2009年8月25日

南イタリア・車で周遊<シラクーサ~トロペア>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 11:34 AM

シラクーサを半日で去るのはとても心残りだが、夕方にはメッシーナからフェリーで本土に渡る予定なので、すぐに高速道路に乗った。シチリア最大の街カターニャは見たいと思ったが、短時間ではとても廻れそうもない。しかも、カターニャの20kmも手前から高速がラッシュである。こんな街は近寄りたくも無い気分になった。だが調子の悪いナビのケーブルは交換してもらう必要が有るので、飛行場のハーツの事務所には立ち寄った。この時に思い切って車も交換してもらえばよかったと後で思ったが、何とか乗りこなそうと必死だった。

r0016173

正面に見えるシチリア最大の活火山エトナ山の東側の海辺のリゾート地タオルミーナに向かった。高速を降りてしばらくは美しい海岸の道だったが、標識はそんな優しい場所だけを誘導するはずも無く。半クラッチでCmaxの悲鳴を聞きながら登り、駐車場を探した。頂上と思われる少し広いバスターミナルに入り込んだ。黄色の線の駐車場はあるが、一般の駐車場は見当たらない。チケット売り場で聞くともっと先の下がった場所にあると教えられた。こんなにも下がると登るのが大変だと思った時、山の中腹を削り取ったようなコンクリート造の大きな駐車場が現れた。ここからターミナルまで無料のシャトルバスが出ているようだ。しかし、なぜこのような不便な崖の上に高級リゾート地を造るのだろう。

r00161701

停留所の近くのピッゼリアに入った。入り口は小さかったがピザ釜のむこうは展望テラスになっていて、素晴らしいロケーションだ。3枚のピザと水のボトルと生絞りオレンジで昼食にした。味付けや、トッピングにも注文をつけて、頼み方もずいぶん上手くなり、もう不自由は無いような気分になった。

お腹は満たされたが、日差しは強い。細い階段を登り旧市街に向かった。美しいリゾートの街で、突き当たりのドーモ広場には眼下に大パノラマがある。爽やかな風に吹かれながらナゾが解けていくような気がした。イタリア人達はこのような劇的な街造りが大好きで、少々の不便でも何時かはこんな街で花に囲まれて暮らしたいと願っているようだ。ドーモから戻り右に曲がって海側に突き出た崖の上にレンガで積み上げられた壮大なギリシャ劇場がある。その観客席からの眺めるエトナ山や青い海の美しさは例える物が無いほどだが、なぜ劇場の背景がこのような絶景でなければならないのだろう。再びセジェンスタと同じ疑問が生まれた。

r0016181

高速に乗り、メッシーナに向かった。ツトムさんからの情報でメッシーナからは鉄道で、自動車のフェリーは少し北のサン・フランシスコ港からだと聞いている。ナビの指示をうけながら、右側の対岸に本土の景色を見ながらSINさんが運転する快適なドライブである。

フェリーはそんなに混んではいなかった。展望室に入るまでも無く、甲板で爽やかな風を受けながら、ビラ・サンジョバンニに向かった。この目と鼻の先のような海峡が古代からどんな文化と歴史のドラマを作ったかを考えると不思議な気持ちになる。

r0016190

南イタリアは長靴の足首あたりまでの西側にはトロペアを除いてほとんど観光地らしき場所が見当たらず、あまり期待はしていなかった。トロペアは長靴の甲の瘤のように丸く突き出た半島の岬の街である。高速を降りると対向車はほとんど無い。交換したナビが正常に動き出し、夕陽の山道を不安も無く、快適に走った。小さな街を抜けると突然海が見え、遥か眼下にトロペアらしき街が見えた。相当に下るようだ。線路をくぐると家が現れ、もっと小さなリゾートを予測したが、案外立派な街である。ナビが指示したあたりを探すとすぐにホテルは見つかった。

荷物を下ろし、チェックインを済ませ、カウンターの地図を受け取って、ホテルの位置を確認した。何とここには旧市街があるではないか! 僕はてっきり新しいリゾートの街と考えていたら、歴史的な街でもあるのだ。ちょっと新しい興味を持って、街に出た。

