2009年3月27日

イタリア放浪時代<再びミラノ 5>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 9:33 AM

 そんな驚きのギャンブルで思わぬお年玉を手にして新年を迎えた。そしてすぐに、約束どうりペルージアからゴローさんがやって来た。気が置けない話が出来る親友が来る事は本当に嬉しく、しかし1週間ほどしかミラノに滞在できないらしい。アメリカの西海岸で2~3週間程の用事を済ませて戻って来る、と言っている。もちろんヤスコ嬢も呼んで歓迎パーティーを開いたわけだが、男としてのライバル的な気持ちも多少あるゴローさんにはさすがに彼女と一緒に南イタリアに行く話はしずらかったが、彼女もそのあたりはうまくはぐらかし、さりげなく親しさを見せてくれて嬉しかった。僕にとって一級建築士の資格が日本に帰ってからいかに大事か、3月には仕事をする事になった話を自分の事のように喜んでくれ、また、あれからのペルージアでの話など尽きる事は無かった。あっという間に1週間が過ぎ、荷物を残したまま身軽な感じでミラノを発っていった。

 さて、今度は僕が今泉さんに話をしなければならないと思い、今泉さんの部屋を訪ねた。つい先日のNさん宅での醜態が頭を過ぎって緊張したが、「大人として、責任を持って南イタリアを案内します。」 と切り出すと、お兄さんは 「お前達はもう充分に大人だろう。僕の了解なんか関係ない。自分の行動は自分で責任を取るだけだ。」 とにこっと笑った。改めてそうゆう事が大人なのだとお兄さんの言葉に感動した。二人で街に出て旅の計画を練りながら、「素敵なお兄さんだね!」と言うと、「ちょっとカッコウをつけたみたいね!」 と笑っていた。

 出発の前日、ツヨシに彼女と南イタリアに行くと話したら目を丸くして驚いた。親しそうにしていたのは知っていたはずだが、一緒に旅行に行くほどとは思わなかったようだ。帰国してからのNさんとの失敗の話はしてある。二人がどのようになるか分からないが、恋愛に関してはいつもお馬鹿なツヨシに大人の恋愛を見せることが出来るなどと偉そうに思った時、いやいや僕こそたぶん大人と自覚して初めての恋愛が始まるのだ!と強く感じ、厳粛な気持ちで受け止めた。

 翌日は朝早くミラノを発った。急行列車は並んで座る席なので少しホッとした。ちょっとはにかみながら僕の腕を取り肩を寄せて過ぎ行く景色を眺め、これから始まるすべてに期待と不安をかみ締めているようだ。ボローニア、フィレンツエと南に下ると日も差し始めた。何日ぶりの太陽だろう。しばらく走ると列車なのに頼むと座席まで食事を運んでくれるサービスがあった。昼食のパスタに1/2ボトルの赤ワインを注文して、徐々に緊張を解いた。

 ローマのテルミナ(終着駅)に着いたのはもう昼下がりだった。数ヶ月前、逃げるようにこの駅を発ったのを昨日の事のように思い出す。まずはホテルを探さねばならない。案内所でツインでいいねと断わってホテルを決め、そのままフォロロマーノに向かった。広大な廃墟の中に紛れ込むと歴史の中に溶け込んだようで、互いに見つめ合い唇を重ねると、じんわりと幸せな気分に包まれた。僕はミケランジェロにだけは敬意を表したくてバチカンに向かった。サンピエトロ寺院の広場の列柱の中にたたずみ、厳粛な気持ちで手を取り合ってクーポラを見あげると日もかげり始めた。市内に戻り街角の小さなレストランを探し、旅の始まりを祝した。二人だけの晩餐はイブの夜から2度目である。もう言葉は要らない。ただそこに居てくれるだけで嬉しかった。しかし、その日何を食べて飲んだのかの記憶はない。

