2009年7月28日

南イタリア・車で周遊<セジェンスタ~マルサーラ>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 9:33 AM

神殿の反対の高い丘にバスで向かった。あたりには何も無い。どうしてこんな内陸の丘にギリシャ神殿を造ったのだろう。15分ほど走った駐車場からさらに登った頂上に、涼やかな風の中に住宅のような遺跡があり、その横に立派な円形劇場がある。なぜ展望が一番素晴らしい場所に劇場を造ったのだろう。丘のバス停のあたりに街区の遺跡もある。しかし、神殿らしきものは無い。外から最も目立つ場所に神殿を造るのが普通である。この疑問はバスを降り、麓の丘の神殿を見て、さらに膨らんだ。この神殿には内陣の跡が無い。列柱だけの神殿である。ここでは外敵に威圧を与える必要が無いのか? 内陣の意味は変容してしまったのか?

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この旅で最初に見たギリシャ神殿の遺跡であったが、謎が膨らむばかりだ。しかし、大自然の中に、数学に裏付けられた列柱の美しさは当時の人たちにどんな衝撃を与えた事だろう。そんな感激を胸に丘を下った。ごろ太石が散在する駐車場だったが、広くて空いていたので、しばらくSINさんのクラッチ操作の練習場にした。そしてすぐにエリチェに向かった。案内書によると相当の山道らしい。

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高速を飛ばして、近づくとエリチェは平地に突然現れた大きな岩の塊のように見えた。高さは700m以上有るそうだ。なぜこんな大きな岩山の頂上に人が住む必要が有ったのだろうか?確かに守りには良いかもしれない。生活用品はロバが運んだのだろうか?何を暮らしの糧にしていたのだろうか?登る前から疑問が沸き起こる。何千年もかかって造ったのかもしれない道は、急な坂ではあったが、対向車が少ないので、何とか登った。岩山の頂上は松林もあり、街の門の外にはバスのロータリーや駐車場もあリ、意外と広々している。しかし、門を入るとそこには山岳都市特有の石造りの街があった。

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僕は昔、山岳都市のペルージアに暮らしたことがあるので、このような街に入るだけで胸が騒ぐ。迷路を抜けて、トラーパニ側に出ると、岩山の上にどのようにして造ったのかと思う教会と城があった。 城は外壁は変えずに内部はリホームされ、ホテルとレストランになっているようだ。入り口には4ッ星のマークがついていた。眼下にはトラーパニの街並が見える。そこはポエニ戦役の頃、最初にカルタゴの植民地になった街と聞く。アフリカに最も近く、アラブの影響も大きい地域である。トラーパニのカスパのような街並はぜひ見たいところであったが、今日の宿はさらに南のマルサーラであり、距離もある。もう5時であり、ナビの調子も良くない。

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心残りだったが、僕たちは高速に乗って、マルサーラに向かった。残念ながらナビは完全に電池切れで役立たない。ネットのコメントと写真ではホテルは昔のお城を改造したようで、高速を降り、この道の左側の丘に有るはずだ。しばらく走るとマルサーラの街に入った。左側に道があると小高い丘の誘惑に負けそうになる。ついに左にもマルサーラと書いてある標識で曲がってしまった。すぐに右に曲がって平行に走るつもりだったが、その道は新しい道で、バイパスのようだ。車内の意見は「戻れ!」だったが、マルサーラは岬の街である。僕は真直ぐ行けば必ず海に出ると確信した。そして海に出て右折して中心街に向かった。まもなく、SINさんの驚くべき注意力で電柱の小さなホテルの看板を見つけた。近くのBARで訪ねると、次の信号を右折して2つ目の信号を更に右折して登った所だと教えてくれた。右折したが、信号がなかなか無い、かなり離れていたが、彼の案内は正しかった。

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ホテルは城というより、大きなつくり酒屋のようであり、城門を入ると中は、広い駐車場とガーデンがあり、再び、城の中門に入る形になっていた。中では結婚式の披露宴も行われていて、宴会場も有るようだ。チェックインして8時の夕食の予約をした。食事はあちらでと宴会場の方を指差した。城内にも宿泊施設はあるようだが、僕たちは地図と鍵を2個づつ渡されて、1つは駐車場の隣のガーデンの鍵だと言われた。地図によるとガーデンにはプールや屋外レストランを中心に森の中に散在するクーポラが宿泊施設で、テニスコート等も有るようだ。

