー”で、近づくと、30棟程の洗練されたレンガ造りの別邸だった。広場や作業場、池やテラスに囲まれ、木工教室や店舗もきっちり造ってあり、とても豊な村のようである。手作り家具やアイアンワークの工房もあり、そこで造られる工芸品はそのまま使われ、販売もされているようだ。気持ちの良い村の散策を終える頃、皆は片隅の農家のような建物に案内された。

 もう日が傾き始め一般客は帰ってしまったようだが、この辺りだけ明りが灯り、予約者だけの素敵なレストランに変わった。そのうちピアチェンサのアミーコや展覧会を手伝ってくれた人々も集まり、パーティの準備は整った。そして展覧会の成功を祝い、乾杯になった。ここで造られたチーズやサラミは言うまでも無いが、交わした会話と料理の美味しさはほとんど夢の中のことのようだった。農家を貸し切るような環境でのパーティーは龍村さんの心憎い演出であり、挨拶で米文化の日本との類似性を語り、ここが外国とは思えないという話も印象的であった。

 ある日、ツトムちゃんが一緒に住んでいるカメラマンの江島さんをサンタニエーゼに連れてきた。口の周りに髭を蓄え、後退気味の髪を後ろに束ね、職業柄かかなり個性的である。年は同じ位だが、写真家として自立して仕事をし始めているナイスガイだ!彼の得意の写真はスナップでなく、商品や空間をじっくりアングルや光を決めて撮影する本格写真が得意のようで、建築家としての見方にも非常に興味がを持っており、すっかり意気投合した。ブレラにイタリア人と共同で借りてある素晴らしい写真スタジオにも案内された。また、展示会で行っていた時、ピアチェンサの西のパヴィアに大きな修道院があり、これが素晴らしいと聞いていたので、後日二人で出かけ互いに建築家、写真家として議論を交わしながら楽しく見学したことを思い出す。

 

2008年11月12日

イタリア放浪時代<ミラノ 7>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 9:23 AM

 後日、レンガ会社の事務所を訪ねた.蔦が絡まる門は大きな住宅のような建物で「RDB」と書かれた銅の看板と古い石の建物が歴史を感じさせる。しかし、この会社はレンガ会社としてはトップ企業だそうだ。社長さんを訪ねるとにこやかに社長室に迎えてくれた。すぐに、広報担当の青年がパンフレットや本などの資料をいっぱい抱えて現れた。僕は昔ながらのレンガを想像していたが、とんでもない間違いで、現代のレンガ会社の主力製品は穴明きの軽量レンガと素焼きの化粧レンガタイルだ。それらの技術書と写真をいっぱい見せられた。

 先月に完成した中学校はコンクリートとの混構造であったが、コンクリートとサッシュ以外はほとんどレンガで、使用したレンガの種類(レンガタイルも含め)は4000種類を越えているそうだ。僕の考えていたレンガの世界とかなり違うのに驚いた。これが組積造建築の新しい流れなのかもしれない。「もし君が日本でレンガ工場を開くならすべてのノウハウを渡しても良い。土の良い山さえ見つけたらこんな面白い商売は無い。」と社長さんに言われた。この時父の鉄工所位の広さでは話にならないなと漠然と考えていた。社員食堂で昼をご馳走になり、午後は広報担当の青年に連れられ工場見学に行くことになった。

 工場は10kmぐらい南の山裾の小高い丘にあり、割れたレンガでペーヴされた道が続いている。広場の右の事務所棟に続いて奥行き200mほどの低い建物があり、床に50mほど平行に張られたピアノ線に穴明きレンガブロックを5m位づつ敷き並べ、モルタルを詰めて床版に加工するプレテンション補強レンガ床板の工場だった。工事中の住宅などの床がアーチでないレンガだったのが不思議で仕方が無かったが、このようにパネルにして置くように床が進化していた。広場の左の一角の屋根だけの倉庫に壁用の穴明きレンガが50mほど整然と積まれている。正面を進むと十数棟のレンガ工場がありオートメーションの穴明きレンガの大工場や小さな炉の手作業の工場もある。古代からの技術と最新のテクノロジーを混在させて新しい製品を作っているのが凄いと思う。

 本社に戻り、社長さんに感謝の意を伝えると、午前中に見せられた貴重な資料と関連の本を数冊用意しされ、お土産にくれた。「日本で工場を・・・・」の話はまったくの冗談で無かったのかもしれないと、じーんとして熱くなった。たしかに、十年程後、日本で、四国にある西谷産業の子会社のタマモ工業が、これと同じ技術を使ってレンガ会社を作って販売した。僕は福島県の南会津の収蔵庫の設計に断熱と調湿性を考えてこの技術のレンガの壁を使用し好評を得たことがある。しかし、最近ではこのような商品は輸入品のほうが安い為か西谷産業もタマモ工業も廃業してしまったのが残念である。

2008年11月5日

イタリア放浪時代<ミラノ 6>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 6:27 PM

 ポー川はブーツの付け根を横断するイタリア最長の川で、ベネチア、ボローニアを含む大三角地帯の要にピアチェンサの街がある。ミラノからは100kmぐらい東南で車で1時間ぐらいの古い街だ。初めて龍村さんと下見に来た時、街の周辺は見渡す限り刈入れ前の水田で、早植えの田ではもう刈り入れた稲が干してあり、藁を焼く煙がたなびく景色はどこにもあった日本の村とあまり変わらない姿に感動した。

 展覧会を準備するピアチェンザのアミーコだと紹介された人々はとてもユニークで、この街の伝統と文化を守りながらも何か新しいものを探しているようだ。たぶんペルージアのあのウバルトも、このようなアミーコの一人だったのだろう。この展覧会は実質的にはアミーコの主催で日本文化の紹介であり、その意味で期待されて苦しみながらも張り切る龍村さんの気持ちがよく解るような気がした。

 準備委員の中に、もう50歳は遥かに過ぎているはずなのに、顔だけでなくその颯爽とした体の動きは、もどう見ても30代にしか見えないとても美しいビアンカさんという婦人がいた。この人はイタリアの奇蹟といわれる人で、数年前に当時では珍しい最新鋭の脳切開手術を受け、不思議なことに以来どんどん若返り、ほとんど年を取った様子がない人だと紹介された。また50代のレンガ工場の社長さんからはレンガ工場には古くて新しい技術がある君が建築家を志すならぜひ見学に来なさいと招待を受けた。この国では建築家はとても尊敬される職業のようで、そのことを良く知っている龍村さんは僕を建築家として紹介してくれて助手以上の待遇を受けることになった。

 夕方準備委員の人に連れられ、ポー川の近くの田んぼの中にある田舎風レストランで食事になった。龍村さんはなんとなく気が進まない様子だったが、準備委員の彼は皆に食べさせたいものがあると妙に嬉しそうだ。そして前菜となにやらを頼むと、まずはビールで乾杯だ。すぐに、ワインに変わり話が弾み始めたその時、テーブルに山盛りの大皿のフリッター(揚げ物)がどーんと出た。ため息とも歓声とも付かぬ驚きの声があがった。何十匹ものカエルの下半身の揚げ物である。これがこの辺りの名物料理だそうだ。龍村さんがちょっと引いていた理由がわかった。僕も恐る恐る二股の足がリアルな一つをレモンと塩で食べてみた。しかし、これが意外と美味いのだ!上品で柔らかなオリーブの香りの鶏肉である。キャンティワインとの相性抜群で、すぐに皆で平らげる姿を、普段でも食の細い龍村さんだけは舐めるようにワインを飲みながら苦虫をかみしめた顔で眺めていた。

 

 

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