2009年10月1日

南イタリア・車で周遊<プライアーノ~ポッズオーリ>

Filed under: 旅行日誌,社長ブログ — boss @ 10:03 AM

懐かしい気分でハンドルを握り、絶壁の道のアマルフィー海岸はなるべく早く脱出する事にした。それでも船で折り返したポジティアーノを越えてしばらくは恐怖の連続である。何とか山を越え、ソレントに入ると今度は行楽のラッシュに見舞われた。今日は土曜日だ! 旧市街だけでも見たいと思ったが、あまりのラッシュに慌て市内を脱出した。ソレント半島の北側は南とまるで違うなだらかな景色である。対岸のナポリ湾の向こうに雄大なヴェスヴィオ火山が現れた。

ナビをポンペイにセットし、ヴェスヴィオ火山に向かって高速をひたすら進むと、太陽道路と合流し、突然有料になり、次のインターで下ろされた。インターの出口の前がポンペイの遺跡のようで、案内に従い駐車場を探した。奥の駐車場の入り口付近でレストランのボーイに後で立ち寄れば駐車代が無料だと声かけられた。「ジュースト?(本当)」と念を押したら「シー シニョール」と調子の良い答えが帰ってきた。

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僕たちは南にあるマリーナ門を抜けて遺跡に入った。ポンペイはローマ帝国の同盟都市として栄えたが、噴火により一夜にして火山灰に埋まったと聞く。轍の道を抜けるとアポロ神殿がある中央広場に出た。樹木の無い広大な遺跡に照りかえる陽射しの強さが噴火の惨状と重なり、思わず目眩を覚え、夏の日中に来る所では無かったと少し後悔した。陽炎が立ち昇る遺跡を西に向かった。フォルム浴場を見学して、さらに幾つかの遺跡を見学し、西のエルコラーノ門を抜けて一旦城壁の外の秘儀壮に向かった。あまりに強い日差しを避けたい気持ちで、農家のようであり、現代の住居としても立派に使えるような住居跡を見学した。そして再び熱射の中を遺跡に戻り、さすがに最東部の円形競技場までは行けなかったが、大劇場や小劇場等を廻って時間をタイムスリップしたような遺跡を後にした。

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あまりの暑さにかなり疲れて、駐車場の入り口の葡萄棚の下にある調子の良いボーイのレストランで昼食をした。生ビールを一気に飲み干したい気分だったが、大瓶の水のボトルとオレンジジュースを頼んで昼食が始まった。さすがに何を食べたかの記憶がほとんど無いが、ただマルガリータだったろうかシンプルなトマト味のピッザアが美味しかった記憶だけが残った。

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ヴェスヴィオ火山の西側には、一夜にしてあのポンペイの大悲劇を生んだ噴火の折に溶岩流で一瞬にして埋められてしまったエルコラーノがあると聞き、一般道を走って向かった。エルコラーノはローマ貴族の別荘地であったようだが、あたりにはその気配がまったく無いが、ナビでは近くを示している。しかし、海側に大きく回った場所に何気ない地下駐車場が有り、この西側に工事現場のように大きく掘られた場所が遺跡だった。遺跡はなだらかな傾斜地に埋まった形で掘り出されていた。ポンペイとは比べるも無く小規模だが、焼け爛れた木造の梁等が存在したり、一瞬にして熱砂に埋まった状況はよりリアルである。人型を石膏で写し取った博物館があるようだが、そこまでは行かなかった。ギリシャ神殿の遺跡と異なる生々しい衝撃を受けてここを後にした。

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明日がこの旅の最終日なので、ナポリで買い物の計画をしていたが、大都市の運転が、いかに大変であるかを実感したので、高速で通過するだけにした。ポッズオーリはナポリの西の街で、あの大女優ソフィア・ローレンが生誕した漁師街でもある。また、このあたりから西にカルデラ(火山口)群に面する一帯はカンピ・フグレイと呼ばれ古代から別荘や保養地あるいは海軍基地として栄えた一帯でもある。高速を降り、一般道を走るとまもなくトンネルがあり、ポッズオーリの街の入り口に広い駐車場のあるビジネスホテル風の建物が今日の宿だった。

チェックインして夕食を頼むと、大きな食堂があるのに、外でお願いしますと言われた。そして、ちょっと待ての仕草で近くのレストランを電話で予約し、地図を書いてくれて、ここは最高だと親指を立てた。僕たちは一息入れてシャワーを浴び、着替えて散歩気分で外に出た。見当をつけて歩くと若い男達が道にたむろっていて、地図を渡したら、わいわい騒いで喜んだ。なんと彼らは目指すレストランのボーイさん達で、そこが裏口だったようだ。中は葡萄棚のある大きな店で、まだ少し早かったようだが、一番奥の席に案内された。200席以上ありそうなテーブルがどんどん埋まり、先程のボーイさん達が大忙しで働き始め、地元の人気店のようだ。コッゼや海老など魚介類を中心に心残りの無いように頼んだ。もちろんワインもデザートも最高で、良い店を紹介してくれたようだ。ほぼ2週間もの長い旅だったが、いよいよ明日が最終日で、漁師街での食事はことさら感無量であった。

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  1. そろそろ終わりに近づいたので頑張ったけれど、此処は本当に暑かった。
    昔はもっと木陰が多かったのだろうね。上からだけでなく、石の照り返しで
    下からも、やってられないな。
    それにしてもホテルでレストランがやってないなんて、この街大丈夫かなと思ったけれど、いいレストランを教えてくれたね。
    結果的にはこれが最後の晩餐だったのかな。

    コメント by shinichi — 2009年10月6日 @ 12:28 PM

  2. 6月の炎天下の廃墟での見学は
    さすがに心底体にこたえたよ。
    しかし、それにしても女性群は
    恐ろしいほどタフだったネ!

    夜はいいレストランを紹介されて良かったよ!
    しかし、翌日に分った事だったけれど
    もっと港に近いホテルだったらもっと面白い、
    物が食べられたかもしれなかったネ!

    コメント by boss — 2009年10月6日 @ 5:04 PM

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