2009年9月24日

南イタリア・車で周遊<アマルフィー海岸>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 1:31 PM

朝もやの海を見下ろすテラスでフルーツいっぱいの食事はなんとも幸せのひと時だ。しかも今日はまったく車の運転をしなくて良いのだ! 叫びたくなるほど嬉しい。フロントで聞くとアマルフィーからポジティアーノまでの船も有るそうだ。そんな情報を聞いて、僕たちはバスでアマルフィーに向かった。運転手の魔法のような技術を見て、つくづくこんな場所でハンドルを握らなくても良い喜びを感じた。アマルフィーに着き、さらに小型バスに乗り換え隣村のラヴェッロに向かった。険しい道を登ると中世そのままのような村がある。

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ラヴェッロの入り口から城門を抜けるすぐ左にヴィラ・ルーフォロと呼ばれる庭園住宅がある。邸宅と言うよりお城のようであるが、建物と庭の立体的な融合は日本庭園のそれとは別な美くしさを見せている。案内によるとこの村には他にヴィラ・チンブローネと呼ばれる貴族の屋敷があるようだ。小さな広場を抜けて道は山の尾根に沿って造られた建築の中を進むと、突然の絶景やブドウ畑、レストランやホテルなどが現れた。飽きる事は無い細い坂道の突き当りが、ヴィラ・チンブローネであった。入り口にはアラブ風の建築がつくられていたが、邸園の南はサレルノ湾に面する崖で、北側には山頂としては立派な畑や果樹園が作られている。狭い山の頂上に何と贅沢な邸宅であろうであろう。

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ここに来る時にすでに、昼食は途中にあった葡萄棚のレストランに決めていた。垣間見た素晴らしい棚越しのパノラマと黒のベストの接待係りの小父さんのフットワークの良さに、美味しそうだと思った。テーブルに付くとまずビール!と叫んだ。 スパゲティーやピザなどにワインまで頼んで車のない1日を楽しんだ。

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食事を終えて再びバスにもどり、恐怖の急斜面をアマルフィーに向かった。広場に立って幅広の階段の上に白黒の縞模様のアラブ風のビザンチン様式の教会を見あげると、青春の記憶が甦る。荘厳なドーモ教会の横には天国の回廊と呼ばれる尖塔アーチに囲まれた中庭がある。アマルフィーはベネチアとジェノバと並んでイタリアで最も古い海洋共和国であった。防衛の為に活躍した背後の山が、近世では陸の交通の遮断になり、その歴史的地位を後退させたが、現代では再びその風光の美しさで脚光浴びている。階段やトンネルだらけの谷間に貼り付く住居の中を歩くと迷宮都市に誘われたようで、まさにカフカの世界に紛れ込んでしまう。

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夕方になって、桟橋に出た。30分程でポジティアーノ行きの船が出る。ソレントやナポリやサレルノ等何処でも行ける。やはりここでの主要交通は船のようだ。船のデッキからのアマルフィー海岸は最高である。涼やかな海風に身をゆだねて眺めると、切り立つ岩にしがみ付くように作られた建物群はまるで昆虫の営みのように見える。しばらく眺めると僕たちのホテルのあるプライアーノの街を確認し、その半島を廻ると遠くにポジティアーノらしき街が見えた。桟橋の横が、砂浜で水着姿で溢れていた。

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ポジティアーノはアマルフィーより小さいが、よりカラフルである。近年、高級リゾートとして発展したようで、街には花が飾られ、アクセサリーショップやブティックで溢れている。何組もの結婚式が、教会やレストランで催され、祝福の似合う街でもある。花のトンネルの坂道を登り、店を覗いて中心に向かった。しかし、中心のような場所は無く、小さな広場の片隅の屋台でグラニータ・リモーネ(氷レモン)を頼み、一息入れた。「バス停は何処ですか?」と聞くと山の上の交差点だと教えられた。本当にイタリア人は山の上が好きである。少々うんざりしながら坂道を登ると、バス停に何人かの人が待っていた。

プライアーノとホテルの名前を運転手に告げたが、解らんと肩をすくめた。たしか街の東のはずれで、半島の手前だったようだった。曲がりくねった道を必死で景色を凝視し、何とか乗り過ごすことなく降りる事が出来た。ホテルの下には道路も看板も無いが、何かがありそうで脇の小路を下った。子供達が岩の上から海に飛び込んだりしている。案の定ホテルとレストランが何軒かあった。しかし、食事を終えて又この坂を登って帰らねばならないのかと思ったら、ここでの食事は諦めた。やっとの思いで道路に出ると上から僕たちのホテルのボーイが手を振っていた。 そんなわけで、今日もホテルでの食事になってしまった。

