2009年4月24日

イタリア放浪時代<再びミラノ 9>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 2:55 PM

 相変らずの曇天が続くミラノに戻ると虚脱状態というか、何をして良いのか分からない日が続いた。ただ再び彼女をミラノに迎える事が可能であるかだけを考えて過ごした。自分に降りかかる苦労はすべて勉強と考えているので何の心配もしていない、また、どんな事も成し遂げるバイタリティーにも自信がある。だが、二人の生活を支えながら異国で言葉のハンディーを乗り越えて建築の勉強を進める自信はまだない。でも何とか受け皿を作りたい。

 そんな鬱積した日が続くある日、ゴローさんが海産物を抱えてサン・フランシスコから帰ってきた。数の子や子持ち昆布、ウニや蟹缶などそれは贅沢なお産物に驚いた。今ではアメリカ西海岸でお鮨屋さんなど日本食が流行っているが、当時は海産物が豊富なのにあまり食べず安かったらしい。この海産物目当てではないと思うが、再びサンタニエーゼに人が集まってきた。そしてゴローさんが僕にシスコに行った本当の理由を話し始めた。いろいろ世界を回って改めて決心し、アメリカ時代の意中の女性に正式に結婚を申し込みに行ったようだ。彼女は日系の3世で、我々より遥かに日本的で古き良き伝統をしっかり身に付けていると感激したようだ。日本に戻り、受け入れの態勢を作って彼女を呼び寄せる事にしたと言う。その話になると当然、ヤスコ嬢の話をしなければならない。出発前に何故言わなかったのかと責められたが、あの頃はまだ微妙であったと正直に話した。しかし、二人は期せずして同時期に人生の伴侶を決めたようだ。

 それにしてもミラノは寒くて薄暗い日々が続く、慣れない僕らには精神的に辛い季節だ。毎日布団に包ってゴロゴロしていても始まらない。車でもあればと考え、レンタカーの事務所を覗いてみた。1週間単位で借りると案外安い事が分かった。ツヨシとゴローさんに相談すると「それは良い!暖かい所に行こう!」とすぐにまとまった。南イタリアの案も出たが、それだけは勘弁してくれと僕が断わった。それではステルジョスとの合言葉だった「ギリシャのルーチェロッサに行こう!」などとルートの相談している時、ペルージアからアッズーロ(和志)が尋ねてきた。旅行には頼もしい5ヶ国語を喋る、外語大の特待生が現れたのだ。期せずしてペルージア時代の仲間4人でレンタカーによるギリシャ、トルコ方面の大旅行計画が練られることになった。

 フィアットの特別キャンペーンで1500ccの乗用車を格安で3週間借りる事にした。ギリシャを廻ってイスタンブールぐらいまでは行けるだろう。ところが出発の直前になって、最近サンタニエーゼに現れるようになった30後半の医者の息子で何のためにミラノに暮らしているのか理解しがたい谷原さんが、どうしても参加したいと頼んでくる。このメンバーではちょっと浮きそうな感じと、2000kmを越える行程にあの車で5人は苦しいと思ったが、体が小さい事とレンタカー代が安くなるので、認めることにした。

2009年4月17日

イタリア放浪時代<再びミラノ 8>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 3:16 PM

 夢の中の事のような旅も、帰りの列車ではどうしても現実に戻される。甘い気分で交わした約束も現実に照らすと難しさも見え、その確認はなかなか辛い作業でもある。しかし、それらを振り払って雄雄しく進む姿を見せる事こそが、今僕ができる愛だと思った。ミラノに戻るとすぐに彼女が日本に帰る日が迫っていた。飛行機はロンドン発だったので、まだまだ尽きない約束を交わすためと、すぐには別れ難い気持ちでパリまで送る事にした。

 夜行でパリに着いて、まず貴金属店を探した。裏街を歩いて店の奥で作業しながら販売しているような小さい店を探した。小さくとも綺麗な石が入った指輪を探したが、とても今の僕に買える値段ではなかった。横のケースに1.2mm程のピラミットの格子が帯状に削られそのカット面がキラキラ光るプラチナのリングを見つけた。「どう?」と彼女の顔を覗くと嬉しそうだった。値段が$120だったが、交渉で$90(約3万円)にしてくれると言う。彼女はとても気に入ったが、ケースから取り出して指にはめると人差し指でもまだ緩く、諦めざるを得ないかなと思った。しかし、店主が僕たちのために特別に今日の夕方までには直してくれると言った。それから軽い昼食を済ませ、ルーブル博物館はあまりに大きいので印象派美術館から僕が好きなノートルダム寺院等を廻って再び貴金属店に戻ると主人が満足そうに出来たてのリングを光にかざしていた。裏に新たに刻まれた文字を確認して彼女の薬指にそっとはめると小さな幾つものピラミットがキラキラ輝いた。