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竪穴住居のような白いクーポラの中は居間とベッドルームに仕切られている。小さな鎧戸の窓が付き、それなりに居心地は良い。荷物を運び込むと早速、シャワーを浴びて、下着を洗濯をした。外の植木に干したい気分だったが、もう日が落ちそうだ。シャツを着替え再び城の中のレストランに向かった。

所々に原石を残して塗りこめた漆喰の白い部屋の窓際に5人のテーブルが用意されていた。ここで上手に喋れなければ、今までの努力が報われない。いかにも品の良いサーバーに、昨日の反省から、まず「僕たちはたくさん食べることが出来ない。コースの中を選んで、シェアして食べてよいか?」と聞くと、「シー ベーネ プレーゴ」(もちろんどーぞ)と言ってくれた。気分を良くして、前菜は2皿、それにトマトだけのサラダ1つ、プリモの3品までは皆でメニューの英語を見ながらバランスよく頼んだ。いやいやこの料理は本格的で、どれも上品で美味しく、しかも地元のワインが素晴らしく、すっかり気分を良くした。これならセコンドは皆で好きなものを1皿ずつ頼んでもでも大丈夫と確信した。さすがに、充分な量であったが、中でも牛のワイン煮やススキのソテイが抜群で、感激がひとしおであった。ここまで来たらデザートもと言う事で始めてのフルコースになった。

2009年7月22日

南イタリア・車で周遊<パレルモ~セジェンスタ>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 9:38 AM

海辺のホテルは少し郊外だがそれなりにしっかりしていた。僕と女性達の部屋は道路側で、クーラーの嫌いな僕は鎧戸だけ閉めて空けていたので、一晩中車の音がしていたようだが、疲れて気にならなかった。SINさん夫妻の部屋は海側でずいぶん環境が良かったようだ。朝食も充実して、値段を考えれば充分によいホテル(三ッ星)だ。ただ朝、食堂で日本から持ち込んだ布製のクーラーのために氷を求めたが、分けてもらえなかった。イタリアではコンビニが無くて、氷を買う所が無い。子供が熱を出したらどうするのだろう。

調子が悪かったナビを充分充電して出発した。市内の運転は避け、10km程南のモンレアーレに、中心街と反対側を周って行くつもりだったが、ナビが市内を指している。この道と平行して電車が走っていて、上手く踏み切りを選ばないと、とんでもない所に行くことになる。それでナビの指示に従う事にした。細い道はいやだと思ったが、ナビの指示どうりに進んだ。案の定一方通行で、行きたい方向に進めない。しばらくナビに従うと、この道をUターンしろの指示で、従うと同じ指示が出る。これでは完全に行ったり来たりだ! もうナビはやめた! 地図を見ながらひたすら南に向かった。迷い迷ってモンレアーレ方面の看板を見つけ、やっとメインストリートらしき道に出た。しかし、その道は急な坂道でしかも渋滞で、ずーと坂道発進をしなければならない。どうもクラッチ盤がおかしく、何度もエンストをする。少し間を開けるとすぐに他の車が割り込んでくる。だが、標識は見逃す事が出来ない。とても僕の運転のレベルでない。

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何とか市街を抜けたが、坂道は続いた。正直、この調子で10日以上走り続けることが可能なのかと不安な思いが押し寄せてきた。しかし、ここで不安は見せる事が出来ない。などと考えているうちに、右側の山の中腹にモンレアレーらしい建築群が見える。しかし、侵入路が見当たらない、モンレアレーを越しそうな場所に、真直ぐ登るオフロードのような細い道とモンレアーレ”P”のマークを見つけた。僕はそこは難しいと思い通り過ぎたが、車内ではほかに道は見つからない意見が多く、Uターンして山登りを決行した。なるべく半クラッチは使わないように、ローで停まることなく、思い切りふかしながら一気に登った。 何とバカーッ! 頂上付近で1台の車が進入してきた。戻ってもらうしかないし、こちらも停車せざるをえない、ここでの半クラッチからの発進が大変で車からゴムとプラスチックを混ぜたような匂いと黒い煙が出始めた。クーラーをかけ、重いトランクを5つと、5人を載せて800mも有ろうかと思う急勾配を一気に登ったのだからやもえないと思ったが、この時クラッチ盤がかなり消耗したようだ。