 二人の心は充分に許しあっているはずだったが、僕はなぜかホテルで焦って求めたりしないと決めていた。そんな訳で、ホテルではちょっと気まずく、先にシャワーを浴びてベットにもぐりこんだ。彼女のシャワーとベットに入る音をなぞりながら胸が高鳴った。しかし、いくら時が流れても眠れそうに無い。そっと彼女を伺うとまだ眠ってしまった様子はない。たまらず 「起きている」 と声を掛けると、「クク・・」 と笑う声が聞こえた。「そっちに移ってもいい?」 と聞くと背中を向けたまま向こうにずれた。作られたスペースに滑り込みフーと息をついて丸めた背中にそっと触れると、彼女はくるっと振り向いてすっぽっと僕の腕の中に入り込んだ。

2009年3月19日

イタリア放浪時代<再びミラノ 4>

Filed under: 社長ブログ — boss @ 10:25 AM

 イタリアのクリスマスはケーキでなく、パネットーネ(カステラ風な葡萄パン)のようで、ワイン等を持って郷田さんやツトム君らがサンタニエーゼに集まって来た。下のレストランのカルーチョからも日頃のお礼だと赤いリボンの付いたパネットーネが届いた。彼女と教会にでも行きたいのに、結局、クリスマスに寂しい人達のためのパーティーになった。それでも彼女も参加して浮かれ気味だったが、さ中に待望の日本から一級建築士の合格の知らせも有り、ますます絶好調だった。そんな時、郷田さんから大晦日はサンタニエーゼで毎年恒例の徹夜でのポーカー大会をしようとの提案があった。それがどんなものかよく考ず、調子に乗って軽く受けてしまった。

 あとで後悔した。大晦日こそは彼女とカウントダウンを楽しみたかったのに、懐も寂しいのに徹夜でポーカーをしようというのである。もちろん自分に博才があるとなどと思ったことはない。ただ流れで言ってしまったが、あまりみっともない事も出来ない。なけなしの1万リラと小銭だけ財布に入れ、これが無くなったら終わりにしよう、と心に決めて準備した。夕方、食料をどっさり抱え、郷田さんは門脇さんと、何年もミラノに暮すデザイナーの早川さんを連れてきた。早川さんはたぶん安酒の飲み過ぎなのだろう顔が土色である。他に料理関係の人やあまり馴染の無い人も含めギャンブル好きの迫力のメンバーが14~5人程集まった。

 3つのテーブルで始まった。僕はちょっと迫力に押されて、テレビで日本の紅白のような大晦日の歌番組のカンタジーロを見ていたが、ホストとしてはどうしても参加せざるを得ない。すぐに負けてしまったツヨシに変わり、まだ小額のコインが飛び交っている頃に参加した。しばらくは気が付かなかったが、この日は妙に札の目が良いのである。慣れるとあまり負ける気がしない。一般にポーカーフェースが良いと言うけれど、僕は同じペースで喋り続ける騒がしいタイプである。11時を過ぎると僕らのテーブルは郷田さんと二人になってしまい、もう負け組みは帰り始めた。そしてまもなく皆がサンドイッチやピザやワインを食べ散らかしたままテーブルは勝ち組みだけの1つになった。

 14~5人分の小銭の山が行ったり来たりしている。12時を回りコックのKさんが脱落する頃には5千や1万札も飛び交い始めた。2時も回った頃に郷田さんが遠吼えのような絶叫と共に脱落し、ついに僕と早川さんの勝負になった。さすがに僕はもうあまり喋べらないが、不思議と覚めていて、ポケットにはすでに5万リラ入れてあり、テーブルの上のお金が消えたらたら終るまでだ、と軽い気分だった。夜が明け外が白み始めた時、早川さんの土色のこめかみが引きつるのを見て、終ったなと思った。その日集まった人の金が全部目の前に積まれている。興奮していてあまり実感が無かったが、35万リラを越えていた。ポケットの中まで入れると40万リラ(現在なら5~60万円程)である。人には時々流れのようなものを感じる時がある、この日の僕は確かに流れをつ掴んだような気がした。

