南イタリア・車で周遊<レッチェ~アルベロベッロ>
イタリアが大好きな僕でも、このあたりはもっと過去の遺産で生きているような気分で観光していたが、それは間違いであった。どの街もそれなりに豊で、特にレッチェやターラントには寂れた感じはない。特に強く感じたのが、次に向かったブリンディッシの街だ。僕はただアッピア街道の終着点としか考えていなかったが、その賑わいにはびっくりした。僕とN嬢はちょうどユーロの持ち合わせが無く、換金の場所を探し、車を市場の近くに止めて銀行に走った。だが、銀行の入店さえ大変である。1件目は入り口で換金はしてないと断わられた。次の店では身体検査用の狭いブースに入れられ、なんとか通過するとナンバーカードをもらって順番を待つのである。やっと順番が来て、パスポートと日本円をそろえて換金を頼むと何とか証明は無いかと聞かれた。運転免許とかいろいろ出したが、埒があかない。いろいろ努力したが結局換金できずにパチンコの景品交換所のような換金屋に行くしかなかった。1ユーロ=150円ぐらいでだいぶ損をした感じがしたが、すっかりカード社会になってしまったのだ。それにしてもブリンディッシの街は活気に溢れている。残念ながらこの街の事前調査はしていなので何処に行けばよいのか分らず、そこを後にした。

次に近くのオストーニの街に向かった。小高い丘に要塞のように建てられた街はアドレア海からの海賊やオスマントルコの侵入に備えて造られている。迷路のような細い道や外部階段やバットレスなど内部と外部空間の使い方はイタリアならではの妙である。日本の大学生がこの街を選んで調査したのも理解できる。真っ白な街角のBARでグラニータリモーネ(氷レモン)を頼み、喉を潤すと脳天がしびれた。この街の付近にはユニークな都市国家がたくさんあるのだが、その中でチェルストーニを選んだ。

チェルストーニはオストーニを少し小ぶりにした街並だが、その空間はさらに複雑のようだ。まさに”白い迷宮”といっても良いだろう。僕たちは地図を持って歩いているのに、その方向を失うほどだ。広場の近くの細い道にテーブルが並べられ、レストランになっていた。壁も床も白い空間の暑い日ざしの中ではまるでオアシスに思え、ここで昼にする事に決めた。スープが飲みたかったが、なぜかメニューには無かった。風が抜ける小路での昼食は気持ちが良い。このレストランは何軒かで共同経営しているか、あちこちの家から素材が運ばれたりして店の区画が分らない。

ロコロドンドはその名前の響きと街の形状が円形である意味がどのようなものか確認したかったが、時間の都合でパスして、今日の最終予定地のアルベロベッロに向かった。このあたりからトゥルッリと呼ばれるとんがり帽子のような石積みの農家が現れ始め、車内はそれを見つけるたびに騒然となった。最短を選んだナビは不思議な狭い道を案内する。ちょっと振り回されたようだが、なんとかアリベロベッロの入り口のホテルに案内された。僕たちはちょっと疲れてしまい夕食はホテルで予約した。この時、8時半過ぎにしてくださいと言われ、ちょっと不思議に思った。ちゃんと理由を聞いておけばよかったが、これがいろいろの意味で失敗だった。

まだ日は充分に高く、チェックインしてすぐに街に出た。街は商業地区として計画的に造られた西のリオーネ・モンテ地区と、素朴で不規則な住居地区として造られた東のアイア・ピッコラ地区から成っている。僕たちは駐車場の脇を登ってアイア・ピッコラ地区のはずれから中心に向かった。トゥルッリの屋根と白い壁のうねる稜線は目線より低い部分も多くそのボリューム感はまるで彫刻のようであり、そのまま野山の延長のようでもある。小さなオリーブ博物館中に入るとその生活空間の快適さもうかがえた。
僕たちは中央の広場の大きな木陰のBARで休憩した。若いお嬢さんを懸命に口説いている元店主らしいお爺さんに「ジェラート有りますか?」と聞くと「シー シニョレ!」と言って、休憩中らしい店の中の娘さんらしきおばさんに「お客だぞー!」と怒鳴って、再びお嬢さん達に夢中になった。実にほほえましい。僕の後輩の友人のM氏がここに住んでいる情報があって、BARのシニョーラに住所を見せると、今通てきた道の途中であった事がわかった。帰りに寄ってみよう。

道路を挟んで向かいが、リオーネ・モンテ地区であり、規模は数倍であるが、区画整理されている。頂上付近にトゥルッリの教会があッたが、大きな空間ではやはり少し無理があるようだ。こちらの地区はやはり商業が盛んなだけあって積極的に中を見せる店もあり、日本の飛騨の白川村と姉妹提携を強調したり、中には日本人でここに嫁いでしまった人がいた。この人に友人M氏の話をすると交流が有る事がわかった。それにしてもトゥルッリ群は建築理論を超えて美しく、16世紀にここの支配者が強制的にこの地区に開墾を目的にトゥルッリを集約させたようだが、そればかりではなかったように思う。

帰りにM氏を訪問すると、久しぶりの日本語が嬉しいようでとても喜んでくれた。食事の後、再び訪ねる約束をして別れた。ホテルに戻り、シャワーを浴びちょっと休憩して、してレストランに向かうと、何と20人ばかりの日本人の団体が、食堂を占拠していて、30分遅らされた理由を悟った。こんな事なら外で食べればよかった。M氏に美味しい店が聞けたのに! このホテルは日本の旅行社も使っているホテルだったのだ。この日ばかりは先客の旅行者に食い荒らされた跡の気分で、何を注文しても感激することが出来なかった。食事が終ったのが、もう10時に近かく、女性達を残しSINさんとM氏宅に向かった。事情を知ったM氏は僕たちがツアーで旅行していると思ったらしく、知らせてくれれば良いレストランで楽しい話と美味しい酒が飲めたのにと、とても残念がった。グラッパで乾杯の時、交わしたM氏の指がアルコールで震え気味だったのが、少し気になったが、何時までも健康で! サルーテ(乾杯)!
今度行く時にはカードの暗証番号しっかり覚えておきましょう。
オストゥーニかチステルニーノは街を眺めながらゆっくりとワインでも飲みたい街だったね。
アルベロベッロは折角知人が居たのに残念でした。ホテルも街も大分観光化されていたので、らしい穴場に連れて行ってもらいたかったね。
コメント by shinichi — 2009年9月16日 @ 11:35 AM
本当に、時代は変わり、
カード社会になりました。つくずく実感しました!
ゆっくりしたい街は
あまり知られていない場所を探す事ですね。
それにしてもアリベロベッロでは
M氏に案内してもらえばよかったですね。
しかし、M氏の手が震え気味だったのが
ちょっと心配です。
コメント by boss — 2009年9月17日 @ 11:45 AM