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そこまで登るとパーキングで、なんとか車を冷やす事が出来た。広場まではかなりあった。日差しは強いが、日影は涼しい。モンレアーレは小さな街だが、大きなカテドラルがある。12世紀にあまりに巨大になりすぎたパレルモ大司教の権力を削ぐ為に造らせた絢爛豪華な大聖堂である。中で床のモザイクを補修していたが、その作業から壁などを推察するに手間のかけようは驚嘆に値する。カテドラルの横にアラブ風の噴水のある回廊があり、その外の庭からの眺望はパレルモの街を一望にできる。疲れと暑さで何となくホッとしてここで休憩にした。喉が渇き、突然アランチャータと言う言葉が思い浮かび、試してみた。「アランチャータ ペルファボーレ」「シー シニョーレ」とファンタ・オレンジのカンとコップが手渡された。ガス入りオレンジジュースの事である。僕の言葉はこんな風に突然に思い出す。

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駐車場に戻るとまだ少しゴム臭い匂いがする。そろりと発進して街中を抜けると山裾に沿って降りる道があった。きっと反対側にも有ったはずである。なんとか本道に戻り、SINさんと運転を代わった。やはりクラッチが難しそうで、車巾の感覚がなかなかつかめないようだが、どうしても慣れてもらう必要がある。こんな風に苦戦しながら次の目的地セジェンスタに向かった。郊外の道路は案外美しく、日本で言う県道クラスの道は自動車専用で立体交差とロータリーにしてあり、信号が無く、車をストップさせる事はほとんど無い。郊外に限定すれば道路事情は日本より良いかもしれない。そのうち、高速道路に入った。驚いた事にここもアメリカと同じく無料で嬉しくなった。だが、肝心のナビの調子がおかしい。シガレットプラグから摂っている電源が接触が悪いようで、すぐにバッテリー切れの警報が出て消えてしまう。こうなったらロードマップに頼るしかない。窮すればの諺どうり、ここから後ろの女性群が大活躍であった。しっかり地図が読め、走る車の現在地が確認でき、猛スピードで後ろに飛んでゆくイタリア語の標識を見極める力もつけてきた。

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女性群の活躍で、ロードマップとサインを頼りに何とか山間のセジェンスタに到着した。観光客は少ないようだが、ゲートの横に広い駐車場がある。その先の丘に立派なギリシャ神殿が見える。案内所で調べると反対側の丘の上に円形劇場などがあるようで、1時間ぐらいで歩けるコースがあるようだが、30分ごとに巡回バスも出ている。もう1時も過ぎている。前に涼やかな木陰のパーゴラが有るので、横のBARで水のボトルとコーラを頼み、平たいパンにチーズとプロシュートや野菜のオイル煮を挟んだものとひき肉のピリ辛のトマトピザ風を頼んで皆で切り分けた。5人でこれで充分なのである。

2009年7月15日

南イタリア・車で周遊<パレルモ 2>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 9:38 AM

バローラ市場近くのBARでのやり取りは僕のイタリア語でも食べる事なら何とかなりそうな実感があった。ほとんどが身振り手振りだったのだが、曲がりなりにも食べたいものが手に入り、満足して店を出ることが出来た。ちょっと気分を良くして、そのままパレルモのメイン道路の交差点であるクアトロ・カンティに向かった。この街はシラクーサと並んで交易の中心地として栄え、シチリア文化の集大成した街であり、ギリシャ、アラブ、ローマ、バロック、ノルマンなどの様々な文化の混在が見られる。

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僕たちは真夏の太陽の中で、いきなりその中心地に放り出され戸惑っている。そして最初に現れたのが、ベリーニ広場のバロックとアラブの交じり合った建物である。バロック風建物の上にピンクの丸いドームが乗っている。いきなりアラブ風から見学はきついので内部の見学は飛ばした。そこから裏道を北に抜けるとローマ風の噴水(裸の彫刻群はゲーテが品が無いと切り捨て、いまいち人気が無い)があるプレトリア広場がある。広場を通り抜けてクアトロ・カンティを西に曲がり1kmぐらい東の王宮に向かった。

