2008年12月30日

イタリア放浪時代<一時帰国 4>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 11:51 AM

 メラニィーとの出会いに想像以上のショックを受けているようで、どのようにパリに着いたかの記憶が無い。ただ、なけなしのお金で買集めたポスターの筒が手元に無かったのはショックだった。気を取り直して若者の街ラテン区に向かい安宿を探し、エレベーターの無い屋根裏部屋を見つけた。受付の伯父さんに「2泊お願いします」と身振り手振りで伝えると「門限が11時で、下の玄関を閉めるから」と言われたが値段で決めた。

 荷物を置いて、まずは定番のモンマルトルの丘に登った。怪しげな芸術家と観光客が溢れ、ちょっと場違いな感じが否めず、そのまま裏道を下り、ユトリロや藤田嗣冶の気分で歩いた。モンパルナス駅付近の市場で台に山盛りに積まれた牡蠣を見つけ、スタンドのコーナーでレモンだけで食べることができた。日本の牡蠣より少し水っぽいけど沢山食べるならこちらの方が良いかもしれない。食べた殻をバケツに捨てながら、ちょっと幸せな気分でビールなんか飲んでしまった。

 ノートルダム寺院はさすがに荘厳であったが、ルーブルの広場やシャンゼリエ通りなどを歩きながら、あのままジュネーブに泊まれば・・・ なんてまだ未練たらしいことを考えている自分が嫌で、すこしもパリに集中できない。気がつくとラテン区に戻り、軽いパスタで夕食を終え寝てしまった。

 ゆっくり目覚めたが、今日だけはパリをうろつく気にはなれない。地図で20kmぐらい西にベルサイユ宮殿を見つけ、地下鉄を乗り継いでパリから逃げるように向かった。すぐに景色が変わり、沿線は高級住宅街になった。駅から参道のようなものがあると思ったが、案内板があるだけで、文字が多くて地図が良く解らない。方向を定めて歩くと大きい広場にでた。中央を鋳鉄の格子の塀と立派な飾り門が貫き、すぐ横に小さな入り口ゲートがあったが、休みなのか、中に入れない。あちらこちらを回って探すにはあまりにも広すぎる。宮殿はともあれ庭だけは見たかったのに、ここに入場するにはしっかり下調べをするか、ツアーでないと歯が立たない屈辱感を味わう羽目になってしまった。

 納得できない怒りの心を収めながら駅に戻り、大好きな地下鉄を乗り回して遊ぶ事に決めた。パリの地下鉄は何度乗り換えても料金は同じだが、乗り換えのために複雑な迷路がある。映画でアランドロンが逃げたエレベーターを見つけた時は嬉しかった。美術館のように美しいルーブル駅で降り、セーヌ川の公園をぶらついたが、やはり落ち着くのはラテン区だ。だんだん小道に入りながら散策すると、たまらない中華の匂いが漂った。そこは入り口は立派だが、中は4人掛けがいっぱい並ぶ大衆向けの店だった。メニューで理解できるのは春巻き(スプリング・ロール)と広東麺(ヌードル・アラ・カントン)くらいだ。しかし、異国で疲れたら中華に限る、体中の力が甦る気がする。デザートにライチを頼んでやっとパリで落ち着く事が出来た気がした。

 店を出ると観察力までが違うような気がする。しばらく歩くと半地下の喫茶店のような店から歌声が聞こえる。覗くとピアノの伴奏で歌っている。ウエーターに入っていいかと聞くとカモンの合図だ、小さなテーブルと椅子がいっぱいあるがガラガラだった。練習かと思ったが、5~6曲唄うと少しの休憩があり人が変わる。そしてどんどんレベルが上がり、9時を過ぎる頃には客も満席になった。だんだんプロ級が現れ、これが本場のシャンソンかと感激した。11時を過ぎる頃には最高潮に盛り上がり、聞くと夜中の3時ごろまで続くらしい。だが、僕には門限があり、後ろ髪を引かれる思いで店を出た。

   