トロペアの旧市街は海に面する縦横が200m位のこじんまりとした街である。しかし全体が城壁になっているようで、南の展望台の先の西の岩の上に砦のようなお城があり、西の出口は絶壁である。要塞として歴史の中で生き抜いてきた様子がうかがえる。アラブ的な迷路には様々な店が点在している。角を曲がると強烈なサラミのスパイスの匂いに誘われ、奥に入ると天井から何十本のサラミがぶら下がる店を見つけた。元気なシニョーラに食べろと進められ、それは芳醇なピリ唐でたまらなく美味しい。これはどれと聞くと天井から下がった50cmものサラミだった。これを持って帰るのはちょっと難しいと考えていると、隣に10cmほどのサラミが10個ほどつながるのも同じ味らしい。これなら何とか持ち帰れると買ってしまった。2~3軒隣の店では特製レモンチェッロの試飲が始まり、進められるまま何杯も飲んでしまい1本買うことになった。

旧市街の入り口にお屋敷のガーデンテラス風ピッゼリアがあった。門を入ると葡萄棚とテントの下にテーブルが並び、奥に炭焼き小屋のようなピザ釜があった。豪華な雰囲気ではなかったが、パーティー風でボーイ達も明るく感じは良かった。前菜にスパゲッティーやピザと地元のワインといったつもりが、1リットルのデカンタのワインが出た。まずくはなかったが、次には地元のボトルを頼みおおいに盛り上がった。気がついたら楽しい旅も半分は過ぎてしまったのだ。事故の無いように頑張ろう!

2009年8月19日

南イタリア・車で周遊<ラグーサ~シラクーサ>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 6:01 PM

食事を終えて、先程感激して眺めたラグーサの東の谷の麓をちょっと残念な気持ちで見送りながら、次の街モディカに向かった。地図で見ると四方から放射状に幾つもの道を集めている。N115が外周に有るから大丈夫と思ったが、ここで完全に迷ってしまった。左にモディカの旧市街と教会を見て、真直ぐと思ったが、突然進入禁止になった。道なりに右に曲がったら、ナビが突然分らないサインを出だした。一方通行を関係ない方向に進んでしまったようで、店に飛び込んで聞くのだが、難しくて埒があかない。後ろから来た子供連れのシニョーラが、見かねて「私の後について来なさい。」そう言うと素晴らしい運転技術で細い道を中心まで戻り、また別の街角まで連れて行ってくれた。「後は真直ぐよ!」と言って手を振って去っていた。

0907280121

教えられた道はN115ではない石垣の畑の中をほとんど目標も対向車も無い田舎道で地図では確認できず不安だったが、忘れた頃にシラクーサやノートの標識が現れ地元の人だけが走る道のようだ。途中の街を飛ばしてノートに向かっているようだ。ノートはギリシャの植民地時代にはアグリジェント、ジェーラ、シラクーサと並んで栄えた街だったが、17世紀の震災の後、バロック様式の美しい新都市を造りあげているようだ。しかし、早くシラクーサにたどり着きたい僕たちはこれを見ることも無く街中を抜けた。

r0016154

シラクーサに近づく頃には、ナビは完全に放電し、使い物にならない。ここからは、道路地図とツトムさんからのファックスだけが頼りだ。幸いにホテルは旧市街の中心のオルテージア島を越えた海岸に面するようだ。シラクーサはさすがに大きい街で、目標を見失ったら迷いそうだが、島はすぐに分り、何とかそこを抜けてホテルに近づいた。こんなにも中心に近くて駐車場が確保されたホテルのコメントに不信を抱いたが、住所のあたりを曲がるとホテルが見えた。飛び込んで駐車場はと聞くと前の道が突き当たりで海まで黄色い線が引かれそこに誘導された。ホテルは三ッ星のために改装中だったが、3階からのオーシャンビューも素晴らしく。改装が完了すると良いホテルになるだろう。

r0016165

オルテージア島までの距離を確認して、歩いて向かった。私有の浜があるのか海岸をずーと歩く道は無い。島に渡った橋の袂にオレンジとレモンをケースにいっぱい詰めた屋台があった。生絞りオレンジを頼んだがバイトのようで素早く作れなくてかなり待たされた。しかし、この生絞りオレンジこそがイタリアの夏の味である!陽が傾き始めると人々が島に集まり始めた。メインロードを外してドーモ広場に向かった。人が溢れると細い弓形のドーモ広場は閉塞感と熱気が共鳴するような広場だ。ドーモのファッサードはロマネスクだが、聖堂は古代のドーリア式のギリシャ神殿の形で造られた不思議な教会である。