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もちろんこのホテルの食事に不満はない。ここのテラスも最高である。ただいろいろ冒険をしたかっただけである。このあたりはレモンの産地のようで、イガイガの大きなレモンが出る。果物はどれも美味しく、デザートには女性群が大喜びだ。しかし、パスタの量が多いのと語学力が貧しいので他にあるかもしれない、珍しい食べ物にたどり着けないのがちょっと残念である。ただそんな事で僕たちのワインの量は減る事は無い。

2009年9月15日

南イタリア・車で周遊<アリベロベッロ~プライアーノ>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 1:36 PM

日本の団体の為に朝食の時間をまた30分遅らされてしまった。しかし、これが普段旅行する僕たちの姿でもあるが、物凄くパワフルで何となく近寄りたくない。しかし、駐車場では出発が同じで、こんな車で好きな所を走り回っているのかと驚嘆された。ちょっと誇らしい気分で走り去った。

マテーラはサッシと呼ばれる洞窟住居のある谷あいの街と聞いている。近づいているはずなのに、何時までも続く平坦な景色にそれらしい景色は無い。グランドキャニオンのように突然に谷間が落ち込んでいるのだろうか? 想像するだけでわくわくする。土手のような小さな丘を越えると新市街に入った。マテーラには似つかわしくない景色だが中心に近づいて駐車場のビルを見つけた。管理人に「旧市街は?」と聞くと近くだと指差し、広場の一角にゲートがあると教えられた。それは防御の為か、まるで地下鉄の入り口ような何気ないゲートだった。しかしその狭いトンネルを抜け、細い石段をしばらく下ると驚くべき光景が現れた。両岸の深い谷に貼り付いたまさに、サッシ・カヴェオーソ地区と呼ばれる洞穴住居群である。異様だがこの包まれるような心地よさは何だろう。第2次大戦後南イタリアの悪夢として強制的に移住させられた時もあったようだが、近年では放置された住居に新しく住み始めている人も多いと聞く。人が住むという営みを根本から考えさせられるような空間である。

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少しためらったが、遥か遠くに見える最下段まで行くことにした。やっとたどり着くと谷底の川はさらに100mも下にあった。ここから見あげると、住む為になぜこんなにもエネルギーをかけるのか不思議な気持ちになる。その疑問を噛締めながら再び登リ始めた。最下部の横穴洞窟のようなカヴェオーソの住居跡に新しいベットや家具が持ち込まれ、ホテルに改造する計画が進んでいた。やっとの思いで、頂上のドーモ広場に辿り着き、いろいろな意味で歴史を蓄積する石の文化の重さと壮大さを味わったような気がする。

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感動のマテーラから南に下り、川沿いをさらに西に進み長靴のくるぶしあたりの街ポテンザに向かった。もう昼も過ぎた。高速から街に下りるのも面倒だから、高速のスタンドで昼食にしようと、GSスタンド脇のBARに入った。定期便の人たちが多いようでアメリカ風のワイルドな感じがとても良い。例によって皆はそれぞれパニーニにお好みのハムや野菜を注文して軽く焼いてもらい、コーラやファンタのボトルを頼んで立ち食いをした。しかし、僕はちょっと休みたいのに外は暑いくて、店には座る場所も無い。トイレから戻ったSINさんが、「後ろに木陰のベンチが有った!」と言ったが、その時はもう食事は終っていた。

再び高速を走り、サレルノの手前で、パエストムに向かって一般道を南下した。パエストムは若き日に訪れ、あまりにも壮大な遺跡に感激し、なぜこんなにも完璧なギリシャなのかの疑問に、必ずもう一度南イタリアを廻りたいと心に誓った場所である。その頃は、まだ地中海の歴史を知らずに訪れた。そして、今35年ぶりにパエストムに立とうとしている。青春の思い出と古代への思いが一挙に駆け巡る。僕の中では今度の旅の最終目的地をここに決めていた。つまり、マグナ・グラキリアを廻る旅の集大成がここにあると考えていた。

