イタリア放浪時代<再びミラノ 9>
相変らずの曇天が続くミラノに戻ると虚脱状態というか、何をして良いのか分からない日が続いた。ただ再び彼女をミラノに迎える事が可能であるかだけを考えて過ごした。自分に降りかかる苦労はすべて勉強と考えているので何の心配もしていない、また、どんな事も成し遂げるバイタリティーにも自信がある。だが、二人の生活を支えながら異国で言葉のハンディーを乗り越えて建築の勉強を進める自信はまだない。でも何とか受け皿を作りたい。
そんな鬱積した日が続くある日、ゴローさんが海産物を抱えてサン・フランシスコから帰ってきた。数の子や子持ち昆布、ウニや蟹缶などそれは贅沢なお産物に驚いた。今ではアメリカ西海岸でお鮨屋さんなど日本食が流行っているが、当時は海産物が豊富なのにあまり食べず安かったらしい。この海産物目当てではないと思うが、再びサンタニエーゼに人が集まってきた。そしてゴローさんが僕にシスコに行った本当の理由を話し始めた。いろいろ世界を回って改めて決心し、アメリカ時代の意中の女性に正式に結婚を申し込みに行ったようだ。彼女は日系の3世で、我々より遥かに日本的で古き良き伝統をしっかり身に付けていると感激したようだ。日本に戻り、受け入れの態勢を作って彼女を呼び寄せる事にしたと言う。その話になると当然、ヤスコ嬢の話をしなければならない。出発前に何故言わなかったのかと責められたが、あの頃はまだ微妙であったと正直に話した。しかし、二人は期せずして同時期に人生の伴侶を決めたようだ。
それにしてもミラノは寒くて薄暗い日々が続く、慣れない僕らには精神的に辛い季節だ。毎日布団に包ってゴロゴロしていても始まらない。車でもあればと考え、レンタカーの事務所を覗いてみた。1週間単位で借りると案外安い事が分かった。ツヨシとゴローさんに相談すると「それは良い!暖かい所に行こう!」とすぐにまとまった。南イタリアの案も出たが、それだけは勘弁してくれと僕が断わった。それではステルジョスとの合言葉だった「ギリシャのルーチェロッサに行こう!」などとルートの相談している時、ペルージアからアッズーロ(和志)が尋ねてきた。旅行には頼もしい5ヶ国語を喋る、外語大の特待生が現れたのだ。期せずしてペルージア時代の仲間4人でレンタカーによるギリシャ、トルコ方面の大旅行計画が練られることになった。
フィアットの特別キャンペーンで1500ccの乗用車を格安で3週間借りる事にした。ギリシャを廻ってイスタンブールぐらいまでは行けるだろう。ところが出発の直前になって、最近サンタニエーゼに現れるようになった30後半の医者の息子で何のためにミラノに暮らしているのか理解しがたい谷原さんが、どうしても参加したいと頼んでくる。このメンバーではちょっと浮きそうな感じと、2000kmを越える行程にあの車で5人は苦しいと思ったが、体が小さい事とレンタカー代が安くなるので、認めることにした。