イタリア放浪時代<一時帰国 8>
すっきりはしなかったが、自分としては一応の決着をつけたつもりだった。1日空けてあわただしい出発になった。安いチッケットなので朝早い。どうやって羽田に行くか算段をしていたら珍しく父が「俺が送って行く!」と言ってくれた。有難いことに父は無口な人である。朝焼けの高速を羽田に向かった。Nさんの事を考えると自然に目頭が熱くなる。涙眼の僕に何か有った事は父も感じているはずである。しかし、余計な事を言わず空港の玄関でバックを下ろし「気をつけて行って来い。」とだけ言って帰って行った。親父の大きさと温かさが身に沁みた。
帰りの飛行機も香港までは同じマレーシア航空であった。便が早いので空席が目立ったが離陸したとたん堪えていた涙腺が切れた。ひょっとすると彼女との事は僕の一人芝居であり、解決を焦りすぎたかもしれない。しかし、この人だけには解ってほしかった気持ちの空洞はいかんともしがたく糸の切れた凧のような迷走の旅になる恐怖におののいた。
香港で東京のお礼にご馳走してくれる約束をしたデンテさんのホテルに向かった。ホテルは雑誌で取り上げられた事のある超高層の近代ホテルだった。部屋に尋ねると見晴らしの素晴らしいツインルームだ。宿はどうしたと聞かれ「苦学生はこんな高いホテルには泊まれない、安い宿を探します。」と答えると、それなら「ここに泊まれ。」とベットとマットを分解して寝床を確保してくれた。実にシンパティコ(感じの良い)な奴らだ。僕の身軽な姿を見て「君の荷物はそれだけ? お願いがあるんだが、飛行機に乗る時1人分の荷物の量が決められているので一緒の荷物として運んでほしい。」と頼まれた。彼らは玩具の商社マンで日本でサンプルを集め、加工賃の安い香港で作らせヨーロッパで売る仕事をしているようで、沢山のサンプルを持っていた。ちょっとせこいようだがこのようにして国際ビジネスが成り立ち、その手伝いができる気分で嬉しくなった。
食事は彼らの取引先に連れられ老舗風の高級薬膳レストランの個室に案内され、それは仰天の晩餐会であった。出てくる料理は美しく飾られているが、何の肉か説明されても良く分からない。海老や蟹では無い甲殻類が出た。明らかに蛇の輪切りのような料理も出た。嘘だろう!ついに猿か羊の脳らしき白子の塊も出た。心を決めて強い酒で飲み込むようにして味わうしかない・・・・
翌日飛行場に運び込んだ彼らのバックの数はすざましい、サンプルは重くは無いのだが嵩張るのである。機内にも自分のバックの他に1つ持たされ、足の下に置く事になったが、これが長時間では相当にきつかった。TEA航空は1機しか無いのか、来た時と同じ飛行機のようで、驚いた事にスチュアデスさん達も1ヶ月前に来た時とほとんど同じメンバーである。不安もあったが、親近感も感じた。さすがにプノンペンの場外サービスは無かったが、同じコースを辿ってブルッセルに向かった。荷物と一緒に持ち込んでしまった彼女への深い悔恨の気持ちもヨーロッパに近づくにつれ少しづつ吹っ切れ、変わってがんばらなくてはと言い聞かせる自分を感じた。
ブルッセルに着く頃は、「よしゃ! 頑張るぞ!」と叫びたい気分で、もう無駄なお金は使えない。一刻も早くミラノに行こう!と夜行列車を乗り継いだ。