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ノルマン王宮は丘の上からそのまま西の城門になっていて当時の権力の大きさがうかがえる立派な城である。城はもともとはアラブ人が造り、12Cにノルマン人が王宮にし、その後スペインに支配されるなど、めまぐるしく権力者がかわったが、その文化は残されたようだ。中に造られたCappera Palatina(中庭付きの礼拝堂)はアラブやビザンチンの文化を色濃く残しており、それは黄金で飾られた壮観な建物である。シシリアはあまりにも雑多な文化があるので、それを破壊して自分達の文化に塗り替えようと考えるより、それを何とか利用して新しい文化を造ることを優先したのかもしれない。お城の見学のあと王宮のすぐ南にバロックの建物に赤いクーポラのあるアラブ風のS. Giov. Eremiti 教会を見学に行った。しかし、その街区を一回りしたが、入り口が確認できなかった。なんと言うことだすれ違う人に聞くと4時まではシエスタ(昼休み)らしい、あと30分ばかり待たねばならない。

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街角にジェラート屋さんを見つけた。イタリアでは何種類ものアイスをたっぷりパンに挟んで食べている人をよく見かける。昼ご飯なのだろうか? おやつなのだろうか? 僕たちもお好みでコーンのカップにもらったが、とても1人では食べきれる量でない。しかし、この暑さで、しかもプラタナスの木漏れ日の下でのジェラートはたまらない。休憩のあと再び教会向かったが、悔しい事に工事中で閉鎖されていた。そこでクアトロ・カンティからここに来る途中、広場に面して壮大な外観を見せていたカテドラル(大聖堂)に向かった。外壁にまで複雑な文化を覗かせる不思議な巨大なカテドラルである。

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街中をさらに斜めにマッシモ劇場に向かった。このあたりは迷路になりそうなアラブ的な街区である。下町なのようで古いドアやバイクの修理や家具などを扱う工房などがあった。そんな緩い坂道を抜けると大きなクーポラが正面に見えた。マッシモ劇場はまるでお城のように巨大だった。ヨーロッパでも最大級の劇場で日本からもオペラの勉強に来る人も多いらしい。中に入りたかったが、見学は午前中で終わりだ。東の正面に廻るとあの映画「ゴットファザー」でアルパチーノが撃たれた階段があり、正面の通りはかなりの賑わいだ。通りの反対側の小道のBARで、もうビールを飲んでいる人たちを見かけた時、僕もたまらなくなって、つい皆にわがままを言ってしまった。しかし、ここもミラノと同じで、おつまみとビールがセットらしい。ピザやポテトをつまんで、通りを抜ける涼しい風にビールはたまらない。暑かった1日の疲れをいっぺんに飲み込んでしまった。

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一息ついて再び港の方に向かった。なんとも古めかしいバロックの教会の中庭でイーゼルを立てながら染物の展覧会が開かれていた。入っても良いかと聞くと嬉しそうに「プレゴ!プレゴ!」と言ってくれた。中に入ると申し訳ないが展覧会より素晴らしい中庭が有って、かなり立派な教会である。地図で確かめると S. Domenico 教会であった。奥に美術学校のような教室があり、肝心のバロックの教会は明日にならなければ見学できないらしい。そこから先の区画に港に近いビッテリア市場があって、今晩の予定のレストランもこの近くらしい。市場は食料が中心で、干しトマト等の乾物類が並んでいる。果物屋の陽気なおじいさんは僕らに向かって、俺も日本人だと冗談をいっていたので、ついさくらんぼうを1キロ、3.5ユーロ(500円)で買ってしまった。安いのである。

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市場を抜けて案内書にあったレストランを探すと。それは先程の市場の入り口の近くのようだ。戻って確認すると、そこは昼専門のレストランで夜は営業しないらしい。近くの第2候補を、向かいのBARでもうお酒で鼻の頭が赤くなっているおじさんに尋ねると、二つほど候補を上げてくれたが、そこもグッドだと太鼓判を押してくれた。広場の反対側を指差し、ほんの近くらしい。8時を過ぎたばかりで、まだ店が開店していなかった。外のテーブルに座ってもいいかと訪ねたら「ベーネ セーディ!」(どーぞ座って)とすぐに用意してくれた。あまり綺麗ではないが、なかなか愛想がよい。