2008年12月23日

イタリア放浪時代<一時帰国 3>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 3:45 PM

 彼女をホテルに送った。肩を寄せ合って歩きながら、こんなにも女性に身も心も委ねてしまったことがあっただろうか、たった1日で何が起こったのだろう。まだ彼女の事は何も知らないのに。しかし、互いの心の扉が開き、ゆだね合ってしまったようだ。彼女の宿は坂道の途中の小さなホテルだった。あと1街区ほどに近づくと 「部屋に来る?」 僕は立ち止まり、瞬時に日本に残した許婚やイタリアに来た理由等を思い巡らし、「行きたいけど・・ 戻れなくなりそうな自分に自信が無い。」 と正直に答えた。自分に恥ずかしいような悔しさで涙した顔を彼女の胸に埋めると、しばらく両腕でやさしく包み、暖かいキスで頬を拭ってくれた。そして、バックから手帳を取り出し、2枚切り抜いて住所を交換した。「手紙書くワ!うまく整理がついたらケベックに来て!きっとヨ!」と涙声で言うとそのままホテルに走り玄関で振り返り、「シーアゲイン!」と叫んで消えた。

 重い足取りで駅に向かった。できるなら今日のことは思い出の中にしまい込みたいと思って歩いた。しかし、体中の感触が騒いで消えないのである。あんなに楽しかった一日がこんなにも辛くなるなんて・・・

 駅でバックを受け取り、パリ行きの夜行列車のコンパートメントに乗った。寝台車ではないが、空いていた。出発までは時間があり、空いている3人掛けを一人で使用し、靴を脱いでコートをかけるとメラニィーの香りに包まれ、眠れそうに無い。列車が動き、しばらく走るとローザンヌに着いた。別の列車と連結され、新たな乗客も乗り込み、窓に頭を横たえ足を伸ばしてコートを掛け、車輪の軋みに身をゆだね、女性を好きになるとは何だろう?結婚とは何か?改めてNさんを思った。

 許婚であるNさんは当時竹中工務店の副部長付きの秘書であり、同時に第1、第2グループの全体の男達の世話役をこなしていた。とても優しく明るい人で、バイトの僕にもはじめから差別は無かった。すぐ親しくなって飲み会なども行くようになった。両グループは大変忙しかったが、若い連中は遊びも大好きで、季節によって海や釣りやスキーに出かけた。大会社だから鎌倉や草津などにも保養場が整い、施設は立派だ。しかし、皆の仕事には波があり、遊びの計画は突然に決まる。そんな時はどうしても遊撃隊の僕と世話役のNさんがまとめる形になる。僕も遊びなら会社の誰にも負けない自信があり、それに明るいNさんがサポートにつくのである、上手く行かないはずが無い。こんな事が繰返されるとこのコンビは最強のような気がしてきた。

 そんな乗りである日、彼女を含め何人かで我が家に来たことがあった。長年、職人をあしらってきた母が彼女に目を付けないはずがなっかった。僕は頭の片隅に将来は鉄工所も何とかしなくてはならない、とぼんやり考えていたが、まだその実感は無かった。しかし、母は現代ではなかなか見つけ難い男共をあしらえる彼女の才能をすぐに見抜き、すっかり気に入ってしまったようだ。しかし、その頃僕はなんとかイタリアに行く方法だけを探し、まだ結婚などはほとんど眼中になかった・・・。列車は何処までも平らなフランスの真っ暗な畑の中を突っ走っていた。

2008年12月16日

イタリア放浪時代<一時帰国 2>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 1:10 PM

 日が落ちると肌寒かったが「何処へ行きたい?」と聞かれ、迷わず「湖!」と答えた。彼女は僕の腕をとってすたすた歩き始め、10分もたたないうちに湖に出た。広い通りを越えると芝の土手の向こうは長い桟橋の堤で、明るい右の方が中心街のようだが、凪いだ湖に月も輝く湖畔の桟橋を左に向かった。たわいの無い会話も実に楽しく、ケベックはフランス人が多く、街は英語も話すがほとんどフランス語で、聖ローレンス川沿いの古くて綺麗な街だそうだ。あの川をこうやって手をつないで歩きたいと言って微笑んだ。コンクリートの桟橋は何処までも続き、ポンスには小さなヨットが何十艇も係留されている。何処までも歩きたいが、つい気が大きくなって「食事はご馳走しよう。美味しいとろに案内して。」と言うと「レストランには案内する。でもダッチカウントよ!」と腕を強く握った。ダッチカウント?初めて聞く言葉だったが、意味はすぐにわかった。

