2009年2月25日

イタリア放浪時代<再びミラノ 1>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 5:30 PM

 再びミラノに戻ると状況が少し変わっていた。レストランの青田君が帰国の準備を始めただけでなく、郷田さんが日本に帰るからサンタニエーゼのアパルトメントの権利を僕とツヨシに譲りたいと言い出した。誰かが引き継がねばならないので引き継ぐ事にした。まもなくツヨシと二人になってしまい、広いアパルトメントを二人では経済的にもきついのでペルージアの友人や知り合いにシエアできる人を探した。ゴローさんが正月に来ると返事がきた。だが実際の話、郷田さんは道場主のお嬢さんと関係が出来てそちらの方入り浸たって、サンタニエーゼは必要が無くなっただけのようだ。そんなわけでその後もちょくちょくサンタニエーゼに現れた。

 そんなある日、お馬鹿なツヨシがどこからか若い女性を拾ってきた。いくらなんでも男所帯にそれは無いだろうと思ったが、彼女はイタリア生活が長いようで、気は強そうだが知的な人だ。名をキミコと言い、イタリア人の彼氏と別れ行く所が無いと言う。相談の結果、奥の細長い僕の勉強部屋の奥をカーテンで仕切り彼女の部屋にした。しかし、彼女の語学力はたいしたもので通訳で生計を立てているし、見かけによらずその生活態度はしっかりしているのに驚いた。生活のリズムや整理の仕方などに毅然とした所がある。

 そんな彼女からアルバイトに誘われた。フェラ(国際見本市)の日本ブースで農機具の三笠産業のスタッフとして参加する仕事である。完全な通訳でなく、少しイタリア語のわかる日本人で良いそうで、喜んで参加したが、言葉が不十分な僕にとってこの1週間がかなりきつかった。というより、無力さを見せ付けられる事になり、ミラノでお金を稼ぐ自信を喪失した。ようするに中途半端な仕事は無いと言う事だ! そこでお金の心配で行く事を悩んでいた語学校にすぐ申し込みに走った。

 ある夜、語学校から戻るとキミコ嬢が泣きながらここを出ると荷造りしており、異様な雰囲気であった。話を聞くとお馬鹿なツヨシが又やらかしたようだ。空手の先生のツヨシが彼女に交際を申し込んでひっぱたかれたらしい。笑い話にもならないが、二度とそのような事はしない事を誓わしてその場を治めた。男所帯で必死にがんばっているのだ。それはタブーだろう。本当に空気を読めない奴だ。

 ベロナからマキコ嬢の女友達が尋ねてきた。彼女もたくましい女で「イタリア男を煙に巻きながら生きているのよ!」なんて強がっていたが、ベロナの街の美しさを語りながら話す彼女の生き方が、そんなに荒んでいるようには見えなかった。4人でモンテ・ナポレオーネ通りの生バンドのバーで客も少なかったので日本語で唄いまくった夜は楽しかった。またマキコ嬢はカンツオーネが好きで、レコードの歌詞を1フレーズづつイタリア語のニュアンスを噛み砕いて話してくれて歌の素晴らしさやイタリア語の言い回しを教わった。

 彼氏の話も少しずつ語るようになり、年が一回り以上も離れている事や、小さな会社を持ち最近では、すこしずつよりを戻しているようで、ある日、彼がぜひ僕に会いたいと言っているらしい。僕には関係ないだろうと断わったが、兄貴のような人だと伝えているらしいので、仕方なく会う事になった。まるで保護者のような形で小さいレストランで会う事になった。小柄で、シャルル・アズナブールみたいな顔をして、彼女と一緒に会社を立ち上げ何とか自立し始めた所で、これからも彼女無しでは考えられないと僕に訴えてくる。悪い奴ではないと思ったが、僕の立ち入る余地は無い。ただ黙って聞いていただけだ。それからしばらくして彼女は風のようにサンタニエーゼを去っていった。

2009年2月12日

南イタリア旅行計画 2

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 10:21 AM

 南イタリア旅行計画に重大な事件が起こりました。通訳として参加してくれるはずであったイタリア時代の親友のツトム氏が、昨今の世界的不況により仕事の中心であった日本の企業の委託を切られて参加できない連絡がありましした。 痛い! ツトム氏だけでなく僕たちもこの不況に影響されないわけでないが、何年も暖めた団結がこんな事で緩むものではありません。逆に安いユーロで思わぬ恩典もありそうです。