2009年3月13日

イタリア放浪時代<再びミラノ 3>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 9:45 AM

 曇天の重い空気の中で、眩しいような光景に出会った。サンタニエーゼの上の階に住み、公費留学でミラノ大学に通う今泉さんが石畳の街を裾の広い白いパンツにアイボリーのセーター、真っ赤なカシミアのハーフコートを共のベルトで軽く結んだ美しい女性と歩いている姿を見た。二人の周りだけがパーと明るくなっているようである。買い物袋を持って見とれる僕が 「素敵な人と歩いていますね!今泉さん!」 と声をかけると 「いや~ 実は妹なんだよ!1ヶ月ほど遊びに来ているのでよろしく!」 の返事だ。嬉しくなって、「それではすぐに歓迎パーティーをしましょう!」 こんな時の僕の反応はすばやい。 「ありがとう!」 彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 すぐに歓迎パーティーを開いた。仲間達が日本食やワインを持ち寄ってのパーティーである。彼女はヤスコと名乗り、新宿の”ひよしや”(森英恵の店)に勤める帽子のデザイナーだった。ファッションには縁の無い僕には別世界の人のようにも思えたが、当時では珍しい縁無しのメガネの奥で時々見せる笑顔にちょっと胸が騒いだ。もちろんその夜の主役だが、僕はパーティーの主催者気分ですかっり友達になり、時間があったらミラノを案内すると約束をした。

 時間は沢山ある僕だから、お兄さんに代わって案内役になった。彼女の興味はミラノのファッションが中心だ。気弱そうに見えたが、ファッションに関しては違って、気後れするような高級店にも僕の手を引いてどんどん入って行き、下手な僕の通訳で買うわけでないのに質問する。プロと言うのはそうしたものかと感心した。いろいろ案内したが、ちょうどその頃ソプラノ歌手で林康子さんが大変な人気で、その年のクラシック部門のNO1にノミネートされ、オペラが人気だった。スカラ座でも林さんではなかったが”トスカ”を公演していた。もちろん一般席の空席は無かったが、天井桟敷席は学生値段で入れることを聞き、彼女を案内した。切符売り場は特別に楽屋口のような場所に有った。5階まで非常階段のような専用階段を登ってドアを開けると壁画の書いてある天井すれすれの席であり、照明器具も眼下にぶら下がり、ステージも客席も真上から見下ろす席であった。しかし、建築家にとってはこんなに嬉しい席は無く、この馬蹄形劇場の図面が書けるような気分である。もちろん”トスカ”も素晴らしかったが、喜んでこんな場所に付き合ってくれる彼女に感謝した。

 年の瀬も迫り、まもなくクリスマスである。わがサンタニエーゼのレストランはそれなりに有名らしく、1階しか見たことが事が無かったが、地下に素晴らしい部屋が有ると聞いていた。店主のカルーチョは顔に似合わず女性好きで恐妻家である。時々女性の事で棒や包丁を持った奥さんに追いかけられて「アユート ゴーダ!(たすけて!郷田)」と逃げ回るような典型的なイタリア人だ。そんなカルーチョにイブの夜に二人分の予約を申し込むと、肩をつついて俺に任せろとウインクした。

 レストランの地下は想像を越えていた。そこは漆喰で塗られたレンガ色と白い空間で、古い遺跡の洞窟を改造したのか掘られたアーチの中にテーブルが置かれ、それらをランプで演出している。そんな中に案内されて、恰幅の良いあのカルーチョが見違えるような真っ白な制服姿に赤いスカーフで 「美しいシニョリーナ、なんに致しましょう。」 なんて言うのである。こんな素敵な店がサンタニエーゼに有ったのか!僕たちの話が弾んだのは言うまでも無い。互いの個人的な話で盛り上がり、時を忘れ気分が高揚し年が明けたら、行きたかった南イタリアを案内する約束までしてしまった。