r0016162

広場を更に南に進むと海に出た。海辺のステージでは30人ほどの若者が音楽に合わせてサイクルマシンを扱ぐパフォーマンスをしている。人気スターが参加しているのかたくさんの人を集めて大変な盛り上がりだ。その隣にはパピルスが自生するアレトーサの泉があり、確かに島なのに大量の湧き水が流れ込んでいた。

r0016167

そこから南の海岸淵の一角はレストランのテーブルが続き、ここで落日と海を見ながらのディナーは最高のご馳走であると思った。値段なんかかまわない豪勢に行こう!周りを見るとムール貝を山のようにして食べている。ムール貝のスープと手長海老のにんにく炒め、スパゲッティ・ボンゴレ等美味そうな海の幸を知ってる限り注文した。ムール貝のスープは大きなバットに山盛りに出されたが、スープはほとんど無い。しかし、この少ないスープが美味しくて汁をパンに付けると最高である。目の前のガラスの冷蔵庫中を指差してこれどうするのと聞きながら頼むのは最高で、言葉なんか関係ない。散々飲んで、食べたようだが、会計はそれ程でもなかったようだ。9時も過ぎているのに島の人の波は減る事も無く、にぎやかな中心街を抜け、ほろ酔いで散歩しながら帰った。

2009年8月11日

南イタリア・車で周遊<アグリジェント~ラグーサ>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 1:56 PM

翌朝テラスでまどろんでいると、SINさんが走ってきて庭に連れ出された。なんとホテルの屋根越しに神殿の谷を見上げると右から左に一望に出来て、素晴らしく壮観である。多分夜にはライトアップされていたはずであり、このホテルはこの景色を意図して造った建物であるに違いない。情けないことに、僕たちは建築家なのに着いた時も夜もこの意図にまったく気がつかなかった。

今日は見学場所が多いので、予定していたカザーレのローマ時代の離宮は工事中らしい噂もあり外し、海岸沿いのジェラを経由して内陸のカルタジローネに向かった。

r0016137

カルタジローネは中世までアラブの砦であり、震災の後17Cにバロック様式の建物が街の中心に再建されたようだ。しかし、どう考えても山岳都市である。山下のあたりの駐車場を探さねばならない。街中に入る案内板を下るとバスが停まっている広場が有った。少々遠くてもこんな街で駐車場を探して迷いたくない。車から降りて見あげると、何とか登れそうな階段が見える。夏の日差しの中を覚悟を決めて登ると目標になりそうな古い教会に出た。前の道を真直ぐ登ると中心広場に出るようだ。この街は古くからマジョルカ焼きとして陶器が有名である。中心広場がバロック様式の新しい建物に囲まれているようだが、広場から真直ぐ北に登る長い幅広の階段には蹴上げに美しい絵タイルが組み込まれている。座るには快適だが、頂上のカテドラルまで登るには相当な体力を要する。

r0016141

皆は頂上まで登りたいと言ったが、僕はちょっとうんざりして、これを登るのを諦め、駐車場の近くの教会で待合わせる事にした。この街の工芸的技術は素晴らしく、お爺さんが丁寧に商品を磨いて並べている陶器屋を覗くと何ともユニークな魚の壁掛けが気になって、2つで15ユーロと値引きをしたら、肩をすくめて「マ ベーネ」と包んでくれた。BARでコーラをもらって宝石店などを覗きながらさらに下ると、彫刻家の工房らしいほこらのような店を見つけた。「ポッソ エントラーレ(入ってもいいですか?)」書類を書いていたオーナーがメガネ越しに入れと合図した。中は意外と大きく、モダンな彫刻から明らかにお土産用作品と思えるものまで雑然といっぱい並んでいた。しかし、奥にはなかなかの力作が多く、「良い作品がありますね。」と声を掛けると、「何処から来た?」と聞かれ、「日本の建築家だ。」と答えると嬉しそうに手招きして、中央広場の彫刻が載っているパンフレットをくれた。これは自分の作品でフリッポ・ロマーノと名乗り、ミラノかローマに本拠地が有ったらもっと大きな仕事が出来るのにと、愚痴りながらも自分のリーフレットにサインをしてくれた。日本に行きたい思いと尊敬するイサム・ノグチと京都の話をしながらコーヒーを入れてくれた。