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遺跡のゲートを入ると右側に少し小ぶりのセレル神殿がある。左側の遺跡群の遥か向こうに神殿群が有るようだ。ここはセリヌンテと同じく、平地の遺跡である。古代の繁栄の後、セーレ川の堆積で沼地に埋まってしまい、歴史に忘れられ、このような完全な形に近い遺跡が残ったようだ。それぞれの遺構を確認しながら古代に夢を馳せたいがその時間は無い。神殿はどれも素晴らしいが特に中央のネプチューン神殿の堂々としたプロポーションは神殿として一級品であろう。ここの博物館はぜひにも見たかったが、暗くなって危険なアマルフィー海岸を走りたくないので、後ろ髪を引かれる思いでここを後にした。

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ラッシュ時のサレルノ市内を通過したくなく、高速で迂回しながらソレント半島に入いた。すぐに大変な急斜面に変わり、これから続くアマルフィー海岸を暗示していた。このあたりに2泊して、ゆっくり廻るために駐車場付きのホテルをネットで探したが、アマルフィ付近では手頃のホテルが見つからず、少し先の街プライアーノに決めた。しかし、この海岸線は伊豆あたりの道とはぜんぜん違い、バスとのすれ違いにしばらく待たされたり、譲り合ったり大変である。なんとかアマルフィまででたどり着いた。ホテルらしい建物は崖の上下にたくさんある。しかし、そこに続く道が見当たらない。どのように行くのだろう。ナビの案内のまま半島を越えてプライアーノらしき街に入るとすぐ右に、急な石積みの坂道の上に目指すホテルの看板があった。車では登らずにフロントに問い合わせると下のグリーンの門が開いた。「バンザーイ! これで明後日までは車の運転から開放されることになる!」 ホテルは岩に貼り付くように造られていた。

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フロントのフロアーにあるレストランはテーブルに付くと海に張り出したようなオーシャンビューである。ここは海面からは100m位は有りそうだが、急斜面だから何処からでも絶景である。少しもやり始めた黄昏の海を望んで、夕食が盛り上がらないわけは無い。白ワインを飲み干し、赤に変えて、テーブルの上は海の幸である。そんな食事の中で、明日はアマルフィーから海に出てポジターノまで行ってバスで戻る案はどうかとの提案があった。楽しい1日になりそうだ!

2009年9月8日

南イタリア・車で周遊<レッチェ~アルベロベッロ>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 10:03 AM

イタリアが大好きな僕でも、このあたりはもっと過去の遺産で生きているような気分で観光していたが、それは間違いであった。どの街もそれなりに豊で、特にレッチェやターラントには寂れた感じはない。特に強く感じたのが、次に向かったブリンディッシの街だ。僕はただアッピア街道の終着点としか考えていなかったが、その賑わいにはびっくりした。僕とN嬢はちょうどユーロの持ち合わせが無く、換金の場所を探し、車を市場の近くに止めて銀行に走った。だが、銀行の入店さえ大変である。1件目は入り口で換金はしてないと断わられた。次の店では身体検査用の狭いブースに入れられ、なんとか通過するとナンバーカードをもらって順番を待つのである。やっと順番が来て、パスポートと日本円をそろえて換金を頼むと何とか証明は無いかと聞かれた。運転免許とかいろいろ出したが、埒があかない。いろいろ努力したが結局換金できずにパチンコの景品交換所のような換金屋に行くしかなかった。1ユーロ=150円ぐらいでだいぶ損をした感じがしたが、すっかりカード社会になってしまったのだ。それにしてもブリンディッシの街は活気に溢れている。残念ながらこの街の事前調査はしていなので何処に行けばよいのか分らず、そこを後にした。

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次に近くのオストーニの街に向かった。小高い丘に要塞のように建てられた街はアドレア海からの海賊やオスマントルコの侵入に備えて造られている。迷路のような細い道や外部階段やバットレスなど内部と外部空間の使い方はイタリアならではの妙である。日本の大学生がこの街を選んで調査したのも理解できる。真っ白な街角のBARでグラニータリモーネ(氷レモン)を頼み、喉を潤すと脳天がしびれた。この街の付近にはユニークな都市国家がたくさんあるのだが、その中でチェルストーニを選んだ。