まずは地元産の白ワインのボトルと水(ガス無し)の注文から始まり、2種類の前菜を頼み、プリモとしてピザ1枚とイワシのスパゲッティがあるというので2人前を頼んだ。後は食べた様子で頼むからと、なんとか注文した。前菜の海老とコッゼ(ムール貝)のトマト煮とナスやパプリカのオイル煮、これは絶品だった。すっかり気分が盛り上がったところで、店のオーナーらしき男がイカと何とかのフリッターがこの店の名物だと言ったので、小さいのを1つづ頼んだつもりだった。まもなく赤ワインとイワシのスパゲッティが大皿に山盛り出た。僕はイワシの塩漬け(アンチョビ)をイメージしていたが、生イワシの切り身に、匂い消しに何ともいえないハーブの粉をタプリ振りかけてあった。女性達は美味しいと言いたが、僕はこの味がだめだった。もう充分に飲んで、お腹もかなり膨らんしまっていた。そこまでなら1品だけの失敗だったが、しばらくしてイカリングとキスのようなフライが再び山盛りにド~ンと届いた。さっきの頼み方に何か間違いがあったようだ。勘弁してください! 不味くは無いが、とても食べきれる量でない。これが通訳の最初の失敗になった。皆さんごめんなさ~い!

もう9時をかなりまわっていたが、結局捨てるしかない食べきれないフライをぶら下げて Via Roma を中央駅に向かった。かなりの距離はあったが、ほろ酔いで、夜風に吹かれながら唄いたい気分で歩いた。往復のチケットだったので224と225のバス停を探した。バスは空いていて運転手にホテルの名前を告げるとウィインクで答え、切符をゲージに通せと合図された。今日1日いろいろな困難や失敗は有ったが、素晴らしい旅が始まったようだ。

2009年7月10日

南イタリア・車で周遊<パレルモ 1>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 9:29 AM

ホテルで5時起きは時差ボケの頭に、さすがに何が起こっているのか解らない気分で、バックも解かずに仮眠して顔を洗うだけだった。宿賃を清算するとすぐに2台のタクシーがやって来て、市内から近いリナーテ空港に向かった。ラッシュ前の時間帯と思うが、方向感覚を失うほど折れ曲がった一方通行を物凄い運転をする。基本的に信号が少ないけど、微妙な感じで優先順位があるらしく、ロータリーの交差点をスピードを落としながら、どんどん突っ込んで行くのである。横に乗って思わず体が突っ張る。今日から僕たちもこんな風に運転しなければならないのか? 思わず背筋がゾーとした。

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7時前の飛行機に乗って8時半頃にパレルモに着いた。空港の外に出ると太陽が眩しく、夏の気だるさが溢れていた。警備員にハーツの事務所の行き方を訪ねると、駐車場などに停まるブルーの巡回バスに乗るように言われた。これがイタリア語での初めての実践であり、何とか伝わりホッとした。だが問題はハーツの事務所での交渉である。車の予約は日本で済ましてあるが、いちいち確認の作業が必要である。SINさんとN嬢は喋る程ではないが英語成績が良かった程度には使えるようだ。最後に定番どうり、この上のランクの車があるけどどうだと聞かれたが、これでよいと断わって鍵とナビを受け取った。

指定された駐車番号に行くと、予約した「フォードCmax」は意外に小さい車で、トランクに旅行バック5個がパズルのように上手く納まった。しかし、よく見るとこの車はかなり使い古した車で、左側の後輪がぶつけられてホイルキャップも無い。傷物を与えられたのかと思い、事務所に飛び込んで事故車だと訴えたが、書類を開いて、それはちゃんと記録してあるから問題ないと説得された。この時、走行距離も確認して、隣に有った事務所で勧められた上級車にしておけば良かったと後で後悔した。

こんなに早起きしてパレルモに着いたのは何より車の練習の為である。左ハンドだけでなくイタリアではほとんどの車がマニアルである。僕は35年前に友人とマニアルのレンタカーを借りてトルコまで行ったことがあるが、SINさんはマニアル車を運転した経験がほとんど無いと言う。場内をしばらく運転して外に出た。ボロ車め、どうもクラッチが深いようだ、磨り減っているのかもしれない。この時レンタカー会社に交換を要求して置けばよかったが、自分が未熟だから運転が難しいのだと思い込んでしまった。情けないことにクラッチ操作が気になると右側走行を忘れたりする。さらに基本的にイタリアでは信号で無くてロータリーだ。左が優先でスピードを調整しながら相手の車とアイコンタクトしながら行きたい方向に進むようである。そして角ごとに標識パネルが張ってあり街の名前が幾つも書いてある。慣れないと、とても瞬時に読めない。高速道路でない一般道をゆっくり走りながら練習しようとロータリーを廻って入った道はどうも高速の出口だったようだ。かなりパニックって隅に止まっていると対向車が止まってくれた。彼らは下手な運転には優しいのかもしれない。Uターンして何とか下の道を探した。