r0016142

坂下の教会に着くとまもなく、皆が息を切らせながら階段を降りて来た。SINさんも含め女性達はまったく元気である。再び、車に戻り、出発した。この街は侵入路が少ないので脱出もスムーズだった。しかし、山道は標識に頼らざるを得ない。何とか国道N515に合流するとしばらく快適な道だった。大きなロータリーを左折するとすぐにラグーサに入った。さて、何処に駐車すればよいのか。道は谷に向かって下っている。案内書ではこの街は深い渓谷に囲まれ、震災復興で東西それぞれ異なる街造りが進められた。西の谷は方丈に区画されバロックのサンジョバンニ大聖堂を中心に近代的に再建され、東の谷はイブラと呼ばれアラブ風の古い街並を残して発展したらしい。僕たちは区画整理のされた西の谷から中心に向かっているようだ。

r0016144

右にサンジョバンニ大聖堂が現れ、向かいの郵便局前の駐車場に何とか駐車出来た。大聖堂の前に大きなテラスがありこの街の中心のようだ。しかし、観光客は見当たらない。その道を真直ぐに下るとさすがに区画整理が乱れ、中心の崖が近づいた事が分る。つづれ折れに曲がると正面に突然に蟻塚のような東の谷が現れた。それは壮観な姿だが、僕たちの車では登れそうもない。設計屋の僕としてはどうしてもイブラの蟻塚のような街に魅力を感じるが、そこに住むのとは別の話だ。時間の余裕があったらぜひとも歩いて登りたい景色だが、夕方までにはシラクーサまで行かねばならない。

r0016150

しばらく茫然とたたずみ、そして食堂を探した。こんなにも素晴らしい絶景であるのに、レストランや休憩場が無いのが不思議だ。しかたなく中心街まで戻り気がついた。今日は日曜日だから閉まっているのだ! さすがにイタリアの田舎街だ、安息日に働いてはいけないのだ。ほぼ諦めかけた時、手書きのレストランの看板と矢印を見つけた。ホテルの食堂のようで、細い路地に白いテントと、椅子とテーブルが並んでいる。誰もいないので覗くと中に入れと手招きされた。グラマーな黒いミニスカートのお姉さんが金髪を掻き上げて注文を取りに来た。ちょっと嬉しくなってサラダとピザとスパゲッティー注文した。

2009年8月3日

南イタリア・車で周遊<マルサーラ~アグリジェント>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 10:51 AM

ゆっくり眠る事が出来て、時差ぼけもだいぶ回復したようだ。ちょっと風が強かったが、ガーデンでの朝食は気持ちがいい。赤いオレンジジュースが、疲れた体に心地よく、新たな力が湧いてくる。マルサーラはフェニキア人の基地であったが、遺構はほとんど無いらしい。しかしここのデザートワインが有名で、それを買うのが目的で、ホテルで聞いて出発したが、地図で確認できず、徒労に終った。

r0016093

国道N115はシチリアの南の海側を走る主要道路のようだ。マザーラ・デル・バッロまでは何処にもある田舎道をひた走った。道中で、スーパーを見つけ、2L入りの水のボトルを半ダース仕入れた。やはり氷は無いようで、これを小さいボトルに入れ換えて持ち歩いた。やっとN115にセリヌンテの標識が現れ、畑の中の道に入っていった。田舎道なのになぜか立体交差になっている道で、標識に沿って進むと突然村が現れ、大きな駐車場に入った。高さが4m程の長い土手の一角に、ガラス張りの建物が埋まっていて、それがチケット売り場だった。なんと土手と思ったのが城壁でそこを抜けると広大な敷地が現れ、草原の先に立派な神殿と無残に転がされた列柱の残骸が山積みにされている。その壊し方は風雨で自然に壊れたのではなく、明らかに憎しみを持って壊したとしか思えない。もともとアラブの植民地であったのをギリシャの支配に替わり、これらの神殿を造った。しかし、再びカルタゴが征服して、このように破壊したのだろう。ギリシャ文化への憎しみの強さがうかがえる。