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チェルストーニはオストーニを少し小ぶりにした街並だが、その空間はさらに複雑のようだ。まさに”白い迷宮”といっても良いだろう。僕たちは地図を持って歩いているのに、その方向を失うほどだ。広場の近くの細い道にテーブルが並べられ、レストランになっていた。壁も床も白い空間の暑い日ざしの中ではまるでオアシスに思え、ここで昼にする事に決めた。スープが飲みたかったが、なぜかメニューには無かった。風が抜ける小路での昼食は気持ちが良い。このレストランは何軒かで共同経営しているか、あちこちの家から素材が運ばれたりして店の区画が分らない。

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ロコロドンドはその名前の響きと街の形状が円形である意味がどのようなものか確認したかったが、時間の都合でパスして、今日の最終予定地のアルベロベッロに向かった。このあたりからトゥルッリと呼ばれるとんがり帽子のような石積みの農家が現れ始め、車内はそれを見つけるたびに騒然となった。最短を選んだナビは不思議な狭い道を案内する。ちょっと振り回されたようだが、なんとかアリベロベッロの入り口のホテルに案内された。僕たちはちょっと疲れてしまい夕食はホテルで予約した。この時、8時半過ぎにしてくださいと言われ、ちょっと不思議に思った。ちゃんと理由を聞いておけばよかったが、これがいろいろの意味で失敗だった。

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まだ日は充分に高く、チェックインしてすぐに街に出た。街は商業地区として計画的に造られた西のリオーネ・モンテ地区と、素朴で不規則な住居地区として造られた東のアイア・ピッコラ地区から成っている。僕たちは駐車場の脇を登ってアイア・ピッコラ地区のはずれから中心に向かった。トゥルッリの屋根と白い壁のうねる稜線は目線より低い部分も多くそのボリューム感はまるで彫刻のようであり、そのまま野山の延長のようでもある。小さなオリーブ博物館中に入るとその生活空間の快適さもうかがえた。

僕たちは中央の広場の大きな木陰のBARで休憩した。若いお嬢さんを懸命に口説いている元店主らしいお爺さんに「ジェラート有りますか?」と聞くと「シー シニョレ!」と言って、休憩中らしい店の中の娘さんらしきおばさんに「お客だぞー!」と怒鳴って、再びお嬢さん達に夢中になった。実にほほえましい。僕の後輩の友人のM氏がここに住んでいる情報があって、BARのシニョーラに住所を見せると、今通てきた道の途中であった事がわかった。帰りに寄ってみよう。

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道路を挟んで向かいが、リオーネ・モンテ地区であり、規模は数倍であるが、区画整理されている。頂上付近にトゥルッリの教会があッたが、大きな空間ではやはり少し無理があるようだ。こちらの地区はやはり商業が盛んなだけあって積極的に中を見せる店もあり、日本の飛騨の白川村と姉妹提携を強調したり、中には日本人でここに嫁いでしまった人がいた。この人に友人M氏の話をすると交流が有る事がわかった。それにしてもトゥルッリ群は建築理論を超えて美しく、16世紀にここの支配者が強制的にこの地区に開墾を目的にトゥルッリを集約させたようだが、そればかりではなかったように思う。

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帰りにM氏を訪問すると、久しぶりの日本語が嬉しいようでとても喜んでくれた。食事の後、再び訪ねる約束をして別れた。ホテルに戻り、シャワーを浴びちょっと休憩して、してレストランに向かうと、何と20人ばかりの日本人の団体が、食堂を占拠していて、30分遅らされた理由を悟った。こんな事なら外で食べればよかった。M氏に美味しい店が聞けたのに! このホテルは日本の旅行社も使っているホテルだったのだ。この日ばかりは先客の旅行者に食い荒らされた跡の気分で、何を注文しても感激することが出来なかった。食事が終ったのが、もう10時に近かく、女性達を残しSINさんとM氏宅に向かった。事情を知ったM氏は僕たちがツアーで旅行していると思ったらしく、知らせてくれれば良いレストランで楽しい話と美味しい酒が飲めたのにと、とても残念がった。グラッパで乾杯の時、交わしたM氏の指がアルコールで震え気味だったのが、少し気になったが、何時までも健康で! サルーテ(乾杯)!