ナビはどうしても高速道路に乗せたいようだ。しばらく並行して走ったが、知らないうちに高速道路に乗ってしまった。料金は無いようだが、練習したいのですぐに降りた。しかし、なかなか行きたい方角に進めない。突然一方通行になったり、アイコンタクトで割り込んでもクラッチ盤の操作が難しく、焦るとエンストしたりする。そんな苦労をしながらなんとかパレルモの市街に入った。思いのほかに大都市で、というより物凄いラッシュで、行きたい方向にぜんぜん進めない。ホテルは中心街の反対側の海岸線にある。昨晩から機内食のビスケットしか食べていない、もう昼が近づいているはずだ。ナビがなんと言おうが地図を頼りに海側の道を選んで、海岸線を行く事に決めた。この時は車の練習と言うより、ほとんど決死の思いだった。

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午後1時前になんとかホテルに着いた。駐車場付きの郊外のホテルである。3部屋だけだはチェックインができると聞き、ひとまず荷物を部屋に運んで市内に繰り出す事に決めた。市内までの行き方を訪ねると、前のタバッキ(タバコ屋)で中央駅までの往復切符を買って、224,225のバスに乗ればよいと教えられた。切符を買ったり乗ったりする会話も何とかクリアーした。地図では真すぐだが、ずいぶん廻って中央駅広場に着いた。暑さと雑多な文化の重みで目眩がしそうな街で、しばらくは自分の位置がわからない。地図で確認すると海と平行な南北の中心街 マクエーダ通りはこの道の一本東にあるようで、裏道を抜けて食事ができるところを探しながら歩いた。ここらは食堂街では無いようで、なかなか見つからない、しかも案内書には置き引きが多いので近づかないようにと書いてあるバローラ市場の近くである。

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マクエーダ通りに出てすぐに地元の小父さんが上手そうなパスタを食べているBARを見つけた。僕はパニーニを頼んだら、かなり大きなパンになすなどの煮野菜やハムなどをお好みで挟み、押しながら焼いてくれた。それを2つ頼みナイフで切り分け、後は横の小父さんが食べているトマト味のペンネのようなものを1つ頼むと、もうそれで充分で生絞りオレンジを頼んで昼飯にした。お腹がすいていたこともあるが、これが皆が満足するほど美味しく、さっきまでの疲れがいっぺんに飛んだ。隣の小父さんは僕らが5人で食べている山盛りのペンネを1人でペロリと食べてしまった。驚きの食欲である!

2009年7月6日

南イタリア・車で周遊<プロローグ>

Filed under: 社長ブログ — boss @ 9:33 AM

さて、今度の南イタリアの旅は何年も暖めた期待の計画である。青春時代に1年間ほど住んだ事のあるイタリア時代から、気になって仕方が無かった地域である。大きな流れとして考えるとヨーロッパの思想と文化の原点はギリシャの哲学と数学にあると思う。南イタリアはその地理的条件から「マグナ・グラエキア」つまり、「大ギリシャ文化地帯」とよばれ、東方やその他の文化的破壊が少なくギリシャ的なものが一番多く残された地域のようだ。

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この地帯を短期間で周遊するのには車で廻るしかない。最初に旅の相談をしたのは竹中工務店を退職したSINさんである。賛同してくれた彼の調査能力はたいしたもので、近所の図書館からこの地域一帯の本を借りまくって調べてくれた。僕たちはイタリアから道路マップを取り寄せ、距離を測りながら見学したいコースを1年かけて練り上げた。当初のメンバーは8人ぐらいで、人数が多くなったらどんな車が必要か等に関心があった。僕のイタリア時代からミラノ在住の友であるツトムさんもメンバーに加わる事が決まっていて、言葉とホテルの予約などの心配は無いと思っていた。