 レストランは湖を離れ、少し街中に入ったフランスの田舎料理の小さな店で、テーブルランプが置かれた静かなお店だった。毛糸の帽子とキルティングのコートを脱ぎ、ショートヘアーをかきあげて座るとドキッとするくらい知的で大人っぽく、眼のやり場に困ったが「どうこの店?一昨日も来たのよ。」とウインクしたのでホッとした。「何が食べたい?」と聞かれ、「嫌いなものは無い、それにフランス語がわからない。でもワインはブルゴーニュ!」と言った。OKとうなずいて店員を呼び美しい響きのフランス語で注文した。前菜から始まったが、特に煮込んだ肉の料理がとても美味しく 「ありがとう、とても美味しい!」と言うと 「あなたはとても美味しそうに食べるのネ、好きヨ!」と乾杯した。こんなにも楽しい会話の中でつい 「どうしてこんな時期に休暇なの?」とデリカシーの無いことを聞いてしまった。一瞬眉をひそめ 「いろいろあったの・・・」 しばらくの沈黙の後で 「私って好きな人のためなら何でもしてしまうの・・・」 と謎めいたことを言って眼に涙を浮かべる彼女に、手を握るだけで何も言ってあげられなかった。

 まもなく店を出て、何も言わずに手をつないで再び湖に向かった。程よく酔いもまわり寒くは無かった。桟橋では月はまだ高く、ボートだけ揺れて、人も居ない。二人は肩を寄せ合い、もう体温だけで会話の必要も無い。しばらく歩いてから立ち止まり、両肩に手を添えると眼を閉じて顔を上げた。そーと口づけると神経が集中して熱いものが体中を巡った。フーと息をつくように唇を離すと彼女は眼を開いて微笑んだ。そして下から強い力で抱き返しキスしてきた。とてもアクティブなキスで目眩がしそうだ。たじろいて、すっかり受身になってしまったが、とても自然な優しいキスだ。このままの姿勢が保てず、近くの土手の芝に僕のコートを敷き、彼女のキルティングコートにくるまった。

 横になると彼女のキスの技術はますます素晴らしく、これが欧米のテクニックかとたじたじになりながら、胸を僕の肩や胸に押し付けてくるのに気がついた。ブラジャーの違和感を感じ、自然にセーターの下から背中に手をまわしホックの紐を探り当て、斜めに引くとプルンと弾けた。少し筋肉質な背中から正面に手を回し、手のひらでは包みきれない程のやわらかい胸を下から揉み解すようにまわすとウ~とのけ反り、初めて彼女がしてほしいことは何かを考える余裕が出来た。しばらくは僕がコントロールできたと感じたが、いつの間にか再び彼女の優しさにすっかり夢見心地になってしまった。そのうち耳元で「ハンド・オ・マウス」とささやかれ、一瞬何を言われたかがわからず、気づくとベルトも外され股間に心地よいリズムを送られていた。すっかり慌ててしまって彼女の手を止めて「ストップ!エン・サンキュウ~!」と言うのが精一杯だった。いとおしい彼女をしっかりと胸に抱きしめ、しばらくそのまま月と湖をながめていた。

2008年12月9日

イタリア放浪時代<一時帰国 1>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 2:17 PM

 日本への飛行機はベルギーのブルッセル発である。アルプス越えたらコルビジュエ設計のロンシャンの教会が見たいと思ったが、調べると本線をかなり外れなければならない。とりあえずジュネーブまで行って、得意の夜行でパリに行こう。大きめのバックと梱包したポスターを脇に抱え、日本に戻るにしては気楽な感じでミラノ北駅から朝一番の汽車に乗った。

 まだ薄暗かったが、30分もすると辺りは山あいに変わり、国境の町コモに着く頃はまだ8時前だった。さすがにアルプスは美しく、昔読んだあのハンニバルが象を従えて越えた話は本当か?などと考えながら車窓を眺めた。谷間の小さい湖はあくまでも清らかで、朝日に照らされた家々の窓は大きく開けられ、木の構造が強調されている、これをスイス風というのであろう。のどかな景色からはヨーデルが聞こえそうである。

 ついにレマン湖の東の街ローザンヌに着いた。このまま真直ぐ行けばパリである。夜行列車がジュネーブ発なので、乗り換えて湖の西のはずれのジュネーブに向かった。まだ昼前である。到着すると荷物を駅に預け、カメラだけ持ちどのようにして時間を潰そうかと広場に出ると、「レマン湖周遊バス、出発1時」の看板が目に付いた。あと30分ある、こんな時は団体も有りかとチケットを買い、パンと牛乳で食事をとった。