2009年9月1日

南イタリア・車で周遊<トロペア~レッチェ>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 2:55 PM

爽快に目覚めた。もし、時間にゆとりが有ったらピタコラスが活躍したクロトーネがある最南部をゆっくり走りたいところであるが、今日は長靴のつま先から踵のレッチェまで走らねばならない。トロペアを海岸沿いに北上し高速に乗り、スッペザーノからイオニア海に出た。ここは本当にイタリアかと思うような平坦な道を真直ぐ海沿いに北上して、ターラントに向かった。

ターラントは3つの海(湖)を橋で結んだ古代では地中海貿易の要として栄えた街である。大海と小海を数珠のように橋でつないだ街で旧市街の島には要塞として使われたお城がある。お城の前の駐車場に車を停めてあたりを少しだけ散歩した。回転式のジレボレ橋を渡ると区画整理された新市街であるが、橋の袂にクレープ屋のような屋台があった。僕たちは、もうお腹がすいて何処でも良かった。ここでは向かいのBARでクレープの生地にお好みの具を注文するらしい、何種類もの野菜のオイル煮やプロシュート、生ハム、アラビアータなど戸惑ったが、何とか写真を見ながらそれぞれ注文した。

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当初の計画ではターラントに数泊して南イタリアを廻る予定にしていた。しかし、先にレッチェまで行き、見たい街を縦走して短縮する案に変えた。時間が許せばこのターラントも見たい街だが、レッチェでゆっくりしたいので、すぐに出発した。しかし、このあたりは高低さが無くひたすら平坦で、水の管理さえ上手にすれば豊な地域なのだろう。だが、田畑は乾燥しているようだ。ナビはレッチェに入れてあるはずなのに、なぜかブリンディシを目指している。すこし遠回りだがこれで行こう。

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レッチェの街の北側の入り口に共同墓地とサン・ニコル・エ・カタルド教会があり、まずここを見学した。二つのパティオに面して研究所のような施設が有るようだったが、奥の教会は閉まっていた。予約したホテルは南側の新都市に有るらしい。都会なのでは地下駐車場付きのビジネスホテルを予約していた。さすがにそれなりに大きな街であるが、何とかナビの指示でホテルにたどり着いた。ホテルは今までにないような大きなビジネスホテルである。まだ充分に日は高く、チェックインして、地図をもらってすぐに街に飛び出した。

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地図によればホテルのあるあたりが新市街で、お城の北が旧市街のようだ。レッチェの石灰岩は加工がしやすく湿気により変色するのが特徴で独特のレッチェ・バロック様式を作り上げているらしい。新市街を抜け、旧市街に入るとお城が修理中で、右に曲がりサンタ・クローチェ聖堂に向かった。何とそこでは結婚式の最中で祝福の人たちと一緒に祝った。石造りの街の結婚式は実に美しい。僕たちは夕陽に照らされ石の色が変容する教会や裏街をすり抜けてドーモ広場に向かった。バロック様式の司教の公邸や新学校に囲まれたドーモ広場で子供達が楽しそうにサッカーをしていた。お祭にはどんな風に変容するのだろうと空想した。中心のVia Vittoria(通り)を覗きながら南に下ると円形劇場跡がある。そろそろ7時も過ぎてお腹も減ってきた。

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案内書によるとカステロ(お城)の西に美味しいレストランがあるそうで、訪ねた。中心から外れるとすぐに商店は無くなりちょっと不安になったが、なんとかレストランらしい看板を見つけた。しかし、開店してる様子が無い、通行人に聞くと確かにここがレストランで、かなり美味しいらしい。中に入ると若いボーイさんがいた。「今日は休み?」と聞くと、驚いた事に開店は9時らしく、まだコックさんも来ていないらしい。付近で2時間半も時間を潰せるわけも無く、ここは諦めた。戻りながら何軒かのレストランをのぞいたが、何処もまだ始まっていないようだった。

ちょっと諦めかけて、カステロ(お城)の北を廻った時、奥に赤いテントのバッッファローのマークを掲げた店を見つけた。「ポッソ マンジャーレ?(食事できる?)」いかにも南イタリアの男と言う感じの元気な店主が手をぐるぐる回して「ビエニ クイ(入れ)」と合図した。彼がまくし立てるには、毎日ナポリから肉とチーズを直送している店で最高だ!と言っているらしい。勧められるままに前菜にバッハローのモッツレラチーズをた頼んだ。今までは豆腐のかわりぐらいしか思わなかったが、これが絶品で、思わずバッファローのステーキまで頼んでしまった。イタリアではなぜかステーキは柔らかい子牛ばかりと、魚介類が続いたので、たまには思いっきりハードな肉を食べたくなった。何故ナポリの牧場なのかわからないが、イタリアではブランドなのだろう。ナポリの赤ワインがまた進んでしまった。

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