しかし、今年になって、彼の個人的な事情でサポートは出来るが、参加できない事が判明した。連絡を受けた僕は正直言って慌てた。しかし、ここで不安を見せたらこの計画が崩壊する。そこで、まずインターネットでコースにあわせてホテルを探した。調べると1年ぐらい前から予約が可能で、すでに安くて良いホテルからどんどん埋まっている事が判明した。慌てて重要なポイントだけは予約して、SINさんと車で動く事を考えながらホテルとコースを確定した。ネットの予約はかなり安く予約が出来るようだ。しかしどうしても拭い切れない不安は35年間も使っていない僕のイタリア語ですべて交渉しなければならないことである・・・・。

結局、最終メンバーは僕とSINさん夫妻と竹中工務店を退職した女性2人で、建築が大好きな仲間たち5人での出発になった。直前になってイタリア語の辞書を買ったりして、じたばたしていたのは僕だけのようで、皆は旅なれた感じで成田に集まってきた。僕たちは6月3日の昼過ぎ、まずサポートしてくれるツトムさんと最初にコンタクトを取るためミラノに向かった。かなり太ってしまっている僕としてはこの機内の12時間ほどが地獄である。しかし、今度ばかりはその事より通訳が心配で、必死でイタリア語で映画を見つづけた。はじめの2本は単語の切れ目すらわからない。3本目から少しづつ言葉が切れて、わかる言葉も出始めた。しかし、ストーリーはまったく理解できない。さすがに4本目になるともう疲れて寝てしまった。ほんとうに大丈夫か?

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時差があるのでミラノのマルペンサ空港に着いたのは夕方の6時半頃で、到着ロビーに懐かしいツトムさんが昔と変わらぬ爽やかな姿で待っていてくれて、感激である。もし、この旅で事件が起きたら彼に頼るしかない。市内まで20kmほどあるらしく、2階建てのシャトル電車に乗った。夏時間で日は高いが、懐かしいイタリアの田園風景が車窓を飛んだ。ネットで予約しておいたホテルは終点のミラノ北駅の1つ前の駅で急行は止まらない、乗り換えた列車は冷房は無いが喫煙コーナーのある労働者専用のような列車だった。ホテルはセンピオーネ通りを挟んで駅の反対側に有った。懐かしいトラム(市電)がまだ縦横に走っている。確か僕が昔、1ヶ月だけ勤めた事務所はこのあたりに有ったような気がする。5人の元気なおじさんたちが大通りを旅行バックを引きずって歩く姿はちょっとインパクトがあったろう。

明日は飛行機の時間が早くて、5時起きにした。ホテルではちょっと仮眠するだけになるので、朝食の必要も無い。そこで今回唯一の1ツ星ホテルを予約した。ちょっと心配だったが、エレベーターと食堂が無いだけで、それなりに清潔だった。明日のタクシー手配などをツトムさんに頼み、すぐに街に出た。もう8時ごろのはずだが、まだ街は明るい。ちゃんとしたレストランと思ったが、ツトムさんが予測した通り、飛行機を降りて重い食事はとても出来ない。広いセンピオーネ通りの始まりは凱旋門で、そこから100m位はトラム以外は並木の歩道とたくさんのBARのテーブルが並んでいる。僕たちをそこに案内した。この時間帯はお酒1杯(7ユーロ)は高いが、おつまみと言うより軽食は自由だそうだ。イタリア人たちは夕食までこんな所で涼みながら1杯引っ掛けて家に帰るようだ。僕たちはそれぞれ氷入りのミントやカンパリ等の強い酒にピザや豆や生ハムをつまんで上機嫌だ。そして、しっかり携帯番号の交換と、緊急事態が起こった時の対処の仕方のレクチュアーを受けた。

僕は昔このあたりを庭のようにして歩きまわったはずだ。しかし、まだどこか歯車が噛み合わない。35年の時が僕の頭を駆け巡る。とりあえず凱旋門まで行って見た。門は改修中だったが、その向こうの公園にわずかな記憶がある。しかし、明日が早いので戻って飲むことにした。宿の近くで突然小型バイクが急ブレーキをかけた。「チャオ・アキラ!」去年日本に建築の勉強のために研修に来た、ツトムさんの娘さんが仕事を終えて会いに来てくれたのだ。7人で、すでに客のいなくなったレストランの外のテーブルで気勢を上げた。ちょっと心配な、この旅の無事を祈ってサルーテ(乾杯)!

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