 東京のはとバスのような綺麗なバスだが、乗客は30人ほどの元気なお年寄りの夫婦ばかりで、ちょっと場違いかなと思った。まずフランスの何とか王女さまの別邸に案内された。湖を見渡すこじんまりした美しい宮殿である。ガイドさんはフランス語を中心に英語をを混ぜながら話し、お年寄り達は何組かの団体のようである。乗客の中に僕の他にもう一人場違いな若い娘さんがいる事に気がついた。欧米人にしては背は高くない、郵便屋さんのようにバックを斜めに掛け両手を自由にして歩く元気の良いお嬢さんだ。

 次にバスが立ち寄った公園の桟橋でかもめと戯れて遊びながら、どこから来たのと聞いてみた。カナダのケベックと、頬にそばかすのある薄化粧の顔で少しぶっきらぼうに答えた。遠くで見たときはその軽い身のこなしからもっと若いお嬢さんかと思ったが、僕と同じかあるいは少し年上かもしれない。名前を聞くとメラニィーと言った。時々見せる笑顔がとても爽やかで、バスではそのまま隣に座り、いろいろな話をした。しかし、僕の英語力が至らないために深い話にならない。彼女は幼稚園か小学校の先生のようで、休暇を取って一人旅しているようだ。時々話がかみ合わないが、とてもゆっくり聞いてくれて、安心して話が出来る。

 シヨン城はレマン湖の東に突き出た橋を渡って入場する古城で、この周遊バスの目的地でもあった。この美しい城を巡る頃にはごく自然に彼女の腰に手を添えてエスコートしたり、手をつないだりすることが出来た。夕陽の高台では産毛を金色に光らせながら湖を見る姿に、これこそがマリア様だ!と心の中で感動した。その頃には一緒のお年寄り達も仲良しになった二人にウインクをしたりして微笑んでくれる。何かとてもいい気分だ。

 真直ぐ高速を使ってジュネーブに戻った時は、もう夕闇が迫っていた。僕はすぐにはメラニィーと離れがたい気持ちを抑え切れず、勇気を出して夕食を一緒にしたいと誘ったら、ちょっと大人ぽい顔してうなずいた。

 

2008年12月1日

南イタリア旅行計画 1

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 9:28 AM

 ずいぶん以前から南イタリア、特にシチリアを中心に旅したいと考えている。なぜかこの地域は僕にとって欠かせない場所のような気がしてならない。いろいろ調べるとイタリアではこの辺りをマグナ・グラキリアもう少し英語風に読むとマーニャ・グレーシャと呼ばれている。大ギリシャ文化地帯とでも訳せばよいのか世界中で一番ギリシャ文化が残っている地域のようだ。古代において南ヨーロッパ、中東、北アフリカ一帯はギリシャ文化の影響を受けなかった場所は無い。特にアレキサンダー大王による大遠征で一帯を治めたことも大きいが、自然科学や哲学がそれぞれの文明に与えた影響は計り知れない。しかし、その後の変遷により明確な痕跡を残す場所はギリシャ本土と南イタリアを除いては意外と少い。石の文化の建築と美術に数学の理念を持ち込んだのは偉大であった。長い年月でその遺跡がかなり崩れてもギリシャの痕跡は明確に残る。まさにこの一帯に形而学的な意味でギリシャの香りが残ると言える。

 そんな理屈は後で付けたことであったが、とにかく肥沃な南イタリアは気になって仕方がない地域だ。しかも、2~3日で通り過ぎるのではなく、じっくりと見たいのである。そんな気持ちを何年か暖めていたら、イタリア時代の親友であり「イタリア放浪時代」にも書いた、ミラノ在住のツトムさんに連絡が取れた。いつものおじさん達全員とはゆかないが、彼も含めて来年の季節の良い時期にレンタカーを借りて宿を決めずに2週間ぐらいでじっくり見て廻りたい。

 もちろん美味しいものを食べて、上手い酒を飲みに行くことが中心であるが、南イタリアならまだ昔のイタリアが残っているような気がして、今からわくわくして仕方が無い。もうすっかり錆付いてしまったイタリア語の勉強も始めようかと考えている。アメリカ旅行ではユマやサンディエゴのレストランでスペイン語相手に何とかなったから心配ないかもしれない。

 

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