南イタリア・車で周遊<ポッズオーリ~ラティーナ>
いよいよ最終日である。午前中はこのあたりのカンピ・フグレイ(カルデラ火山帯)を廻って、なるべく早くローマ時代のアッピア街道の宿を改造したホテルでゆっくり最後の晩餐を楽しもうと決めていた。地図で見るとこのホテルの近くにかなり大きな円形競技場の跡があり、興味を引かれた。

公園のはずれに、路上の他には駐車場も無い場所に料金所があり、あまり期待せずに入った。入り口から競技場でなく、すぐ地下に誘導された。巨大なレンガのアーチのトンネルを抜けると、何とそこには素晴らしい競技場の剣闘士や猛獣の檻などの控え室が残っていた。ほとんど廃墟で崩れているローマのコロッセオもこのようであったかと思わせるほどで、建築家としては今回の旅行でも屈指の美しい空間を見つけてしまった。奥は埋っている部分もあるが、転がされたギリシャ様式の柱は何処に使われていたのか、競技者がどのようにグランドにせり出すのか方式も分らない。入り口に戻って、上に登るとレンガで造られた立派なステージとグランドは現代のサッカー場ぐらいの大きさはあるだろう。

そこから近い港に出た。広場に面する路上駐車場があったが、なかなか空きが無い。しかし、出るからそこには入れと言ってくれた車があった。ここは漁師街で人々は船から直接魚を買たりしていた。もしも近くで泊まったならば夜にはここらあたりのBARで美味しい酒が飲めたのかもしれない。一回りして対岸の温泉等があるという半島に向かった。しかし、日曜日の為に物凄い行楽ラッシュで、あわてて引き返し、北にある古代には日本の恐山のように巫女が住んでいたクーマに向かった。

クーマはさすがに霊廟の雰囲気にあふれた小高い丘であった。頂上からは四方が見渡せ、砦の機能もあったように思う。巫女達が住んだ深い洞窟は微妙に外気も取り入れてあり、演出が可能な空間になっていた。山を下り近くのレストランを探したが、見当たらず、そのまま海沿いに北上すればラティーナと考え海辺を走った。何軒目かのリゾートホテルのレストランの看板に誘われ入った。庭でガーデンパーティをしているようで、油で何かを揚げていた。ボーイに誘導された席で、「あれは何を揚げているのか?」 と訪ねると、「野菜と何とか・・・」といってるが、方言も強くよく分らない。もらってみたが、あまり美味しい物ではなかった。ボーイが食事は俺に任せろといった、量は少なめにと念を押したのにパスタだけでうんざりして、後はもう良いと断わったのに、案の定、料金はメインの分まで取られたようだ。調子の良いボーイには任せてはいけないパレルモの教訓をつい忘れ、又同じ失敗をしてしまった。
一刻も早くラティーナに行こうとナビに最短時間を入れるとこのまま一般道を北上するコースでなく、高速を使ってナポリに戻るコースを選択していた。見学はもう良いとナビに従った。ナポリまでは無料だったが、イタリアの背骨に当たる太陽道路は有料で、きっちり整備されて快適である。左側の小高い丘を越え、もう半分ぐらいは走ったであろう頃に、運転を変わろうと路肩の安全地帯に車を寄せた。SINさんから運転を変わって、スタートした直後にクラッチ盤が、引っかからず、滑っているのに気がついた。次の安全地帯で停まるともう再び動く事は無かった。
かなり困ってしまって、全身の神経が落ち着けと叫んでいる。現在地を地図で確認するとカッシーノの近くである。まずはツトムさんに電話してハーツに連絡してもらった。車を降りて、あたりを見渡すと、SOSの赤い看板のポールが目に入った。いろいろ書いてあったが、こんな時はゆっくり読めない。赤十字と工具のマークの下にそれぞれボタンがあり、工具のボタンを押した。スピーカーから甲高い女性の声でいろいろ言われたが、どうも10分ぐらい待てと言っているらしい。待っているとツトムさんから電話で、ハーツに連絡が取れた。まず全員を道路から車に乗せなさい。ダッシュボードに1枚だけ黄色いベストが有るのでそれを着て一人だけで車外で待つように注意された。JAFのような車が近くの修理工場に連れて行ってくれるらしい。次の電話で今日は日曜日なので、近くのハーツの事務所はどこも休みで、空港しか営業してないらしい。希望するなら、ナポリの空港事務所で同じ車に交換してくれるから取りに行くように、との指示だった。

