南イタリア・車で周遊<マルサーラ~アグリジェント>
ゆっくり眠る事が出来て、時差ぼけもだいぶ回復したようだ。ちょっと風が強かったが、ガーデンでの朝食は気持ちがいい。赤いオレンジジュースが、疲れた体に心地よく、新たな力が湧いてくる。マルサーラはフェニキア人の基地であったが、遺構はほとんど無いらしい。しかしここのデザートワインが有名で、それを買うのが目的で、ホテルで聞いて出発したが、地図で確認できず、徒労に終った。

国道N115はシチリアの南の海側を走る主要道路のようだ。マザーラ・デル・バッロまでは何処にもある田舎道をひた走った。道中で、スーパーを見つけ、2L入りの水のボトルを半ダース仕入れた。やはり氷は無いようで、これを小さいボトルに入れ換えて持ち歩いた。やっとN115にセリヌンテの標識が現れ、畑の中の道に入っていった。田舎道なのになぜか立体交差になっている道で、標識に沿って進むと突然村が現れ、大きな駐車場に入った。高さが4m程の長い土手の一角に、ガラス張りの建物が埋まっていて、それがチケット売り場だった。なんと土手と思ったのが城壁でそこを抜けると広大な敷地が現れ、草原の先に立派な神殿と無残に転がされた列柱の残骸が山積みにされている。その壊し方は風雨で自然に壊れたのではなく、明らかに憎しみを持って壊したとしか思えない。もともとアラブの植民地であったのをギリシャの支配に替わり、これらの神殿を造った。しかし、再びカルタゴが征服して、このように破壊したのだろう。ギリシャ文化への憎しみの強さがうかがえる。

しかし、セリヌンテの荒涼とした草原に復元されている神殿は、巨大で美しい。多分ギリシャ文化の最盛期のものだろう。草原と思った広場には石畳で住居跡だったたりする。このあたりは民に力があった時は栄えたはずだが、平坦地で海からの攻撃に対する防御が難しそうだ。4kmぐらい離れた海の近くには美しいアポロン神殿が復元されているのが見える、そのあたりを確認したかった。しかし、そこまで歩くのは大変で、今更専用の乗り物を頼むのも悔しいので、そちらの見学は諦めた。

再びN115に乗って、アグリジェントに向かった。地図で見ると海側にはたくさんの遺跡が散在しているようだが、寄り道は止めた。不思議なことにホテルの住所をナビに入れても入らない。有名なホテルらしいがSAn Leone という街までしか分らない。その街に到着すると海岸のリゾート地でまるでイメージが違う。知らされているホテルの情報だと遺跡の近くのはずだ。しかし、僕たちは遺跡の全貌を理解していない。まずは遺跡に行ってみる事にした。遺跡らしい傾斜地の谷を越えたようだが、それがどの部分か分らなかった。地図では山の頂上付近の道路が、旧市街に見え、そちらに向かった。しかし、それは近代的なリゾートマンションが建ち並ぶ新市街地であった。山の上の道で途方に暮れていると、助手席のSINさんが走り、マンションから出てきた若い人に英語で尋ねると流暢な英語が帰ってきた。遥か眼下に1列に並ぶ遺跡群が見える。ホテルはその向こうの道路沿いにあるらしい。
遺跡がある谷の駐車場のBARで、休憩する事に決めた。ピザとパニーニに水とコーラのボトルを頼んでテラスで腹ごしらえをした。ボーイにホテルを聞いたが埒があかない。休憩しているタクシーの運転手が20ユーロで案内すると言ってきた。もう近いはずである。ホテルに電話して聞けと言うが、僕の力では電話での通訳は出来ない。ホテルなら英語でも大丈夫だと、SINさんが電話で繰返すのを皆でメモを取ることにした。ここから1kmぐらい南に下った国道を右折してすぐの立体交差の左側らしい。

立派なホテルだが、国道より低く、平屋建てで、しかも潅木の中の1軒屋であり、あたりには何も無い。ナビに入れられない理由が分った。多分、ここには番地が無く、アグリジェントとサンレオーネを貫く国道の名前だったのだろう。しかし、この時はどうしてこんな場所にホテルを造ったのか分らなかったが、とりあえずチェックインした。昨日ナビの調子が悪い事を知らせていたので、心配してツトムさんから明日の宿泊地のファックスが届ていた。8時にディナーの予約して地図をもらって、再び遺跡に向かった。

遺跡を登るとそこに巨大な台地の城壁の縁に一列に並ぶ神殿群が現れた。僕たちはなだらかな丘を夕方の風に吹かれ1棟づつ古代に夢を馳せながら最後のジュノーネ神殿まで登った。素晴らしい眺望の中で、荘厳な神殿を眺め、この列柱の神殿を造る情熱は何処から来るのだろう。自然を征服した証の喜びなのだろうか。そして、それを憎しみを持ちこれらを眩しく感じたアラブ人たちだからこそ、ここまで激しく破壊しなければならなかったのだろう。セリヌンテと共通の創造と破壊の歴史の凄さをを感じた。

道路の反対側の谷に囲まれた台地に旧アクロポリス地区の神殿や教会やアラブ街区などの遺跡群が散在していた。その破壊された石の集積に不思議な文様を見つけた。四角い石の塊の両側にUの字の溝が彫ってある。どう考えても神殿を造るのに重機のような物が存在していたようで、ロープを掛る吊り代である。この広大なな遺跡群を半日ぐらいで見ることは不可能である。出来れば博物館を見学して、もっとギリシャ的なものを見たかったが、もう時間が無かった。

ホテルに戻り、シャワーを浴びて仮眠するとすぐに夕食の時間がきた。頼み方もすっかり慣れて、落ち着いた食事が出来るようになった。さすがに4ッ星であり、何を頼んでも口に合わないものは無い。仕上げのグッラパ(食後酒)まで頼んで、ご機嫌である。だが、ここで、ほろ酔い気分でも外に散歩に出かけていたら後悔をしなかったのに!
ほとんど日陰の無い神殿群を二つも見て回ったが、長い昼休みの必要が良く分かったよ。上手い具合に午前中と夕方になってしまったが、見学には丁度良かったみたい。6月のイタリア、風は爽やかでも日差しは真夏だ。
コメント by shinichi — 2009年8月11日 @ 2:59 PM
まったくだ!
太っている僕には6月の旅行は
ちょっときついのかも知れない。
時間を考えて歩かなければならないね。
コメント by boss — 2009年8月12日 @ 5:51 PM