2009年3月5日

イタリア放浪時代<再びミラノ 2>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 6:11 PM

 ミラノでは11月の終わりから春まで曇天と言うか霧に包まれてほとんど太陽を見ない。そんな重苦しい中で、龍村さんから建築家に合わせてくれる連絡があり、しかもディナーに招待された。ワインと作品の写真集を持ち、龍村さんと建築家のベッローニ家に向かった。ゲート付き中庭のある高級アパルトメントの3階を訪ねると素敵な奥さんの出迎えを受け、20帖ほどのモダンな建築家の家らしいこげ茶色にコーディネートされた居間に通された。建築家のベッローニさんはイタリア人というよりアングロサクソン系の背の高い40歳くらいの人だった。淡い黄色のシャツに小さめの青いベストが良く似合うボーイッシュな奥さんと中学生くらいのおとなしそうな可愛いお嬢さんの3人暮らしのようなうだ。

 建築家はソファーに腰掛けて、僕の作品集を見ながらいろいろ質問をする。龍村さんの助け舟を借りながら何とか必死で答えた。特に日本文化に興味があるようで、京都や宮島の話で盛り上がった。言葉にはかなりく苦しんだが、感触は悪くなかった。最後に先日、建築ではプリモクラッセ(最上級)の国家試験を受けに戻り、多分合格しているであろう事を宣伝した。これで決まったと思ったが、しかしすぐ事務所に来いとは言わず、イタリアの仕事のスタイルを話して、3月頃から新しいプロジェクトが始まるので、2月の末頃に事務所に尋ねるようにと言われた。すいぶん先の話だが、なによりプロジェクトに参加させてもらえる可能性があることを事を喜んだ。

 居間の片隅のディナーテーブルに移り食事が始まった。奥さんが作るのかなと思ったが、なんとメイドさんが現れ、僕たちは5人で楽しく話しながらのディナーであった。これがハイソサエティーのディナーかと感激した。酔いが回ると龍村さんのわびやさびでないもっと力強い日本の原始芸術論やイタリアの経済状況が建築事情も苦しめている話で盛り上がった。

 相変らず曇天が続く中を郷田さんがツヨシに空手の指導のアルバイトの話をもって来た。そして明日は車でスイスまで大根を買いに行こうと誘われた。その頃のミラノには大根は無かったが、スイスなら売っているらしい。そしてタバコを3カートン程買うと税金の差益で高速代とガソリン代が浮くらしい。僕はタバコを吸わなかったが、日本人の苦学生達はそうして交代でスイスまで行ってタバコを用意しているらしい。翌日、郷田さんと柔道の門脇さんがワーゲンのビートルに乗ってやってきた。しかし4人では狭いので僕だけが行くことになった。

 さすがにアウトストラーダ(高速道路)は快適で速度の上限がない。ポルシェやフェラーリーが3本もある追い越し斜線を信じられないスピードで追い越して行く。こんな道路があるからあのような車が発達するんだと納得した。国境の街コモで高速を降りて国境を越えると湖の街ルガーノに入った。小さな街だがそれなりに商業が盛んなようで時計や宝石等の店や銀行が並んでいた。スーパーもあり、小さかったが待望の大根や納豆、豆腐を手に入れパニーニで昼食を終えて湖に向かった。公園の辺に湖をバックに懐かしい感じがする真っ赤な美しい車が止まっていた。アレ! この車はなんだっけ? とマークを探すとなんとそれはスカイラインだ!何と日本車ではないか! このようなロケーションで見るとこの車はこんなにも美しいのか! と感嘆した。それにしても何が変わったのか良く分からないがスイスに入ったと聞くだけで不思議な清潔さを感じるのは僕だけだろうか?

 ルガーノから再びコモに戻った。コモはイタリア最北の行楽地であり、高級ブランドの工場や繊維工業なども発達している湖の辺の美しい街である。まだ雪は降っていなかったが、何となく冬支度のコモの街で夕食を終えて帰ろうとして驚いた。薄暗くなった山際に霧が流れている。ちょっと不安がよぎった。帰りは大丈夫か? 案の定、高速に入ると霧注意のランプが点滅している。始めはそれほどには思わなかったが、そのうち突然1m先も見えないくらいの深い霧の塊にぶつかるようになる。そんな時は前の車バンパーと車線を照らしてのろのろ付いて行くしかない。こんな時に追い越し斜線に入る車はもちろん無い。山を降りるまで続いた。サンタニエーゼに着いたのはほとんど深夜に近かった。

 

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