 一時帰国のときカルチェラタンで探した中華料理店を覗くと小柄な中国人の小父さんが僕を覚えてくれて、「今日は素敵なお嬢さんとご一緒で!」と愛想が良かった。つい「僕のフィアンセです!」と紹介してしまった。僕としてはちょっと豪勢にエビチリ、チンジャオロース、豚の角煮等を頼んでしばしの別れを惜しんでいると、今日は良いのが入ったからと皿一杯の茶色いイガイガのライチをプレゼントしてくれた。前回、美味しくてお代りをしたことを覚えてくれたらしい。彼女もこれが初めてのようで、イガイガを外してプリンと口の中に入れるとなんともいえない味がする。

 僕たちはちょっと頑張てシティーホテルを探した。とはいってもただ浴槽付きだけでよかったのだが、愛しい互いの体を目に焼き付けておくために泡風呂にして清めあった。そして互いの体にまるで自分の刻印を押し付けるように求めあい、確認しあった。しかし、別れというものは体がどんなに満たされても、心のどこかに不安は残るものである。その切なさは朝になっても消える事はない。女性ならなおの事であろう。僕は精一杯自信に満ちた顔を見せてあげよう!そう心に誓った。

 翌日のロンドン行きの列車を見送る笑顔の下で張り裂けんばかりの気持ちを隠すのが辛かった。そして、僕はそのまま真直ぐミラノに向かった。

 

2009年4月10日

イタリア放浪時代<再びミラノ 7>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 3:01 PM

 小鳥の声で目覚めると、鎧戸は開け放たれており、涼やかな風が部屋中に流れていた。森と海の香りに深呼吸したい気分でまどろみながら、遠い良き時代のイタリアをぼーと考えていたら、「コーヒーどう?」と声がした。ガウン姿で海を見ながらのコーヒーが臓腑に染み渡った。

 身支度を整えて、広場のバルで簡単に食事しながらオーナーに昨日のホテルとトラトリアの素晴らしかった事に感謝した。そして、カプリからソレントに戻り、青い海を背景に何処までも険しい半島の坂道をバスで西から南に回って、アマルフィに向かった。石造りの美しい村を見る度に下車したくなる衝動を抑えながらたどり着いた街はもっと衝撃だった。海側と港へ向かう道の他に車の入れる道はない。谷間に貼り付いたような街である。メインの道は有るようだ、その他は複雑な階段やトンネルなどで構成されている。正面広場の階段の上にはロマネスク風の荘厳なな教会がかっての栄光を示している。その街の複雑さはペルージアの比較にならず、どこか古代かアラブの香りがする。ホテルは空いていて、細い道の階段を登った先が選んだホテルだった。ちいさな部屋だが、窓を開けると左の眼下に教会の屋根が見え、正面は谷間に包まれて海に開放されている。最もアマルフィらしいホテルといえるだろう。

 観光客の少ない季節で教会やお店を廻り、夕方になって小雨が降り始めた。雨宿りも兼ねて小さな広場に面するガラス格子のレストランに入った。少し、早いのか他に客はいない、ガーデンテラスのようで少し寒く、若いボーイさんが石油ストーブを持ってきてくれた。厨房に大きなピザ釜が見えたので、ピザとチーズを頼んでゆっくりワインを飲み、いい気分になったが、まだ客は現れない。マスターが挨拶に現れたので 「魚はある?」 と聞くと、親指を立てて 「シイー!シニョール」 と言った。「色のない(黒かグレー)魚を、バターもオイルも付けないで、塩だけ振ってピザ釜で焼いてください。」 と頼むと、すぐに彼は30cmを越える黒鯛のような魚をバットに入れて持ってきた。ちょっと大きいと思ったが、ひれと尻尾にテーブルソルトを擦り付け、上からパラパラと振って 「OK プレゴ(どうぞ)」 と焼いてもらった。焦げた杉の葉にレモンが添えられ焼きあがった。それは美味しくて懐かしい味がした。マスターに試食してもらい、これが日本風だ!と自慢するとなるほどと感心していた。すっかり和み食事も終わりに近づくと、若いボーイさんにデザートはと問われた。何でもいいと答えると、まもなく彼が暗い広場を駆けて戻るのを見た。そしてすぐに葉のついたもぎたてのオレンジをお皿に載せて持ってきたのには驚き、思わず少年にチップをはずんだ。

 翌日、サレルノを経由し、再び列車で南下してパエストムに向かった。素晴らしいギリシャ神殿があることだけは聞いていた。それは平地のため、パルテノンのような派手さは無いが、森の中にほぼ完全の形で存在していた。その毅然とした姿に僕たちの旅の終着地をここに選んだことが間違っていない事を確信した。近くには円形劇場や他にもかなり原形を留めた遺跡も散在し、古代の迷宮に入り込んだようだ。付随する博物館にもほとんど人は居なかったが、美しい赤絵の壷に描かれているデザインは間違いなくギリシャであり、出土した彫刻群もギリシャそのものである、何でここがギリシャなのかと更なる迷宮に入り込んでしまった。