ボロ車を渡したハーツへの怒りとちょっと寂しい気持ちで道路に立った。とんでもない事だったが良い所で故障したと思った。もし一般道路の山道で動かなくなったらどうしただろう。などと考えてしばらく待つと、大きなキャリーアカーが現れ、運転手は「俺はメカニックでないから車の事は分らない。運ぶから乗りなさい。」と言われ、牽引で車ごと載せられた。
運ばれた場所はカッシーノのインターの傍の修理工場だった。日曜日で、留守番しかいないようで、たまに彼の友達がやって来る。書類がなかなか出来ない。ツトムさんから再び電話で、タクシーでナポリまで行ったら公式の領収書をもらってください。あとでハーツから返還されます。と連絡があった。領収書の事を話してタクシーを呼んだが、なかなか埒があかない。SINさんはこのまま乗り捨ててタクシーでラティーナに向かい。明日そのままタクシーでローマへ行って日本に帰る方法もある、などと言う。結局事務所の金庫を開けられる経理の人と、ナポリまで送る人が到着するまで待たせられたようで、7時半頃になってしまった。まだわずかに明るいが、こんな畑の中の修理工場に女性3人を置き去りにしてナポリまで行くのが心配で、「暗くなるから近所のホテルに送ろうか?」と聞くと「大丈夫だ。心配ない!」と頼もしい。
修理工場の若者の運転はもの凄いのを越えて見事だった。高速を160km位のスピードで車の間をスワロームして走るのである。だがけして無謀ではない、彼の目の配り方は常人のそれとは違う。たぶんレーサーはこのように運転するのだろうと思った。ナポリ空港でも彼は大活躍だった。もう一般のハーツの事務所は閉まっていて、交換の車までは3箇所ぐらい訪ねてやっとたどり着いた。車は、ほとんど新車で、今までのとはまるで違い運転がすごく楽である。しかし、送ってくれた若者に僕はあのように上手な運転は出来ないから先に帰ってくれと言ったが、しっかり修理工場まで誘導してくれた。ナイスガイだ! 真っ暗の中で心配だった女性達に駆け寄って、「大丈夫だった?」と訪ねたら。涼しげな顔で「案外早かったのね。」との返事だった。なんとも頼もしい根性の座った女性達だ!
9時を過ぎてカッシーノから再び高速にのってラティーナに向かった。新車は至って快適である。やはり、あの車は始めからクラッチ盤が滑っていたのだ。1時間程走って、一般道に下りた。地図で確認するとまだだいぶある。街を抜けると対向車線だけがずーとつながっている。20分ぐらい走ってもそのライトが消えることは無かった。多分ラティーナでサッカーの試合があった帰り客なのだろう。真っ暗な山間に一列につながった光の線が幻想的で、狐の嫁入りはこんな物かと嬉しくなった。それに何より、道に迷う心配は無い。
ラティーナに近づくと、さすがに光の線と別れた。深夜ではナビに従うしかない。細い道を何とかアッピア街道に出た。このあたりだとナビが言っているが、まず右折した。一軒ごと目を凝らして訪ねるが、それらしい建物が無い。反対に戻っても見当たらない。セルフのガソリンスタンドがあったので誰か来るのを待つと、1台の車が入ってきた。宿を尋ねると1kmぐらい先にあるそうだ。

やっとの思いで到着すると古い建物を巧みに改造した素晴らしいホテルだった。ツトムさんは遅くに到着する僕たちの為に軽食を頼んでおいてくれた。ハムやチーズやオイル煮の冷菜がテーブルに並びきれないほど用意され、コックさんは注文があればパスタぐらいは作ると言っている。僕たちはテーブルに用意された物だけで充分です。あとはビールとワインだけがあればと恐縮して言った。しかし、テーブルの冷菜やチーズをパンに載せるとこれが実に上質で美味しい。返す返すもここで最後の晩餐が出来なかった事を残念に思った。

翌朝目覚めて外に出ると、ここは川辺で、ローマ時代は海からの産物とアッピア街道の交差点であり、市場の遺跡もある。奥には牧場も畑もあって、実にのどかで環境がよい。この建物の奥に4つのローカルを味わえるレストランがあるそうだが、人気なのは一目瞭然である。ここを旅の終わりに決めた事は間違いでなかった。しかし、それを満喫できなかったのは誠に残念であったが、このトラブルも含め、実に有意義で楽しく、エキサイテングな旅であった。 僕たちはゆっくりと思い出を噛締めながらローマに向かい、心地よい疲れのと共にレオナルド・ダ・ヴィンチ空港を後にした。 (完)