 しかし、なんと言っても通訳不在のダメージは大きいです。旅行の形態を少し変更せざるを得ません。旅行のコースの調査はW氏がかなり完璧に調べているから心配無いのだが、問題は宿です。当初はポイントだけ予約し、あとは現場で感じの良いペンションなどを交渉しながら探して旅を続ける予定でした。しかし、通訳が居ないので、それは諦めた。一昨年にアメリカ旅行した時の経験から、知らない外国の街を車で走る時の必須アイテムはナビです。ハーツにはネバーロストナビという8ヶ国語で対応するナビがあります。これは画面が小さいが目的地を入力さえすればかなり親切なナビです。しかし、そのナビはどうしても始めにその日の目的地(宿泊地の住所)を入力する必要があります。それでなければゆっくりと観光しながら外国を運転出来ません。

 慣れないおじさんにはネットでの外国のホテルの予約も大変です。慌ててHOTEL CLUB の会員になって調べると主な都市では1年前から予約が出来て、安くてよいホテルからどんどん埋まっているようです。のんびりと3月になってなどと考えていたが、すぐにでも予約しなければならないことが解りました。また、小さい街にはホテルが無いか、あっても高級ホテルが1~2軒載っているだけです。このような街はペンションなどが多いのだろう。このランクの情報をどのように得るかが問題です。

 そしてついに、僕の35年も前のイタリア語が試される時が来たようです。ほとんど自信が有りません。急に心細くなってきました。短期間だけど何とかレストランとホテルの交渉ぐらい出来るようにしておこう。

2009年2月9日

どうなる設計基準 3

Filed under: 社長ブログ,設計 — boss @ 9:09 AM

<前面道路奮戦記>

今回は耐震や、新しい設計基準の話ではないが、最近かなり役所の対応が怪しい、先日、某区役所と前面道路について争った経過を報告します。

ディベロパーから小規模のマンションの設計依頼があった。役所との事前の打ち合わせでは特に問題はなかった。しかし、事前公開版を出すとすぐ役所からクレームが来た。

敷地は大通りから20mぐらい入った道に接する敷地で、さらに5m程先はあまり広くない裏通りに面している。問題はこの道が、大通りに面する幅員が4.5mくらいで裏通り側が6mぐらいの斜めの道であった。建築基準法で前面道路というのは道路斜線や容積の算定に重大な影響を与え、特に今回のように商業地区だと少しの幅員の差がすぐ20%ぐらい容積が変わってしまい、事業の存亡に関わることになる。

前面道路の位置を接道義務から考える緩和の措置で広い方から2mという考えもあるが、条件を厳しく考え敷地に接している道路の中心で申請した。しかし、役所から容積に関しての前面道路は大通り側の入り口と敷地に接する反対側までの中心で考えよ。と指導された。しかし、この指導を受け入れると容積が10%ほど減ってしまい、その根拠も不明確であり当然納得できません。

第1回目の質問状を指導課に持ち込んだ。 1.この条件はこの場所だけの特例ですか。 2.大通りの入口に対応する位置は裏通りの出口であって、条件の違う中心を測定するのは理論的に無理でないか。又それに応じて計算すると前面道路幅員が敷地に接していない位置になってしまう。これでは前面道路とは言えないのでないか。 3.この方法で容積率を算定すると一つの敷地で道路斜線や天空率を算定する前面道路と、敷地に接してない別の前面道路が存在してしまう。これでは基準法上に問題が生じないか。

この質問に対し、3枚の解説本の抜粋に赤線を引いたものを根拠とし、社会性や環境を考え、前面道路は大通りの入口側とする。と、前回よりかなり厳しい指導がきた。それでは容積率が20%も減ることを意味し、事業が成立しなくなり、地権者の財産権に関わることになる。

もちろん第2回目の質問状を提出した。1.役所は根拠として提出した文書の中で相当区間の意味を拡大解釈して社会性や環境を持ち込んでいるけれど、その文書に、「かつ」以下、接道義務がついて状況を限定し、わざわざそのように拡大解釈をしないように書いてある。 2.もう一つ提示された例でも、「自分の敷地のみが広がっている場合は」と主語で限定しているにもかかわらず、赤線でその主語を外して、広がってないのが明らかなのにも関わらず、これに相当すると主張しているのはどうしてか。

これらの質問に対し、役所は文章としてはそう読めるかもしれないが、社会性や環境を考え、たとえ20m程離れていてもここを前面道路とする。第1回目の3も含めて基準法には矛盾はしない。との主張でした。

このような主張では、理論も何も有りません。どこかの捕鯨反対団体とおなじで、社会性や環境と叫べばもはや法律も日本語も関係ないないようです。仕方が無いので近隣の実例を調べあげた。案の定どのビルもそんな規定に従って設計されている物件はありません。その実例を持って第3回目の質問状を提出した。やはり実例は何よりも強く、その日の夕方にやっと無事、私達の主張が認められた。ほぼ1ヶ月間の不毛な戦いが終わり、ただ無駄な時間と労力だけが流れたことになった。

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