 この迷宮の地は僕たちの新しい出発の地にするのにふさわしい。これからの二人は今のような幸せな気分だけで過ごすわけには行かないだろう。たぶん人生の迷宮に迷いながら進まねばならない。そんな気持ちを確かめながら夜を迎え、ここで終えなければならない旅をなごり惜しんだ。

 

 

 

 

2009年4月2日

イタリア放浪時代<再びミラノ 6>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 5:37 PM

 翌朝もよく晴れて、そのままナポリに向かった。車窓からは山並みも輝いて、このままの時間が続いてくれたらと願った。ナポリでは喧騒の市場から、裏街を抜けてカメオ等を作りながら販売するお店を覗いたりして丘に登った。風のない穏やかなナポリ湾を眼下に叫びたいような幸せな気分で未来を誓い合った。港を回り、食べたスパゲッティーマリゲリータはトマトしか入っていないのにどうしてこんなに美味しいのだろう等とたわいない話が嬉しかった。しかし、僕たちはもはや夜が待ち遠しくて、ホテルにワインを持ち込み、若い体をぶつけ合い求め合った。

 満たされた眩しい朝を迎え、まるで逃避行の様にさらに南のソレントに向かった。グロッタ・アッズーロ(蒼の洞窟)と呼ばれる名所があるようだが、冬の海は荒れる日が多くその日も欠航だった。それならとカプリ島に渡った。カプリ島は小さな美しい島だが、港の反対側にアナカプリと言う世界の金持ち達の別荘群があり、好奇心に駆られそちらに向かった。丘を越えると季節はずれの街は鎧戸が閉まっている家が多く元気がないように見えたが、なだらかな傾斜地に様々な造りの別荘があった。小さな広場に面するバルでエスプレッソを飲みながら親しくなった店のオーナーに近くに安く泊まれる宿と美味しいレストランがないか聞くと。しばらく考えて、ちょっと待てお前達にぴったりの場所があるかもしれない、とどこかに電話した。4千リラ(2千円)でよいと言っている。あそこなら最高だ、と言って地図を書いてくれた。

 尋ねるとそこはホテルと言うよりちょっとした宮殿のようで、門のベルを鳴らすと管理人のような小父さんがニコニコ笑って出迎えてくれた。列柱の回廊を2階に上がって突き当たりのドアを開けると、ビューロウに壷が置かれた前室があった。左がトイレとバスルームのようで正面を開けると20畳ほどの高い天井の部屋で家具が民芸風に統一され、何とベットは4本の柱で天蓋からレースのカーテンが下がっていた。正面と左側は床までの鎧戸になっていて開け放すとバルコニーでつながり、その向こうに夕陽の輝く地中海が見える。驚いて喜ぶ僕らに小父さんは、困る事があったら何でも連絡してくださいとだけ伝えて鍵を渡してくれた。ここはホテルなのだろうかと疑問に思ったが、贅沢さに無縁だった僕たちの旅にこんな素敵な事がおきるなんてと感謝した。

 再びバルのオーナーに教えられたトラトリア(食堂)を探しに出かけると、それは小さな店で、客は僕たちだけだった。前掛け姿の小母さんが注文を受けに来て、今日の前菜はバジルのニョッキだよと言われ、それと海老とイカのトマト煮を頼んだ。ニョッキはバジルを練り込んだチーズ味の小さな水餃子の様でこれがたまらなく美味しかった。その夜の客は僕たちだけのようでサラミなどをつまみに飲み始めると、そのうち小母さんも一緒に加わった。すっかり仲良しになってしまい、彼女は今は一人暮らしで旦那が出稼ぎで、バカンスの忙しい季節だけ戻るようだ。

 いい気分で宿に戻ったが他に客があるようには見えない。この宮殿丸ごと貸切だ!と王様の気分でバスに浸かり、ガウンに着替え、鎧戸を開け放つと遠い水平線に漁船の光がぽつぽつと見えた。デッキチェアで古代に思いを馳せると彼女はワインを持って僕の膝に腰を下ろし腕を絡めた。しばらく黙って暗い海を見つめたが、さすがに涼しく、そのまま彼女を抱いてベットのカーテンを開いて横たえた。鎧戸を閉めて部屋の明りを消して戻ると天蓋から照らされた薄明かりの下で彼女のすらっとした真っ白い肌がさらされていた。目が眩むほどの感激でたじろく僕はその小さい胸のふくらみをそっと手で包み、先をくわえるとピクンと戦慄いた。それを合図のように体を重ねた。若いエネルギーをぶつける事が彼女への最大の奉仕とばかり上下動を繰返していた時、底から搾り出すような声で 「動かないで!」 と僕の背中に爪を立て信じられない力でしがみ付いてくる。そして彼女の内側の別の生き物が激しくのた打ち回るように動き絶叫と共に果てた。しばし彼女の細い首筋を胸に抱きながら、この結びつきの深さと高まる愛おしさを神々に感謝したい気持ちだった。

 

 

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