r0016100

しかし、セリヌンテの荒涼とした草原に復元されている神殿は、巨大で美しい。多分ギリシャ文化の最盛期のものだろう。草原と思った広場には石畳で住居跡だったたりする。このあたりは民に力があった時は栄えたはずだが、平坦地で海からの攻撃に対する防御が難しそうだ。4kmぐらい離れた海の近くには美しいアポロン神殿が復元されているのが見える、そのあたりを確認したかった。しかし、そこまで歩くのは大変で、今更専用の乗り物を頼むのも悔しいので、そちらの見学は諦めた。

r0016112

再びN115に乗って、アグリジェントに向かった。地図で見ると海側にはたくさんの遺跡が散在しているようだが、寄り道は止めた。不思議なことにホテルの住所をナビに入れても入らない。有名なホテルらしいがSAn Leone という街までしか分らない。その街に到着すると海岸のリゾート地でまるでイメージが違う。知らされているホテルの情報だと遺跡の近くのはずだ。しかし、僕たちは遺跡の全貌を理解していない。まずは遺跡に行ってみる事にした。遺跡らしい傾斜地の谷を越えたようだが、それがどの部分か分らなかった。地図では山の頂上付近の道路が、旧市街に見え、そちらに向かった。しかし、それは近代的なリゾートマンションが建ち並ぶ新市街地であった。山の上の道で途方に暮れていると、助手席のSINさんが走り、マンションから出てきた若い人に英語で尋ねると流暢な英語が帰ってきた。遥か眼下に1列に並ぶ遺跡群が見える。ホテルはその向こうの道路沿いにあるらしい。

遺跡がある谷の駐車場のBARで、休憩する事に決めた。ピザとパニーニに水とコーラのボトルを頼んでテラスで腹ごしらえをした。ボーイにホテルを聞いたが埒があかない。休憩しているタクシーの運転手が20ユーロで案内すると言ってきた。もう近いはずである。ホテルに電話して聞けと言うが、僕の力では電話での通訳は出来ない。ホテルなら英語でも大丈夫だと、SINさんが電話で繰返すのを皆でメモを取ることにした。ここから1kmぐらい南に下った国道を右折してすぐの立体交差の左側らしい。

r0016135

立派なホテルだが、国道より低く、平屋建てで、しかも潅木の中の1軒屋であり、あたりには何も無い。ナビに入れられない理由が分った。多分、ここには番地が無く、アグリジェントとサンレオーネを貫く国道の名前だったのだろう。しかし、この時はどうしてこんな場所にホテルを造ったのか分らなかったが、とりあえずチェックインした。昨日ナビの調子が悪い事を知らせていたので、心配してツトムさんから明日の宿泊地のファックスが届ていた。8時にディナーの予約して地図をもらって、再び遺跡に向かった。

r0016119

遺跡を登るとそこに巨大な台地の城壁の縁に一列に並ぶ神殿群が現れた。僕たちはなだらかな丘を夕方の風に吹かれ1棟づつ古代に夢を馳せながら最後のジュノーネ神殿まで登った。素晴らしい眺望の中で、荘厳な神殿を眺め、この列柱の神殿を造る情熱は何処から来るのだろう。自然を征服した証の喜びなのだろうか。そして、それを憎しみを持ちこれらを眩しく感じたアラブ人たちだからこそ、ここまで激しく破壊しなければならなかったのだろう。セリヌンテと共通の創造と破壊の歴史の凄さをを感じた。

r0016117

道路の反対側の谷に囲まれた台地に旧アクロポリス地区の神殿や教会やアラブ街区などの遺跡群が散在していた。その破壊された石の集積に不思議な文様を見つけた。四角い石の塊の両側にUの字の溝が彫ってある。どう考えても神殿を造るのに重機のような物が存在していたようで、ロープを掛る吊り代である。この広大なな遺跡群を半日ぐらいで見ることは不可能である。出来れば博物館を見学して、もっとギリシャ的なものを見たかったが、もう時間が無かった。

r0016132

ホテルに戻り、シャワーを浴びて仮眠するとすぐに夕食の時間がきた。頼み方もすっかり慣れて、落ち着いた食事が出来るようになった。さすがに4ッ星であり、何を頼んでも口に合わないものは無い。仕上げのグッラパ(食後酒)まで頼んで、ご機嫌である。だが、ここで、ほろ酔い気分でも外に散歩に出かけていたら後悔をしなかったのに!

HTML convert time: 1.607 sec. Copyright ©2007 ikenogumi.inc